第5話 背中

「魔光蟲ね……」

 私とレムスから、噴水と魔道灯の出来事の報告を受け、グレームス室長の顔が険しい。

 たぶん、帰り支度を始めていたところだったのだろう。あんなに積まれていた書類は片づけられて、実験道具なども棚におさめられている。非常に心苦しい。

「なぜそのようなものが、宮中にいるのだろうか? あれは、レーゲナスの森に生息していたはずだ。レーゲナスの森は、馬でも二日かかる距離だぞ? 風にとばされてきたにしては、遠い」

 室長の言うとおりだ。

 レーゲナスの森は、帝国の辺境に位置する。帝都に達するまでに、山、川を越えねばならず、渡りに渡ったとしても、他の周辺の都市で魔光蟲を見たという報告は受けていない。

「理由は全くわかりません。ですが、一匹ならともかく、この一日で三匹も発見したのですから、何か対策は必要です」

「問題は、魔光蟲がいたことより、魔光蟲が、魔力を喰らって大きくなるということかと」

 レムスは、先ほど封印した魔光蟲の入った魔存器を室長の机の上に置いた。

「特に、最初に発見した魔光蟲は、大きな力を放って破裂しました。あれは、ちょっとした兵器になりかねません」

 封印が終わっていたのに、かなりの衝撃があった。封印が間に合わなかったら、大変なことになっている。玄関ホールのこともそうだ。

 もしも狙って、放ったのであれば『テロ』である。

「魔光蟲の生態は、あまり詳しく知られていない」

室長は眉根を寄せた。

「そのような危険なものなら、とりあえずこのことは、外部に漏らしてはならん。いずれ、レーゲナスの森への調査や、立ち入り制限も必要だ」

 推測にすぎないが、魔道具の魔力を喰らって、巨大化し、最終的に破裂するというのならば、とてつもなく危険である。

「魔光蟲は、それほど珍しい生物ではない。ただ、発光する様子が珍しいため、過去に幾たびか、森で採取し、持ち帰ろうとした者は多いと聞く。しかし、レーゲナスの森のエーテルを糧に生きるため、森から離すと、すぐに死んでしまうと言われてきたのだが……」

 室長は大きくため息をついた。

「とりあえず、この件は憲兵総官や、学者連中にも話さねば」

 どこから魔光蟲がやってきたのだろう。

 自然に飛んできたにせよ、持ち込まれたにせよ、対策は必要だ。

「しばらく、残業が続きそうだ。覚悟しておけ」

「……でしょうね」

 レムスが、苦笑しながら頷く。

「捕らえた魔光蟲の分析を頼む。もっとも、ノーマルな個体についての分析がなされていないから、比較等は難しいが……」

「了解です」

 私は頷き、先ほど書いた宿泊希望の書類を室長の前に置いた。

「……随分、準備がいいな」

 室長が苦笑し、ペンをとった。

「ジェシカは、帰った方がいいんじゃないか? 顔色悪いし、足も痛いだろう?」

 レムスが横から口をはさむ。

「こんな状況で、家に帰っても安心して休めないわ」

「……ジェシカは、仕事人間だからな」

室長はすらすらとサインを記入した。

「ただし、休むべき時は、休め。ジェシカに倒れられると、困る」

「……はい」

「家に帰るより、職場のほうが休めるなら、宮廷の寮に入ってもいいんだぞ?」

 室長の目が私をじっと見る。

 相変わらず、室長は鋭い。私が家に帰ると居場所がないのではないかと、危惧してくれているのだ。

「おい、それ、どういう意味なんだ?」

「そのようなことはありません。ただ、この状態で家に帰ると、たぶん、当分仕事に出られなくなるかと」

 話についていけない様子のレムスを、私は無視をする。説明するのが面倒だ。

「……ああ、そうだな。それはまずい。もっとも、お前のためには、その方が良いかもしれないが」

 ふっと室長の目に笑みが浮かぶ。

「ジェシカの妹、いや、妹の婿としては、義姉に過労死されては世間に顔向けが出来ぬであろう。少しは、義弟のためを思って、仕事を休むことも必要だぞ」

 私の妹の婿は、優秀な事務官だ。義理堅く、生真面目が服を着ているような男で、価値観もずいぶん古い。私が働くことに反対ではないが、妹だけではなく、姉の私をも自分が養わなければと思っているところがある。

「室長、言っていることが、矛盾しておりますが」

「まあ、そうだ。結論としては、お前に倒れられると困る」

 室長は軽く肩をすくめた。

「高く買っていただいて、嬉しいです」

「当たり前だ。役に立たない人間は、宮廷魔術師である必要はない」

 室長の表情は全く変わらない。おだてではなく、単純に本音なのであろう。

「魔光蟲の分析は、二人でやれ。急を要する」

「そのつもりです」

 レムスが頷くと、室長は魔存器をレムスの手に再び手渡した。

「ああ、ジェシカ」

 立ち去ろうとした私を、室長が呼び止める。

「例の話だが、この件の状況にもよるが、先方は、近日中にゆっくり会ってみたいと言っている」

「……はい」

 空気がピリリと痛くなった。

 なぜ、今この状況でそんな話をするのだろう。

 レムスの前で、そんな話をしなくてもいいのに。

 とはいえ。

 レムスにはもう話したし、彼には関係のない話だ。いや、むしろお見合いとなったら、私は休暇を取らねばならないかもしれないから、彼は知っておいた方が良い、という室長の判断なのかもしれない。

