エピローグ
───季節は冬へと移り変わり、低気圧のうねる街は冷気に包まれていた。時間の経過というのはやはり早く感じるもので、桐崎が転入してから実に、半年ほどが経つ。その間、彼女は今や、すっかり男子校にも馴染めていた。
そして今日、十一月十八日───この日は学年の遠足が予定されている。行先は都内の大規模遊園地、リゾートランド。バス移動で到着してから、夜まで園内を過ごすプランとなっていた。
クラス規模でのバス移動が終わると、やがてリゾートランドに到着する。そこから園内に入ると、数々のアトラクションの囲む園内、賑やかな喧騒に身を委ねることに。そこから木内がクラスに向けて、今日の段取りを指示した。
「今から各自自由行動だ。夜九時になったら指定しておいた中央広場に集合、そこから全員でバスに向かう……そういう手筈になってるからな。土産はほどほどにしとくように。じゃあ、解散」
木内の解散の一言で、俺達は散り散りになる。俺と藤枝がいつものように桐崎を誘うと、茅野も混じり四人になる。このメンツで動こうとしたその矢先に、もう一人別の声がかけられた。
「よろしければ、僕も同行させてもらえませんか?」
白川だった。彼からこちらに混じりたいと要求してくることは、今までにはないことだった。だからその新鮮味に沈黙してしまったのだが、真っ先に桐崎が首を縦に振る。
「もちろんです!一緒に行きましょう!」
からっとした笑顔につられて、俺達も彼を歓迎する。委員長の白川と共に行動することは、これまでにはあまりなかった。しかし、人数は多い方が楽しいに決まっている。
「それじゃあ、何から行く?」
俺から切り出すと、茅野が「あっ、俺はアレがいいっす!」と指を差した。……差した方向には、絶叫系のジェットコースター、『シャイニング・ウォーター』が。
「……あ、あんたマジですか?初っ端からそんなハイなやつを選ぶとは───」
藤枝が真っ青な顔で震えていた。……そういえばこいつは、中学の頃からこういうのは大の苦手だったっけ。なるほど、たしかに初手からジェットコースターはキツイだろう。
「初っ端だからこそ、飛ばしていくんす!派手に騒ぎましょうよ!」
「んがぁぁぁ離せぇ!この軽音バカァ!」
拒否反応に暴れる藤枝を、茅野がキラキラとした瞳で腕を引っ張る。……なるほど、こいつらの関係性は未来永劫こんな感じだろう。
「それなら、僕も乗りましょう。ジェットコースターなんて、何年ぶりでしょうか……」
白川も同意すると、今度は桐崎が挙手をした。
「わっ、私も乗ります……!」
「けど、大丈夫なのか……?」
俺が心配の声をかけると、彼女は「た、多分……」と弱々しく返す。しかし次の瞬間にはもう、強気で健気な表情をしっかりと浮かべていた。
「体の弱さを理由に、皆さんと共に楽しむことができない方が辛いです。だから、私もこれに乗ります!」
「そうか。……なら、無理だけはするなよ」
「はい……!」
頷き合い、俺達はさっそく受付に向かいジェットコースターに乗った。……そこからの記憶はあまり思い出したくない。それは俺の想像の倍ほどはキツイものであったから。
終わったと同時に降り出すと、一同はヘトヘトになっていた。……特に藤枝。彼はもはや瀕死状態のマグロである。
「……お、鬼……っ」
振り絞って吐き出した感想に、俺は頷く。
「……間違いないな。これは、もうジェットコースターなんかじゃ、ない───」
互いに顔を真っ青にしていると、弱った白川もまた眼鏡の位置を直し呟く。
「こ、これは凄かったですね……。もう一日分の体力を使い切ったまでありますよ」
「いやー、でも陽動としては最適だったっす!」
「お前は神経が大根くらい太そうで何よりだよ!こっちは三途の川にダイブしたんじゃないかってくらい死にかけたのに!」
へらへらとしている茅野に、藤枝がそう叫んでいた。たしかに、茅野はこの手の体力系においては群を抜いて図太い男だ。細身のわりに、どこまでも楽しむタイプである。
「……私も、とても楽しかったです!こんな風に大勢でのジェットコースター、初めてでした!」
「あれ、花ちゃん───意外と平気だった?」
藤枝の問いかけに彼女は頷いた。……体の弱さを考慮して、俺も彼女を乗せていいものかと悩んではいたが、どうやら杞憂だったらしい。
「皆さんも、花ちゃんを見習うっす!次、行きましょう♪」
───それから俺達は、このまま五人で園内を動き回り、様々なアトラクションに行くのだった。……本格派お化け屋敷、ドライブ、鏡迷宮、トラップ遺跡。そのどれもを彼女と過ごし、一日を過ごしていく。
そうして夜八時頃になると、辺りはすっかりと暗がりに落ちていた。園内にある光は、月明かりとテーマパークの電灯……それらが照らすリゾートランドは、幻想的世界にさえ見て取れた。
「……ラスト一時間か。早いもんだな」
広場にてジュースを口にしながら呟く藤枝。すると俺はそこで、二人の人影がないことに気がついた。
「あれ……白川と桐崎がいないな。どこ行ったんだ?」
「ん……?そういえばさっきから見当たらないっすね。お手洗いっすか?」
わからないが、もしも二人が一緒にいるのなら安心だ。とりあえず下手に動くのも良くないので、ここで待機しているしかないが───。
「もうすぐフィナーレのコレも始まるってのに……あの二人、間に合うのか?」
藤枝の声に、俺もその方向を向く。……気づけば俺達の背後には大勢の人集りができており、その規模が、このイベントへの期待を表していた。
