第4話 魔光蟲
「やっぱり、痛いし、少しだるいかな」
私はため息をつく。
足を痛めただけでなく、水をかぶったせいだろうか。少しだるい。
宮殿勤めとはいえ、私達は『通い』だから、当然、家は宮殿の外だ。
もちろん仕事柄、宿直というのもあるし、研究が遅くなると研究室に泊まることもある。
「……帰るの、やめようかな」
歩くのが何より苦痛だし、このだるさは、少し寝れば治るレベルだろう。何より、家に帰るのがおっくうだ。
泊まるとなると、事務局で申請を出す必要があるが、出してしまえば、家へも連絡してもらえるし、軽食を差し入れてもらうことも可能だ。帰ることを考えたら、歩く距離は随分と少なくて済む。それに、私は現在、新婚の妹夫婦と同居状態だ。お邪魔虫状態だし、妹は滅茶苦茶心配性で、だるいなんて言おうものなら、それこそベッドから出してもらえなくなってしまう。
「うん。そうしよう」
どのみち、魔存器にはいった魔光蟲について調べなくてはいけない。
そろそろ夕刻だ。
私はわずかに開いていた窓を閉めようと、窓際に立つ。
この建物は、宮殿の別棟で、窓は宮殿の裏側に向いている。ちょうど、宮廷の厨房の通用口などがよくみえる角度だ。この時間は、もう料理を始めている時間なのだろう。材料を運び入れる業者の姿などは見えない。
「……レムス」
戸口のそばで、レムスが可愛い女性と話をしている。
彼女の名は、コーデリア。宮廷の料理人の一人だ。宮廷の料理人というのは、男社会なのだが、そんな中で、大抜擢されただけあって、実力はこの国でも指折りという話である。
金の長い髪を丁寧に縛り上げ、調理用の白衣をまとっている。
遠いからとても話は聞こえないけれど、二人とも笑顔で、楽しそうだ。
私は、胸に苦いものが広がるのを感じながら、そっと窓を閉めた。
コーデリアは、とても素敵な女性だ。愛らしくて、美人で、それでいて自立している。話していても、ユーモアがあって楽しいひとだ。順風満帆な人生のように見えて、実は苦労人でもある。
レムスは、食堂の厨房に入っている魔道具を扱っている。だから、二人が親しくても何の不思議もない。
ドレスアップした二人が、親しげに帝国でも指折りのレストランに入っていくのを見た時、私は自分の恋が叶わないことを知った。
レムスは、遊びで女性とつきあう人ではないし、彼女ならお似合いだ。くだんの店は、職務上の付き合いしかない異性と二人で行くには、高級すぎる。仕事がらみであれば、二人きりということはないはずだ。ひがむわけではないが、私は客として入ったことすらない店である。レムスから聞いたわけではないけれど、友達の付き合いではないだろう。
胸が痛い。いつか二人を祝福できる日は来るのだろうか。
そうしたい気持ちはないわけじゃない。お似合いだとは思う。レムスだけでなく、コーデリアにも幸せにはなってほしいと思う。でも、まだ無理だ。そして、そんな自分が嫌になる。
この陰鬱な気持ちは、体調のせいかもしれない。申請が終わったら、すぐにでも仮眠すべきだ。
私は足を引きずりながら、部屋を出る。
事務局は、玄関ホールの手前だ。玄関ホールは吹き抜け構造になっていて、かなり広い。そして、入ってすぐに事務局のカウンターの前を通らないと各研究室に行けない仕組みだ。
「ジェシカ、無理して歩いてきちゃダメじゃない」
事務のエルザが、カウンターのむこうで、腰に手を当てて私を叱る。彼女は、既婚者であるにもかかわらず、宮廷勤めをやめていない、この国では珍しい職業婦人だ。
働く理由は、借金なんかも絡んでいるらしいけれど、彼女は有能だから、仕事を続けてくれているのは、非常にありがたい。私の数少ない同年代の職場仲間である。
こげ茶色の長い髪を後ろでくるりとまとめて、いつもきりっとして、素敵だ。
「用事があるなら誰か呼びなさいよ」
「……そこまでひどくないって」
私は苦笑する。
実は人を呼ぶための呼び鈴も各部屋についていたりする。でも、魔力を消費しないといけないのだ。だから、実験するときは使いたくない。まあ、今日は、それほど大きな実験をするつもりはないけど、習慣というやつだ。なんか、魔力がもったいない。
それに、あのまま部屋にいたら、やっぱり窓の外が気になってしまう。
「今日、こっちに泊まる申請書を出したいんだけど」
「いいけど、足は、大丈夫なの? それに、顔色もよくないみたいだけど」
書類をだしながら、エルザは私を気にしてくれる。
「帰る方が大変だもの」
「家に帰って、しばらくお仕事を休めばいいのに」
正論ではある。
「そうもいかないわ。折れたわけでもないから」
ちょっとひねっただけだ。しかも、私はそれほど激しい動きを要求される仕事をしているわけではないのだし。
