第11話 ひかりの動機

 新宿、都庁前広場。

 遥の姿を見失い動揺するひかりに、響華が優しく話しかけた。

「私の話、聞いてくれるかな?」

「おねーさんこの状況で何言ってるの? 頭でも打った?」

 響華の突然の行動に困惑するひかり。

「おかしなことしてるのは分かってる。でもね、本当は私、ひかりちゃんと戦いたくないんだよ」

「それってアタシよりおねーさんが弱いから?」

 挑発的な発言を続けるひかりに、響華が強い口調で否定した。

「違う、そうじゃない。そうじゃなくて、私たちが戦う必要って別にないんじゃないかなって思うから」

 ひかりは言葉の真意が理解できない様子で言う。

「それはそうだよ。邪魔しに来たのはおねーさんの方じゃん」

 それを聞いた響華は、少し俯き大きく息を吸った。

「そういうことじゃない! ひかりちゃんは何も分かってない!」

 静まり返った広場に響華の声が響き渡る。

「え……?」

 驚いて固まるひかりに、響華はもう一度言った。

「私の話、聞いてくれるかな?」




 響華とひかりがまっすぐに向かい合う。

「ひかりちゃんは都庁に何の恨みがあったの?」

「質問? おねーさんが話をするんじゃないの?」

 ひかりが反抗的に言う。

「それはそうなんだけど、まず聞かせてほしいな」

 ひかりは少し戸惑いを見せたが、響華の顔を見ると決心したのかゆっくりと口を開いた。

「……お母さんを殺したから」

「えっ?」

 響華は思わぬ回答に首を傾げる。

「役所の人が、お母さんを殺したんだよ」

「えっと、それって……どういうことかな?」

 ひかりは深呼吸をすると、悲しそうな表情を浮かべながら話を始めた。

「アタシの家はアタシとお母さんしかいなくて、すごく貧乏だった。もともとはアタシがお父さんにとっては望まない子だったからっていうのもあるんだけどね。要するにアタシとお母さんは捨てられたんだよ」

「そっか、それでひかりちゃんは戸籍がないんだね?」

 響華が納得したように言う。

「そう。でもね、ここまでは別に良かったんだよ。ここまでは……」

 ひかりが言葉を詰まらせる。

「……うん、それで?」

 響華はひかりに寄り添って背中をさすった。

「残されたアタシとお母さんは古いアパートでひっそりと暮らしてた。お母さんはアタシのために朝から晩まで毎日働いてくれた。でもお母さんは昔から体が弱かったらしくて、二年前に体を壊しちゃったの……」

 母親のことを思い出したのか、ひかりの目から涙がこぼれる。それを見た響華は、優しくひかりの頭を撫でた。

「……それでもお母さんは、無理のない程度で仕事を続けた。だけどそれじゃあ全然お金が足りなくて。だからお母さんは生活保護の申請をしに行った。でも帰って来た時のお母さんは、すごく落ち込んでた」

「生活保護が受けられなかったんだね?」

「……そう。受給対象じゃないって言われたんだって」

「収入が十五万以上だったとか?」

 響華の言葉にひかりは語気を強める。

「違うよ! お母さんのせいじゃない!」

「ご、ごめん。じゃあ何で受給できなかったの?」

 ひかりは悲しみと怒りが混ざったような声で言う。

「……役所の人がね、こう言ったんだって。もっと働けるでしょって」

「何それひどい……」

 響華は息を呑んだ。

「もちろんお母さんはそれ以上働くなんて出来なかった。それからお母さんは、アタシのために自分を犠牲にするようになった。アタシには普通にご飯を食べさせてくれたし、本とか参考書も買って来てくれた。でも、お母さんはほとんど何も食べてなかったし、自分のものなんて全然買ってなかった」

「優しいお母さんだったんだね?」

「うん……。だけど一ヶ月前、仕事に行ったっきり帰って来なくなった。毎日毎日お母さんが帰ってくるのを待ってた……。早く帰って来てって…………」

 一気に涙と感情が溢れ出るひかり。響華は頭を撫でることしかできなかった。

「……それで、お母さんは? 見つかったの?」

 響華が問いかけると、ひかりは涙声で答えた。

「一週間後に河川敷で……。首を吊った状態だったから、警察の人は多分自殺だって……。もしあの時生活保護を受けられていたら、きっとこんなことにならなかった。お母さんを殺したのは役所の人だ」

 ひかりは怒りに満ちた声で都庁に向かって叫んだ。

「全部この社会が悪いんだ! こんな社会、大っ嫌いだ〜!!」

 力尽きて膝をついたひかりを、響華は優しく抱きしめた。

「……こんな社会、確かに嫌だよね。理不尽だし、希望も見えない。だけど、それを恨んでも何も始まらない。だから私たちは、少しでもみんなが幸せに生きられるようにって、必死に頑張ってる。誰かを恨むより、目の前の人を助けることがこの社会を変えられるって、ひかりちゃんなら分かるよね?」

