第19話 あの頃のあなたに

───息を切らした彼女は、病院内を足早で駆け昇る。その背中を俺も追うものの、やはり彼女の方が数歩必死な様子を見せていた。


……茅野への見舞い、それがようやく許可されたのだ。木内の口からそれを聞かされた桐崎は、後先考えずといった様子で放課後になると同時にここへと向かったのだ。心配になり、俺もこうして同行しているわけなのだが───。


「……はぁっ、はぁっ───、っ!」


似ていた。かつての俺と───あの日、集団に袋叩きにされ入院した藤枝のもとへと向かう俺の姿に、酷く。


だから彼女も、こうして今、大切な人間のもとへと……急ぐ。阿鼻叫喚を抱えた細身で、精一杯に。


「───茅野くんっ!」


彼の病室を見つけ、桐崎は躊躇わずにそのドアを開ける。威勢よく開いたそれは、釣り合った物音を室内の彼の耳にも届けた。



「……は、花ちゃん?」



「か、茅野……くん、」


対面した彼らは、互いに互いの顔を見やる。片方は戸惑い、そして片方は……安堵と心配の色に満ちていた。その色が解けずにいた彼女であったが、やがて一歩を踏み出すと、彼の容態を確認し安堵する。


「良かった……。本当に、良かったです」


「……あ、その───心配かけちゃって、ごめんなさいっす。俺、いろんな人に迷惑をかけちゃいました」


「……でもなにより、お前が無事だったのが一番だ。迷惑なんて、そんなこと何もない」


俺がそう付け加えると、茅野は「……ありがとうっす」、と弱々しくはあったが頷いてみせた。ベッドの上に腰掛ける彼はいつものような陽気な生気はない。……が、それでも俺達がこの目で見て、安心できるまでは回復を遂げていたのだ。桐崎はそんな彼の正面までくると、その体躯に顔をうずめ口を開く。


「……とても、とっても、かっこよかったです……!ちゃんと、見てました。あの日、あのステージの上で、茅野くんがマイクを手にして、仲間と一緒に、魂を込めてライブをしたことを……!だから、だから───!」


「───」


堰を切って溢れ出す、彼女の身の内に秘められた想い。それは瓦解したダムのように水を放流し、彼の胸に刻み込む。その言葉を、声を、沈黙した空気が支えていた。



「───あなたと昔に出逢えたことを……ちゃんと思い出すことが、できました……!」



「───は、なちゃん、」


涙を溜めた瞳が、彼の顔を射抜く。そこで茅野はハッとしたように呼吸を荒くし始める。それが念願を果たせた彼の、確かな躍動であったのだ。


「……after world、そっくりでした。見えない明日を、全力で生きていけるように、ちゃんと背中を押してくれる───そんなものが感じられたんです……。茅野くんは、やっぱり茅野くんだったって、そう、思えたんです……」


「───。じゃあ俺は……ちゃんと君の、『ヒーロー』に……なれたっすか?」


「───っ、はい……!はい……っ!」


彼の言葉に、彼女は涙を拭って力強く頷いた。いつの間にかその涙の陰に、小さな陽の光のような笑みさえも浮かべて───花のように、明るい蕾を咲かせ始める。



「……それなら、良かったっす……!」



彼女の笑顔だけを報いにしたくて、彼はここまでをやり遂げたのだ。だからこれはきっと、茅野にとっての達成───紛れもないゴール地点であった。


もう二度と逢えないものだと感じても、一縷の奇跡だけを信じて、軽音楽部に入り、仲間を作り、曲を生み出し、練習を積み重ね、そして……ようやく、奇跡を得た。


桐崎 花と再会できたときの彼の心境は、想像に難しい。それは歓喜であり、感動であり、文字通りの運命だと思ったのだろうか……。だからこそ彼は、あの文化祭でステージに立ち、彼女に向けて届けたのだ。


───無くなった彼女のヒーローを……もう一度だけ再現するために。


「───ありがとう……茅野くん、本当に……ありがとう……ございます……!」



───彼女の声だけが、響くように病室内を泳いでいた。

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