異世界の図書館と、その番人

図書館内部へ

 朱莉と桃華は門を開けて進んだ。


 階段を上がるとすぐに、図書館の建物の入り口に着いた。


 図書館内部へと通じる鉄扉は、閉ざされている。


「勝手に閉じるタイプの扉なんでしょうか」


 朱莉が桃華を振り返って言うと、桃華は少しだけ嬉しそうに言う。


「まるで、ゲームの世界の中に入り込んでしまったようですわね」


「確かに、ゲームだと勝手に閉まるドアありますもんね」


 朱莉はそっと扉のドアノブに手をかけた。


 力を入れて開けようとすると、大きな音が響き渡る。


「なかなか大きな音のする扉ですわね。ゆっくり開けるのですわ」


 桃華の言葉に朱莉は頷いて、先ほどよりも用心して扉を開けていく。


 二人が通り抜けられるほどの広さまで扉を開くと、二人は中へ入った。


「これは……、かなり暗いですわね」


 図書館内部には広い空間が広がっていた。


 しかし、本来ならついているはずの照明は落とされ、辺りは真っ暗闇である。


 辺りを見渡していた朱莉は、小さな光を放つ物体を見つけた。


 傍へ寄っていこうとすると、大理石の床で大きな足音が響き渡る。


 足音を立てないように、ゆっくりと光のもとへ近づく。


 光の正体、それは小さなカンテラだった。


 誰かが置き忘れたものだろうか。


 そんなことを考えながら彼女はそのカンテラを手に取る。


 「僕を置いて勝手に進むなよ」


 ふと声がして振り向くと、そこには青ざめた顔の文哉が立っていた。


 後ろから桃華がやってきて腰に手をあてて言う。


「残念な勇者呼ばわりされるのだけは、嫌だったようですわね」


「僕の吟遊詩人としての名誉に傷がつくのは避けたいんだよ。さっさと行くぞ」


 そう言って、先に立って進もうとする文哉。


 しかし、少し進んだところで突然近くで何かが落ちる物音がした。


 悲鳴を上げて、闇の中へ消えてしまった文哉。


 桃華と朱莉は顔を見合わせる。桃華はため息をついて言う。


「仕方ありませんわ、二手に分かれましょう。奥へ行って文哉を探してみますわ」


「私は、旅人さんを探してみます」


 あまりこの図書館に長居をしてはいけない、そんな気が彼女にはしていた。


 この暗闇で一人ぼっちになるのは避けたいところではあるものの、仕方ない。


 そう思っての決断である。


 近くには、また一つカンテラが置いてあった。


 朱莉は桃華に元々持っていたカンテラを渡し、目に入ったカンテラを手に取る。


 そして桃華は文哉が走り去った建物の奥へ、朱莉は手前を探すことにした。


 カンテラを掲げてみると、大きな壁画が目に入る。


 かつての図書館を表した絵のようで、彼女は食い入るように見つめた。


 壁画には、自分たちの世界ではあり得ない、本たちの姿が描かれていた。


 本棚に収まりきらないくらいたくさんの本たち。

 