───プロジェクターマッピング、今日一番の催しだ。
2
「すみません。このように連れ出してしまって」
「いえ、私は大丈夫ですよ。でも白川くん、お話というのは……?」
「───。ええ、少し。あなたに伝えたいことがあるのです」
そう口にする彼の表情は、どこか感傷に浸っていた。しかしやがては伝えなければならない言葉を、もう喉元にまで届かせる。そして、
「───あの頃のあなたがいたから、今の僕ができたんです。今日はその感謝がしたく、呼び出しました」
「……あの頃?」
鈴の音のような声色で、彼女はそう首を傾げる。そのリアクションを受け取り、白川は頷いた。
「中学三年の受験期……あの日、僕が図書館に向かう途中に、あなたに出逢ったんです。弱ったコスモスを眺めて、それに一喜一憂するあなたを、僕は覚えていました」
「……!もしかして、白川くんだったんですか……?」
「───はい。そして今やっと、再会できました。これは紛れもない奇跡だと思っています。……あなたと茅野くんが再会できたことと同じ、神様から僕達への、奇跡」
「……知っているんですか?茅野くんのこと」
「はい、彼から相談を受けていましたから。その頃から僕も、あなたと出逢ったときのことを思い出し始めたんです」
「───」
そして、彼は一番言いたかったことを、ようやくそこで口にした。
「───あの日の脆かった自分を、心の底から支えてくれて、ありがとうございます」
「……お、大袈裟ですよ。私はただ、自分を大事にしてほしいって、心にゆとりを持ってほしいって、そう考えていただけです」
「それでも、僕にとっては救いの手でした。受験期の僕は、本当に張り詰めていましたから……。とてもとても、心に余裕なんてなかったかもしれません」
「そうだったんですね……。私の一声で、助けられたのなら、本当に良かったです」
はにかみ、彼女はそれだけを伝える。
思えば彼女は、様々な人間を動かしてきた。
小学生の頃に出逢った茅野には、前に突き進む熱を与えた。
中学生の受験期に出逢った白川には、心の余裕を与えた。
そして、ここで出逢えた榎並と藤枝には───過去を断ち切る力を与えた。
そのすべてが彼女の恩恵であり、そのすべてが彼らを救ってきたのだ。
「……っ、」
そこで彼女は───涙を浮かべて立ち尽くす。その前触れのない泣き顔に、白川は目を丸くして動揺した。
「ど、どうしましたか?……なにか───」
慌てながらも、問題点を探す白川であったが、桐崎は落涙の中で……静かに言った。
「───こんな私でも……誰かを救えること、あった……。そう思ったら、つい、泣いてしまいました……」
「───。はい、ちゃんと救えていますよ。皆があなたに、感謝しています」
落ち着きを取り戻し、白川もまた静かに、彼女に向けてそう伝えるのだった───。
3
「あっ!花ちゃんと委員長がやっと来たぞ!」
「遅いぞ二人ともー!もう始まるって!」
向こうから桐崎と白川の姿が現れると、クラスメイト達が声を上げる。……ギリギリ間に合って来たようだ。
「おいおい委員長ー!花ちゃんを連れ回すとはいい度胸だな!?」
「ははは、すみません。……でも、間に合って良かった」
宥めながらこちらに到着する二人を、クラス全体が囲む。サッカー部とラグビー部とバスケ部辺りの運動部集団がゾロゾロとし出すと、互いに持っていた不満を爆発させるのだった。
「ったく、榎並達が花ちゃんを連れ回したおかげで、日中は全然花ちゃんと一緒に動けなかったからな!せめてクライマックスのここだけは、俺達が独占させてもらう!」
それは独占とは言わないのでは……そう思ったが、彼らがいいならそれでいい。とりあえず最後の最後はクラスでまとまり、フィナーレのプロジェクターマッピングを楽しむことにする。
「……榎並くん、隣───いいですか?」
「……え?あ、ああ」
「「はぁぁぁ!?そういう関係っ!?」」
彼女の要求に、クラス全体が騒ぐ。……大胆に攻める彼女に、誰もが阿鼻叫喚を主張した。
「むむむ……もうそんなところまで」
「おのれ榎並ぃぃぃ……この怨嗟は必ず!」
また一つ、怨みが増えた……。しかしそういう騒ぎようも、今となっては良いものだ。俺と桐崎は、正面の城を眺めていた。
───そうしてやがて、最後のショーが始まる。
辺りは完全な暗がりに包まれ、俺達の声も、クラスメイト達の声も、人々の声も、そのすべてがボリュームを下げて無になった。そして煌めく、何色もの光と彩りが───夜の世界を、艶めかせる。
「───ねえ、榎並くん」
無音の世界に響いた、彼女の声に触れた。彼女はその綺麗な横顔を、ゆっくりとこちらに向ける……。その徐な動きのすべての仕草が、スローモーションに支配され繊細となる。
「───私……好きです」
前にも聞いたような言葉だった。だからなのか、俺はつい苦笑してしまう。
「どっちが?」
そんな風に、意地悪するように、尋ねた。そうして彼女はからっと笑いながら、無邪気に答える───。
「───想像に任せますっ」
───男子校に女子高生、そんなハチャメチャな日常は、これからも賑やかすぎるくらいの騒がしさで、続いていく。
彼女と彼らで、続いていく───。
男子校に女子高生っ! 抹茶ネコ @mattyaneko
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