「忙しいとは思うが、ドレスを新調するといい。明後日、妻の懇意にしている仕立て屋に来てもらう予定だから」

「え?」

 そこまでしてもらわなくても、と思うが、間に立つ以上、室長としても私にきちんとして欲しいのであろう。

「ドレス代は、ご祝儀代わりに私が持つ。しっかり着飾れよ」

「……ありがとうございます」

 私は頭を下げる。

「相手は、どんな男なんですか?」

 いささか不機嫌にレムスが口をはさむ。

「私が見たところ、ジェシカの相手に申し分ない男だよ」

 室長はレムスに答えた。詳細を話すつもりは、ないらしい。

 そもそも、私も、相手の名前をまだ聞いていない。

 本当なら、きちんと聞くべきであろう。どこの誰で、仕事は何をしているのか。趣味は何か、何が好きで、何が嫌いなのか。

「お会いできるのが、楽しみです」

 私は微笑する。

 よく知っている人間を忘れるために、新しい誰かを一から知るのもまた、恋なのかもしれない。

 室長は、そんな私を見て、ふむ、と頷いた。

「ところで、宿泊届けは、ジェシカだけでいいのかね?」

 唐突に、室長はレムスに話を振る。レムスは不機嫌そうな顔のままだ。

「……俺も、泊まります」

「では、手続きしておこう」

 私が泊まって仕事する以上、レムスとしても、泊まらないわけにはいかないのだろう。事態は急を要するとはいえ、悪いな、と思う。

「ごめんね。付き合わせることになって」

 室長の部屋を出ると、私はレムスに謝罪した。

「いや、時間がないから」

 レムスは呟く。

 確かに、魔光蟲の件は緊急性を要する。

「そうね……」

 身体の方は、事態の深刻さのおかげか、だるさを感じなくなってきたけれど、足の痛みは消えてくれない。私の歩みは、どうしても鈍くなる。

「妹夫婦と、うまくいっていないのか?」

「え?」

 ポツリと向けられた質問に、私は苦笑した。

 先ほどの、室長とのやりとりのことだろう。

「ううん。そんなことはないわ。逆に、大切にされすぎちゃって、申し訳ないのよ。妹達は、私に楽をさせたいみたいなんだけど、私、仕事しているほうが気楽なのよね」

 長年、食べていくために働いていたのは事実だけど。

「縁談は、単純に私の心境の変化よ」

「変化?」

「……仕事以外の人生も、考えたほうがいいかなって思ったの」

 嘘ではない。

 今までの自分は、何もかも仕事中心に回りすぎていた。そう、恋でさえも、職場から離れることができないものだった。

 もっと、仕事と、それ以外は分けて考えるべきだ。

「仕事以外の人生、ね」

 レムスはポツリと呟く。

「俺は、仕事の方に分類されるのか?」

「へ?」

 咄嗟にどう答えて良いのかわからない。

 レムスはじっと私を見つめている。

 胸がドキリした。

「……いや、答えなくていい」

 レムスは私から視線を外し、頭を振った。

 魔道灯の灯に照らされて、十分に明るいのに、その表情の意味は読み取れない。

「ジェシカのドレス姿、か」

 先ほどの室長の話だろうか。

「似合わないでしょ」

 私は苦笑する。

「そうは、言ってない」

「言葉ではね」

「だから、そんなふうに思ってない」

「……ありがとう」

 お礼を言うのもおかしいけれど、どう答えていいのかわからない。

 着飾ったら、少しは私を女性として見てくれるのだろうか。

 でも。

 女性として接して、それでも、やっぱり結論が親友でしかないとしたら、もっと立ち直れない気もする。

「ところで、本当に体調は大丈夫なのか?」

 研究室の入り口までたどり着くと、突然、レムスが話を変えた。

「足はまだ痛いけど……大丈夫よ」

 突然レムスの手が、私の額に置かれた。

「熱はないみたいだが……」

「平気よ」

 レムスの手が、私の頬へとゆっくりと撫でながらおりる。

「ジェシカは……俺に、『大丈夫』とか『平気』としか言わない」

「……そんなこと」

 レムスの目が私を射る。何もかも見透かされそうで、怖い。

「どうしたら、お前に頼ってもらえる?」

「頼るって……私、甘えすぎだと思うわ」

 私は苦く笑う。離れなければと思っているのに、そばにいるのが当たり前のようになっている自分がいる。

「……ごめん」

 レムスの手がゆっくりと私から離れていった。

「そんな顔をさせたいわけじゃないんだ」

「え?」

 どういう意味なのだろうか?

「気にするな。多分、俺のせいだから」

 レムスは背を向けて、自分の研究室のドアのノブに手をかけた。

「実験は、少し休んでから、始めよう」

 その背がとても寂しそうに見えたのは、私の気のせいだろうか。

 でも、その背中は、私のものじゃない。

 手をのばせば届くはずのレムスとの距離が、とても遠くに感じられた。

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