朝鮮連邦編
第48.4話 千切れた写真
半年前、二〇二〇年三月。朝鮮連邦、釜山難民キャンプ。
「我々は政府軍だ。我が国では資材が圧倒的に不足している。金属製のものは全て差し出してもらう」
内戦が続く朝鮮連邦では近年、政府軍と名乗る迷彩服に銃を持って完璧に武装した男たちが、様々な難民キャンプで略奪に近い行為が繰り返し行われていた。今日は釜山のキャンプが標的になったようだ。
「おい、今何を隠した? それは金属だろう」
「いや、離して!」
政府軍の男は嫌がる少女から無理やり何かを取り上げた。
「ほう、マイクか。我々が集めたものは戦闘機の一部になる。国のためになるのだから、それは誇らしいことだろう?」
そう問いかける男に対して、少女は敵対的な視線を向ける。
「あなたには、人の心がないの? それは私の希望なの。夢なの。もし全ての人間からそれを奪ったら、それこそこの国の終わりよ。だから返して」
少女は男からマイクを取り返そうとする。
だが、相手はただでさえ屈強な上に武装までしている。取り返すのは限りなく不可能だった。
「しつこいんだよガキが! 歌でこの国の内戦を終わらせられるのか? 飢えで苦しむ人がいなくなるのか? そんな夢なんかさっさと捨てて、この国のために働け」
男が少女を突き飛ばす。
「くっ……!」
地面に打ち付けられた少女は、もう一度力を振り絞り男の足にすがりつく。
その姿を見た男は、面倒臭そうにため息をついた。
「全く、諦めの悪いやつだ。それならこの場で、ただの金属にしてやるよ」
男はマイクの両端を持ち、両腕に力を込めた。どうやらマイクを真っ二つにへし折るつもりらしい。
「やめて!」
それに気が付いた少女は、今まで出したこともないような大声で叫んだ。
するとその時、誰かが男に殴りかかった。
「うおっ!」
男は突然の衝撃にバランスを崩し、マイクを手放す。
少女はそれを慌てて拾い、隠すように抱え込んだ。
「おい、何だ貴様? 政府に歯向かうつもりか?」
男が殴ってきた人の顔を見る。
その人は眼鏡をかけた男性だった。だが、朝鮮連邦人と微妙に顔つきが違う。
「政府軍だか何だか知らないが、十代の女の子の宝物を奪うのは頂けないな」
「ほう、いい度胸だ」
政府軍の男と眼鏡をかけた男性が同時に殴りかかる。
しばらくの揉み合いの末、眼鏡をかけた男性が政府軍の男に対して強烈な右フックを叩き込んだ。
「ぐはっ!」
政府軍の男がその場に倒れこむ。
眼鏡をかけた男性は、眼鏡をくいっと上げると少女に手を差し伸べた。
「大丈夫か?」
少女はその手を取り答える。
「ええ、平気よ」
「そうか、それなら良かった」
優しく微笑む男性に、少女が問いかける。
「ねえ、あなたは何者なの? 日本人よね? なぜこの国に来たの?」
「……俺は日本にいられなくなった。だからこの国に来た。だが、このままではこの国にもいられなくなる。だから俺は、革命軍として戦うことにした」
「日本にも、この国にも、いられない……?」
少女は男性の言葉の真意は分からなかったが、口を開くまでに間があったところから深い事情があることだけは察した。
「お前は日本に行け。きっと夢も叶えられる」
「えっ?」
男性のあまりに急な発言に少女は驚いた表情を浮かべる。
「明日そこの港から貨物船が出る。行き先は北九州だ。着いたらまず亡命申請をしろ。そうすればお前は平和に暮らせるだろう」
「でも、私……」
少女は突然の出来事に戸惑いを隠せない様子だ。
「何がそんなに心配なんだ? あれだけの屈強な男に歯向かったんだ。もっと自信を持て」
男性の言葉に、少女は小さく頷いた。
「分かった……。私、日本に行く」
「よし、偉いぞ。それじゃあそんなお前にはこれをあげよう」
男性はポケットから半分に千切れた写真を取り出し、少女に手渡した。そこには笑顔の男性が写っている。
「この写真、半分はどうしたの? こっち側に誰か親しい人が写ってるんでしょう?」
少女が不思議そうに聞くと、男性はニコッと笑った。