 空を舞い、自分が気に入る読者を探す本。


 様々な世界の、様々な物語を集めた本棚。


 世界に息づく生き物や空想の生き物たちの生態をまとめた図鑑や魔法道具の図鑑。


 美しい言葉、禁忌の言葉、それらを集めた辞書たち。


 そして、本だけではなく人や人ならざる者の姿も、描かれている。


 返却期限に厳しく、そしてすべての本を把握している司書。


 妖しくこちらへ誘う禁書が収められた棚と、口を閉ざした番人。


 本の中から飛び出す妖精たち。妖精たちのいたずらで、息づく本の住人たち。


 その壁画を彼女がしばらく見つめていると、絵が変化した。


 見渡す限りに広がる本棚。これは、図書館でよく見る光景である。


 しかし描かれた本棚すべてになぜか鎖がまかれている。


 鎖の周りには、規制対象と書かれた紙がいくつも貼られていた。


 そのため、本来見えるはずの背表紙の文字すら、読めなくなってしまっている。


 それらの姿を呆気に取られて見つめていた朱莉は、はっとした。


 本棚の上には、とぐろを巻いた蛇が居座っている様子が描かれている。


 金属のようなものでできた無機質な姿で、蛇は本棚からこちらを見下ろしていた。


 その姿がおおよそ、描かれたものではないように見受けられ、彼女は目を細める。


 金属の光沢が、まるで本物のように艶やかなのだ。


 絵の方に一歩足を踏み出した時、絵の中の蛇が動いた。


 たくさん本を読んできた彼女にとって、絵の中の物体が動くことは気にならない。


 しかし赤い機械の目で、こちらへと近づいてくるのは、想定外である。


 慌てて距離をとる朱莉の前で、機械の蛇は今にも絵の中から飛び出しそうだ。


 その時、一人の人物が壁画と彼女の間を横切った。


 その人物は大きなリュックサックを背負い、旅人のような恰好をしていた。


 街の人たちが探していた旅人だろうか。朱莉は旅人を見つめる。


 彼は、彼女の脇を通り抜けると本棚の本をじっと見つめていた。


 しばらくして、ふと本棚の本へ歩み寄り、その中の一冊に触れようとする。


 しかし本棚の鎖と、旅人の手が触れる前に機械の音声に妨害された。


『ケイコク、ケイコク。キセイタイショウノ、ホンニフレルコトハ、ジョウオウノ、メイニヨリ、キンシサレテイル。タチサレ、タチサレ』


 その音を聞いて、朱莉は壁画に視線を戻した。そしてぎょっとする。


 壁画の中から、機械の蛇がずるずると這いだしていたのだった。


 機械の蛇は朱莉には目もくれず、旅人のいる本棚の上へと移動して彼を見下ろす。


「それなら規制されていない本は、どこにあるんだ」


 そう旅人が尋ねると、機械の蛇はするすると器用に本棚から滑り降りる。


 そして、床をくねくねと滑りながら図書館の中央へと進んでいく。


 旅人はそれに続き、朱莉も旅人に気づかれないように後ろからついていく。


 案内されたのは、たった三列ほど並べられた本棚の前だった。


 その一つ一つに、少しずつ本が入っている。ここには、鎖はされていない。


 しかし本棚を覗き込んだ彼女は気づく。自分が求めるものは、ここにはないと。


 旅人も、どうやら同じことを思ったようだ。


「違う、探しているのは物語だ」


 そう告げる客に、機械の蛇の冷たい機械音声が告げる。


『モノガタリ、モノガタリ。……ソノヨウナコトバ、トウロクサレテイナイ。モノガタリ、ソレハ、ソンザイシテハイケナイモノ。ソノコトバヲ、シッテイルオマエ、キセイタイショウ。タイホスル、タイホスル』


 機械の蛇の目が先ほどまでより一層、赤く輝いた。


 本を横に並べた二冊分ほどしかなかった蛇の体。


それが、本十冊ほどの巨大な体へと変貌を遂げていた。


 そして、青ざめた顔の旅人に巻き付いていく。蛇の体はさらに大きくなっていく。


 恐怖で声も出ないのであろう旅人の顔を見ながら、彼女は思った。


 このまま放っておけば、旅人の命に危険が及ぶ。


 しかし、自分に何ができるのだろう。


 すると、旅人が朱莉の存在に気づいた。彼は、声を張り上げて言う。


「君、なんとかしてくれっ! 君は吟遊詩人なんだろうっ!?」


 そこで、機械の蛇の視線がこちらへ向く。機械の音声が闇に吸い込まれる。


『ギンユウシジン、キセイタイショウ、トウバツタイショウ』


 しかし、機械の蛇は増援を呼ぶ様子も、旅人から離れる様子もない。


「吟遊詩人なら、この機械蛇をなんとかできるはずだ、物語を作るんだっ」


『ギンユウシジン、ソコニイルノハ、ワカッテイル』


「そのカンテラを持っている限り、蛇は近づけない。何か手を考えてくれっ」


「このカンテラを持っていれば、襲われないんですか」


 朱莉の言葉に、旅人は頷く。


「そうだ、そのカンテラは強い魔力で守られている。古い本で見たことがある」


「でも私、今は物語を作ることができないんです……っ」


 朱莉の言葉に、旅人は言う。


「けれど今ここにいる吟遊詩人は君しかいない、君を頼るしかないんだっ」


 朱莉は迷う。しかし、今の自分には物語を作り出す力がない。だから尋ねた。


「物語を一から作らなくても、いいんでしょうか。物語を語ればいいんですよね?」


「そうだ、物語を話してくれるだけでいい。オリジナルである必要はないよっ」


 朱莉の言葉の内容を正確に理解してくれたらしい旅人は即答する。


 朱莉はそれを聞いて、頷く。そして、自分に言い聞かせた。


 どうして、物語を書くことができなくなった自分が、吟遊詩人に選ばれたのか。


 その理由は、今は分からない。


 けれど、吟遊詩人としての一歩を踏み出すとするなら、今ここが始まりだろう。


 彼女はそう、心の中で呟く。


 今目の前にいる旅人に手を差し伸べなければ、絶対後悔する。


 彼女は、無意識に自分の胸のネックレスをつかんでいた。


 本を象ったネックレスが淡い光を帯びる。


 そして彼女の手の中で仄かに温もりを放ち始めた。


 それが彼女の心に、決断の一歩を踏み出させる勇気をくれる。


 機械の蛇が頭をもたげたとき、彼女は叫んだ。


「物語を、始めましょう。私の知っている世界の、物語を!」

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