第18話 それぞれの想い

俺の口からすべてを聞いた彼女は、しばらくの間口を開かなかった。ただ絶句し、唖然とし、その物語への感想を言えずにいる。


「……これが俺達の歩んだ道だ。聞いて気分の良いものじゃないだろうが───桐崎には、話してもいいと思った」


「───、なんて言っていいのか……正直、わかりません。ただ話してくれたお二人には、まずはお礼を言います」


「いや、いいよ。深く知りたいっていうのは悪いことじゃないし、友達の考えることとしてなら普通だ」


俺の言葉に藤枝が頷いた。ただ彼からはむしろ、全部を話せて良かったというような、スッキリとした表情も垣間見える。


「花ちゃんには負けたよ……。こうしてテニスに誘われて、いざやってみたらめちゃくちゃ楽しくて───感謝してるんだ」


「藤枝くん……」


「過去は過去って割り切れたのも、榎並と───花ちゃんのおかげなのかもしれない。前に進めてるのも、これからも進められそうなのも、ね」


彼は目を細めて、ふっとしたような表情を見せる。それに対して、桐崎はどこか安堵していた。


「ま、支えすぎてもダルいんだけどな」


「あなたねぇ!ちょっとは場の空気を読みなさいよ!」


───どうやら、俺の発言ですっかり雰囲気が壊れてしまったらしい。……それでも、こっちの方がやっぱり、今の俺達には合うのかもしれない。


俺もどこか、彼女のおかげで吹っ切れた気がしたから───……。




2

───夜風に当たっていると、隣から何かが差し出された。それが冷えたグレープジュースのペットボトルだとわかると、次に見えたのはそれを差し出している彼女の横顔である。……彼女───男子寮の管理人、宮原さんの微笑んだ表情が。


「どうした委員長?ずいぶんとクールな顔しちゃってさ」


「……いえ、少し考え事をしていたもので」


「考え事?もしかして、桐崎ちゃんのこととか?」


「……。お手上げです、その通りですよ」


降参したように、一字一句思考を読まれた白川は苦笑した。受け取ったジュースを一口だけ呑むと、彼はそのまま三階のベランダから見える夜の景色を一望する。


「……桐崎さんは、今ではクラスの華です。誰からも愛され、誰からも信頼され、誰からも望まれる───言わば、アイドルのような存在です」


「そりゃあ、うちの連中を見てればわかるさ。飢えた獣みたいな騒がしさだよ」


「───もしも、の話ですが……僕はもしかしたら、」


そこで彼は区切ると、金を放つ月を見据えて静かに言った。



「───彼女と昔に、会っています」



「……会ってる?へえ、いつどこでだい?」


そこから興味を持った宮原は、彼の目線の先を探すように夜風に吹かれる。白川は思考の旅の果てに、静かに頷いていた。


「あれは、そう───僕が中学生の頃でした」


そうして語り出した彼は、ただ純粋に、在りし日の残骸を見据え始める。形の良い瞳は弓を引くように細められ、遠くの虚空を収めていた。



───彼と彼女の物語が、語られる。




2

受験期の冬は、張り詰めるような冷気を突きつけていた。道路には雪が降った痕跡がいくつも見受けられ、季節の主張を貫くばかりである。


最近の受験生のトレンドは、どれもこれもが受験一点についてだった。受験校の偏差値だとか、滑り止めだとか、倍率だとか───そんな話ばかりであった。それは何も学校の中だけでの話ではない。プライベートの家の中、安息の時間にさえそれは割り込んでくる。……現に自分の家がそうであるように。


その日の放課後も図書館に向かっていた。帰り際なので学ランのまま、マフラーに手袋と防寒対策をしている。この時期に体調を崩すのは、命取りになり得るからだ。


「……」


すぐに曇ってしまう眼鏡を拭くのすら億劫で、そんなことさえも面倒に感じてしまう。ただそうあれとプログラミングされた機械のように、この脚は前へ進むのだ。


淡々とした頭で歩いていると、なにやらアスファルトの道の端にて座り込んでいる少女の姿が見えた。服装は中学校の制服で、印象としては同い年のように感じられる。


なんの変化もない日常に、そのような異常が見つけられたのだ。ふとその脚は立ち止まり、少女のしている行為を確かめたくなった。


彼女の目線の先を見やると、そこには一輪の花が咲いていた。……コスモスだろうか。弱々しく、今にも風に吹かれどこかへと飛んでいってしまうような見た目であった。彼女はそんなものを見て何をしているのだろうか───。ふとそんなことを考えてしまい、ついその動向を伺っていた、その矢先であった。



「───あ。す、すいません……お邪魔でしたか……?」



こちらに気づき振り返ると、彼女はそんな風に動揺していた。


「いえ……大丈夫です。こちらこそ、覗き込むような真似をしてすみません」


「私は平気です。……ただ、この子が弱っていたので───」


「そのコスモスですか?根元が脆くなっていますね……」


「───ですよね。どうにかできないでしょうか……」


「───」


正直に驚いた。彼女のような年齢の人間が、このような一輪の花に興味を引くだなんて。普通はそんなことはしないだろうし、何よりそこまでのピュアなものを持つ人間さえも少ないだろう。……だからこそ、どこか肝を抜かれてしまった。


「最近の皆さんは……受験のために必死です。それはとても立派なことで、誇るべきことだとは思いますけど───でもやっぱり、張り詰めすぎるのも大変だと思うんです」


「……あなたは、何年生なんですか?」


「あ、えっと……その、実は私も、三年生なんです。だから普通は受験のために頑張るはずなんですけど、昔から体が弱くて───多分受験は、受けられないと思います」


「……体が。そうだったんですね……」


事情を察すると、それ以上は深くは詮索しなかった。もしかしたら彼女の傷を抉るかもしれないし、赤の他人の自分が根掘り葉掘り聞くものでもない。だからそこからは無言を保っていると、やがて彼女は口を開く。


「……でも、同級生の友達の合格を、応援することはできます。───ふぁいと、おー!って、大声を上げてすることはできないですけど……せめて、心の中でだけでも」


「───。そうですね、良いことだと思います」


なぜか微笑んでしまい、自分の表情が崩れていることに気づいた。はっとしたときには、彼女もまたそれに反応し微笑み返している。……なんだかもどかしい時間が、優しく過ぎていた。


───その少女と一年半後に再び出逢うなど、思いもしなかった頃の話だ。

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