 ひかりがゆっくりと口を開く。

「……おねーさん」

「どうしたの?」

「アタシ、まだやり直せるかな? こんなにひどいことしちゃったけど、もう一度やり直せるかな?」

 響華はひかりに微笑みかける。

「もちろんだよ! だってひかりちゃん、私よりも全然年下でしょ? しっかり反省して、今度は私たちと一緒に、人助けしよ?」

「う、うん。アタシしっかり罪を償って、おねーさん達みたく人を助けられるようになる!」

 ひかりの表情は、すっかり明るくなっていた。

「よ〜しいい子だ。まずはちゃんと罪を償うことだな!」

 声がした方を向くと、遥が守屋刑事を連れて歩いてくるのが見えた。

「ちょっと遥さん、調子に乗らないで」

「すみません……」

 遥と守屋刑事のやり取りを見たひかりが呟く。

「遥おねーさんっていっつもああなの?」

 響華は笑って言う。

「うん、そうだよ。いつもみんなに怒られて、それなのに全然懲りないの」

「アハハ、変なの」

 ひかりの笑い声に、遥がピクッと反応した。

「ん? 今私のこと変って言ったでしょ?」

 ひかりに詰め寄ろうとする遥を、守屋刑事が後ろから引っ張る。

「もう、いちいち余計なことしない」

「は〜い」

 守屋刑事に怒られた遥は、ふてくされたように返事をした。

 響華とひかりが守屋刑事に歩み寄る。

「それじゃあ守屋刑事、ひかりちゃんのことお願いします」

「アタシ、すごく反省してます……。いろんな人に迷惑かけたこと、本当に申し訳ありませんでした」

 頭を下げるひかりに、守屋刑事は優しく言う。

「分かったから、顔を上げなさい。詳しいことは署で聞きます。ご同行、願えますか?」

「はい」

 ひかりはこくりと頷いた。

「じゃあひかりちゃん、一緒に人助けできる日を楽しみにしてるね」

「ひかりちゃん、またね!」

 響華と遥が声をかけると、ひかりは笑顔で二人の方を見た。

「おねーさん達、絶対また会おうね!」

 守屋刑事に促され、ひかりは車に乗り込んだ。

「一応救急車呼んだから、碧さんと芽生さんのことは心配しないで。それと雪乃さんについては追って連絡するわね」

「はい、ありがとうございます」

 守屋刑事は響華に簡単に伝えると、すたすたと車に向かって歩いていった。

「人助け、成功だね」

 遥が響華に話しかける。

「うん、でも半分失敗かな」

「どうして?」

 遥は首を傾げる。

「だって、ひかりちゃんの心は救えたけど、ひかりちゃんのお母さんの命を救えてないから……」

「なるほど。響華っちの目標はもっと高いところにあるんだね」

 響華は空を見上げる。

「私は、世界中の人みんなに幸せになってほしい。綺麗事かもしれないけど、魔法という力を持っている以上、たくさんの人を助けることが私に課せられた使命だと思ってるから。だから私は戦う。目の前の人の命を、心を、笑顔を、守りたいから……」