「もし歌で有名になってテレビに出たら、その写真をカメラに見せろ。きっとそいつが訪ねてくるはずだ」
男性はそう言い残すと、「じゃあな」と手を振ってどこかへ行ってしまった。
「きっと、大切な親友なのね……」
少女はその写真とマイクをぎゅっと握りしめ、その背中を見送っていた。
二〇二〇年九月五日。東京、魔法災害隊東京本庁舎。
食堂で待機中の芽生は、つけっぱなしになっているテレビをぼーっと眺めていた。
♪抗えば追われ 誤れば終わり
歯止めの効かない革命軍も 願いを聞かない流星群も
頼らなきゃいられない そんな気分なの
歌が終わると拍手がパチパチと聞こえる。
芽生は別に音楽番組を見たいわけでも目当てのアーティストを待っているわけでもなく、ただ暇を持て余しているだけだ。そのため、ほとんど何の感情もなく歌を聞いていた。だが、この歌には少しだけ反応を見せた。
「この歌、歌詞が妙に刺さるわね……」
芽生はこのアーティストが何者なのか気になっている様子だ。
『ありがとうございました。ただいまの曲は、ファン・ヨナさんで「叫び」でした。そして、こちらにヨナさんに来ていただきました。では少しお話を聞いてみましょう』
司会者が呼び込むと、歌い終わったばかりのショートカットの十代くらいの少女が笑顔を見せながら入ってきた。
『こんにちは、ファン・ヨナです。私は朝鮮連邦から来た難民です。最初はこの国で受け入れてもらえるのか不安もありましたが、日本人はとても優しくて安心しました。その上、半年でこんなに大きな音楽番組に出させて頂けるなんて、本当に光栄です』
『こちらこそ素敵な歌をありがとうございます。この歌の歌詞はご自身で作られたんですよね?』
司会者の問いかけに、ヨナは大きく頷いた。
『はい。私の故郷は内戦が続いていて、常に危険と隣り合わせの生活をしていました。でもそんな時、ある日本人が私を助けてくれたんです。その人のおかげで、私は今平和な日本で歌を歌いながら暮らすことが出来ているんです。これがその人の若い頃の写真です』
ヨナがポケットから一枚の写真を取り出した。その写真には眼鏡をかけた男性の姿が写っている。ただ、その写真は半分に千切れていて、横にもう一人いるようだが腕が見切れている程度でどんな人物なのかは分からない。
「朝鮮連邦に渡った日本人。自分の若い頃の写真を託してるあたり、きっとまともな人じゃないわね」
ヨナの話を聞いた芽生は、その日本人は信用レートが低く拘束されるのを恐れて逃げたのだろうなどと勝手に想像していた。
その時、響華と国元が食堂に入ってきた。
「あれ? 芽生ちゃんが音楽番組見てる〜。珍しいね」
響華が椅子に座りながら話しかける。
「別に見てたわけじゃないのだけど、この子の歌が妙に響いてね」
響華と国元がテレビに視線を移すと、少女が写真を手にトークをしていた。
「ねえ芽生ちゃん、あの子が持ってる写真は?」
響華が目を凝らして何の写真か確かめようとする。
すると国元が突然ハッとした表情を見せた。
「あの写真が何でこの子の手元に……!」
「えっ? 国元さんこの写真と何か関係があるんですか?」
響華が驚いたように聞くと、国元は。
「これは、警察学校時代に撮った僕と
と言った。
「つまり、あの見切れてる腕は国元さんってこと?」
芽生が信じられないといった様子で呟く。
「はい。九州支局の水瀬支局長が失踪したのと同じタイミングで、住吉とも連絡が取れなくなっていたんです。そう簡単に死ぬやつではないとは思っていましたが、まさか朝鮮連邦にいたとは……」
国元はそう言うとスマホを取り出し、どこかに電話をかけようとする。
「国元さん、どうするんですか?」
響華が問いかけると、国元はスマホを耳に当てながら答えた。
「まずはあの少女に会って話を聞きます」
翌日、二〇二〇年九月六日。
国元と響華、芽生は六本木の喫茶店でヨナを待っていた。
『カランコロン』
しばらくすると喫茶店の扉が開き、ヨナがやって来た。
「ヨナちゃん、こっちこっち!」