「でも、ラムダス
「大袈裟よ」
どう考えても、そこまで酷くはないだろう。
確かに、軍の魔術師なら、行軍に参加したりするから、少しのケガも体調不良も軽んじてはいけない。
でも、宮廷魔術師の仕事は、基本、研究で、魔道具のメンテナンスをする程度。まれに宮廷内の魔術トラブルに対応することもないわけではないが、そんなに多いものではない。通常の仕事なら、全然、問題なくできる状態だと思う。
「そもそも、あれだけ派手なパフォーマンスでここに戻ってきたんだから、あなたが怪我をしたことはみんな知っているのに」
「……やめてよ」
あの時のお姫様抱っこのことを言っているのだ。私は苦笑いを浮かべる。変な噂になったら、本当に困る。
レムスだけじゃなく、コーデリアにも迷惑だろう。
「随分と表情が暗いわね。ようやく、まとまったのかと思ったのに」
エルザはため息をついて、頭を振った。
「あなたたちは本当、よくわからないわ……ところで、食事は、どうするの?」
「いつもので、お願い」
食べに行くという選択肢は、いつもならともかく、この場合はない。
事務局に頼むと、軽食を食堂から届けてもらえることになっている。
「そうそう。医務局から薬が届いていたわ」
「ありがとう」
私は申請書類にサインする。
この書類に、室長のサインが入って初めて、宿泊の許可が下りることになるんだけど、後の手続きは事務局のほうでやってくれることになっているのではあるけど。
「室長のところには、私が持っていくね」
「……なんで?」
呆れたように、エルザが首をかしげる。
「噴水の件の報告に行かないと」
「それこそ、今日じゃなくてもいいと思うけど?」
「結論的にはたいしたことはなかったけど、一歩間違ったら大事故になっていた可能性があるもの。報告は大事よ」
「ジェシカって、本当にまじめね」
ふうっとエルザは息を吐く。
「無理しちゃダメよ」
「してない、してない」
私は笑いながら、エルザから薬を受け取ると書類を手に、元来た道を戻ろうとして、ふと、玄関ホールの照明の明かりが弱いことに気が付いた。
玄関ホールは吹き抜け構造になっていて、照明の位置は、かなり高い。見上げた位置にある大きな魔道灯はすでに点灯されているが、あたりはどこかうすぼんやりとしている。
嫌な予感がして、私は、荷物を脇において、点灯用に作られている壁際の梯子に手をかけた。
照明には、天井近くのキャットウォークを通っていく形だ。やや高くて狭いが、躊躇するほど歩きにくいものではない。
魔道灯の傍までやってきたとき、私は足の痛みを忘れるほど、背筋が震えた。
魔光蟲だ。それも、二匹もいる。
さきほど噴水のところで見たもののように、通常よりもサイズが大きい。
「ジェシカ?」
下から驚いたようなレムスの声。
「魔光蟲がいるの」
私は蟲から目を外さず、階下に向かって叫ぶ。
「待て! ジェシカ、そっちへ行くから」
「このまま、封印するわ」
今のところ大きさに変化はないが、いつどうなるかはわからない。
風の魔術で穴から引き上げるうちに、みるみる大きくなったことも考えると、下手に魔術を使わない方がよさそうでもある。エーテルを食料とすると聞いているが、魔術そのものからもエネルギーを得るのかもしれない。
私は封印の呪文を唱え始める。二匹まとめるのは、かなり乱暴ではあるが、それほど難しい呪文ではない。
封印の呪文を始めると、蟲の身体がふるふると揺れ始めた。二匹の蟲は羽を震わせ、身を寄せ合い、しだいに大きくなり始める。
封印の魔術にも反応しているのだろうか? というか、封印するための魔術が食われている?
呪文の完成にこんなに時間がかかることがあっただろうか?
額に汗が浮かぶ。
「焦るな、確実に封じろ」
気が付くと、私の背を支えるようにレムスが立っていて、私の呪文を強化しはじめた。
やがて。
今回は、はじけることはなく封じ込めることができた。
ホッとしたとたんに、頭がくらりとした。身体がふらつく。
「無茶……しすぎだ」
ぶっきらぼうな言葉とともに、レムスが私の身体を抱き支えてくれる。
「その足で、こんなところまで登るだけでも無茶なのに」
「ごめん。迷惑かけて」
レムスの腕のぬくもりに安心感を感じながらも、私は離れなくては、と思う。
思う……けど。
「迷惑だなんて、思ってない」
情に厚いレムスのことだ。そうかもしれない。
でも、私は、欲張りだから。際限なく、甘えてしまいそうだ。
「その優しさは、残酷ね……」
腕に抱かれたまま、私は小さく呟いた。
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