 警視庁、取調室。

「あなたが雪乃さんにかけた物質変換魔法って、離れた場所でも解ける?」

 守屋刑事がひかりに聞く。

「うん、解けるよ」

「そう、じゃあちょっと待ってて」

 守屋刑事は立ち上がると、スマホを取り出して長官に電話をかけた。

『プルルルル……、はい進藤です』

「もしもし、警視庁の守屋です」

『あっ守屋刑事、お疲れ様』

「お疲れ様です。雪乃さんの件ですが、魔法を解けるとのことなので立会いの方お願いできますか?」

『うん、大丈夫。今部屋に行くから少しだけ待っててもらえる?』

「はい、分かりました」

 電話が保留になると、守屋刑事は席に座った。

「もう解いていい?」

 ひかりは早く魔法を解きたい様子だ。

「ごめん、もうちょっとだけ待って。今雪乃さんのいる場所に向かってる人がいるから」

「分かった……」

 口ではそう言ったひかりだが、内心は早く魔法を解いてあげたいという思いでいっぱいだった。

 魔災隊東京本庁舎では、長官が副長官と一緒に雪乃を保護している部屋へと向かっていた。

「木下副長官が雪乃さんのこと見ててくれてたんだよね?」

「はい。と言っても姿が見えないので、気配を感じることくらいしかできませんでしたが」

「それはしょうがないよ。魔法物質化しちゃってるんだもん。見える方が怖いって」

「それもそうですね」

 二人は部屋の前に着いた。

「長官、カードキーを」

「うん、ありがと」

 副長官からカードキーを受け取った長官は、タッチパネルにそれをかざした。ピッと音がなるとロックが解除され、扉が開けられる状態になった。

「雪乃さん、入るよ〜?」

 長官はコンコンとノックをして部屋に入った。

「雪乃さん、魔法を解いてもらえるよ」

 もちろん返事が返ってくることはない。ただ、長官は何か違和感を覚えた。

「ねえ? 雪乃さん、いるんだよね?」

「えっ? いると思いますが……」

「一応確認させてほしいな。響華ちゃん呼んでもらえる?」

「はい、分かりました」

 副長官が小走りで部屋を出て行く。

「何だろうこの違和感。すごく嫌な予感がする。雪乃さん、いるんだよね……?」

 一人残された長官は、ここにいるはずの雪乃に向かってポツリと呟いた。

 しばらくすると副長官が響華を連れて戻ってきた。

「連れてきました」

「長官、ここに雪乃ちゃんがいるって本当ですか?」

 長官は響華を見つめる。

「うん、実はここで保護してたの。黙ってたことはごめんね」

「いえ、それは別に。で、何で私を呼んだんですか?」

「雪乃さんの居場所を索敵魔法で調べてもらえる?」

「それは別にいいですけど……、ここにいるんですよね?」

 響華は首を傾げる。

「うん、もちろんそのはずなんだけど……。何か嫌な予感がして」

「嫌な予感……、ですか?」

「そう、とにかく調べてもらっていいかな?」

「はい、分かりました……」

 長官の不安そうな表情を見て、響華も少し不安になった。

「魔法目録十七条、索敵。対象、北見雪乃」

 響華は索敵魔法を唱え、目を閉じて耳を澄ませる。

『ピッ、ピッ、ピッ……』

 この部屋にいるのならすぐに強い反応を示すはずだ。しかし。

『ピッ、ピッ、ピッ……』

 いつまで経っても一向に反応はなかった。

 響華は目を開けると、首を横に振った。

「長官の言った通り、この部屋にはいないみたいです」

「そう……。あっ、守屋刑事に報告しないと」

 長官は思い出したようにスマホを取り出すと、保留を解除した。

「もしもし、守屋刑事?」

『あっ、やっと来た。準備の方大丈夫ですか? ……進藤長官?』

 長官は深く息を吸う。

「あの、守屋刑事……。落ち着いて聞いて欲しいのですが」

『はい。何かあったんですか?』

「雪乃さんが、いなくなったんです」

 電話の向こうから守屋刑事の驚く声がした。

『えっ? それってどういうことですか?』

「部屋に来た時に何か違和感を感じて、響華さんに索敵魔法で調べてもらったの。そしたら全く反応がなくって……」

『全く反応がない、つまり首都圏にはいない、という認識でよろしいですか?』

「ちょっと待って、今聞いてみるわね」

 長官は響華に質問をする。

「響華さん、索敵魔法ってどのくらいの範囲まで調べられる?」

「え〜と、浜松とか福島くらいまでですけど」

「さっき調べたのもそれくらいの範囲?」

「はい、そうです」

 長官は守屋刑事にそれを伝える。

「浜松から福島、おそらく百五十キロくらいの範囲だそうです」

『分かったわ。こっちでも調べてみるわ』

「お願いね」

 長官は電話を切ると、響華の方を見る。

「ごめんなさい。私がちゃんとしてなかったから」

「いえ、そんなこと……」

 気まずい空気の中、副長官が口を開いた。

「すみません。私のせいです。雪乃さんのことを任されていながら、他の対応でこの場を離れることも多くて……。これは全て私のミスです」

 自分を責める副長官に、長官が優しく声をかける。

「ううん、そんなことないよ。忙しいのに任せちゃった私にも責任はあるし。誰のせいでもないよ」

「ですが、雪乃さんはきっと私のことを信じてくれていたはずです。忙しいからとその場を離れ、その間に雪乃さんの身に何かあったということは揺るぎない事実です。ですから」

「副長官のせいじゃないですよ!」

 副長官の言葉を遮るように、響華が声を上げた。

「響華さん……」

 副長官は響華の方を見て俯く。

「副長官は雪乃ちゃんのために色々頑張ってくれたんですよね?」

「いえ、私はたまにこの部屋に様子を見に来ていただけで……」

「でも雪乃ちゃん、きっと嬉しかったと思いますよ?」

「嬉しい……?」

 副長官が少し顔を上げる。

「はい、そうですよ。だって、もし自分が魔法にかけられて誰からも見えなくなっちゃったらすごく怖いと思うんです。でもそんな時、誰かが少しでも近くにいてくれたら安心すると思います。雪乃ちゃんも、副長官が時々でも様子を見にきてくれたの、きっと嬉しかったんじゃないですか?」

「響華さん……、ありがとうございます。励ましていただいて」

 副長官はまっすぐ響華の方を見ると、少し微笑んだ。

「私も、雪乃ちゃんがいなくなっちゃったのは辛いし悲しいです。だけど今は、起きてしまったことを悔やむよりも、雪乃ちゃんを見つけることに全力を注ぎませんか?」

 響華の言葉に長官と副長官は大きく頷いた。

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