響華が笑顔で手を振ると、ヨナは恥ずかしそうに俯きながらこちらに来て席に座った。
「こんにちは、ヨナさん。あなたの歌、とても素敵だったわ」
芽生が話しかけると、ヨナは「ありがとう」と小声で言った。
「どうしたのヨナちゃん? 緊張してる?」
響華は顔を覗き込もうとするが、ヨナはそっぽを向いて目を合わせようとしない。
「もう響華、嫌がってるんだから無理にそういうことしない方がいいわよ」
芽生が注意すると、ヨナは。
「すみません、気を遣わせてしまって……」
と申し訳なさそうに言った。
「いいのよ別に。気にしないで」
芽生が優しく微笑むと、ヨナは少し安心した表情を見せた。
「それではファン・ヨナさん、あの写真のことについて伺ってもいいですか?」
国元が問いかけると、ヨナはこくりと頷いて話を始めた。
「あの人には、半年前に釜山の難民キャンプで会いました。私が政府軍と揉めていたところをあの人が助けてくれて。その後に、私に日本に行くように言ったんです。日本人だからそう言ってくれたんだと思いますけど、あの人は日本には居場所が無いと言っていました。あの人には、何か事情があるんでしょうか?」
ヨナの質問に、国元は少し考えて答える。
「……何と言うか、人間関係の悪化? みたいな感じですかね」
「そ、そうなんですね。何かもっと深い事情があるように見えたのですが、私の気のせいですかね……」
ヨナは一瞬首を捻ったが、すぐに話を続けた。
「あの人は、自分のことを革命軍だと名乗りました。革命軍というのは朝鮮連邦東部を拠点とする武装組織で、南部を拠点とする政府軍やソウル特別行政市の武装警察と対立しているんです。特にソウル武装警察との溝は深くて、一年前には両組織の衝突で民間人が巻き込まれたこともありました。革命軍は一度暴走すると歯止めが効かないんですよ。これは私の歌の歌詞にもありますけど」
「革命軍、ソウル特別行政市……。分かりました。本日は貴重なお時間を頂き、ありがとうございました」
国元がすっと立ち上がる。
「えっ、国元さんもう大丈夫なんですか?」
響華が驚いたように顔を見上げる。
「はい。ある程度のキーワードは掴めたので、あとは現地に行ってからですね」
国元の言葉を聞いた芽生は、立ち上がって問いかける。
「国元さん、あなたまさか朝鮮連邦に行くつもり?」
「もちろんです。僕の同期であり、大切な親友がいる。それなら僕は、危険を冒してでもそこへ行きます」
国元の目はとても真剣だった。それを見た芽生は、国元にある提案をした。
「それじゃあ、私も連れて行ってくれない? 魔法能力者がいた方が、何かと安心でしょう?」
「でも、これは僕の個人的なもので、公安の任務でも何でもないんですよ? それに今回ばかりは危険すぎる。芽生さんを連れて行くことは出来ない」
国元は芽生の提案を断ろうとする。
するとその時、響華が勢いよく立ち上がった。
「国元さん、私も芽生ちゃんと一緒に行かせてください。二人ならリスクを軽減出来ますよね?」
「た、確かに魔法能力者が二人いればかなりリスクは下がりますが……」
それでも断ろうとする国元を、響華はまっすぐ見つめ続ける。
しばらくすると、国元がため息をついた。
「……分かりました。それでは、一緒に行きましょうか。ただし、響華さんと芽生さんはあくまで安全第一ですよ」
「はい!」
「ええ」
国元の言葉に、響華と芽生は大きく頷いた。
「明日の昼に朝鮮連邦へ発てるように公安経由で手配しておくので、響華さんと芽生さんは準備をしておいてください。それでは、お会計は僕が。改めて、本日はありがとうございました」
国元はヨナに頭を下げ、レジへと向かう。
「ヨナちゃん、じゃあね!」
「ヨナさん、体に気をつけてね」
響華と芽生もヨナに挨拶をすると、ヨナは小さく首を縦に振った。
「……皆さんも、お気をつけて」
ヨナが言うと、芽生は優しく微笑んだ。
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