もう一人の吟遊詩人
朱莉は、桃華の作り出した物語に耳を傾けていた。
その時、突然朱莉の隣の席に気配を感じ、彼女は振り返る。
一人の人物が片肘をつきながら、足を組みふんぞり返って飲み物をあおっていた。
「キミ、よく桃華さんの作った物語を飽きもせず聞いていられるね」
茶髪の髪。胸元を開けたシャツを着こなした青年を見て、朱莉はげんなりする。
自分と住んでいる世界が違う人で、彼女の苦手とするタイプの人間だ。
「失礼ですわね。あたくしの物語だって、ちゃんとした物語ですわ」
「僕から言わせたら、それは物語じゃなくて、ただの独り言だよ」
「フミヤさんの言い分にあたし、賛成しちゃうかも……」
アリッサが口をはさむ。それを聞いて、フミヤという青年が鼻を鳴らす。
桃華はその様子を見て、少しだけ落ち込んだ様子を見せる。
その姿がどこか、自分と重なって。朱莉は迷いながら告げる。
「起承転結があって、誰かに伝えたい、その気持ちがあれば物語だと思います」
それを聞いて、フミヤというらしい青年が、両手をヒラヒラ振ってみせる。
「そんなの、人に見せるような代物じゃないと思うけどな、僕は」
「書き手が様々なように、読み手も様々です。きっとその物語を求める人がいます」
半ば自分に言い聞かせるように、朱莉は言った。
「なんだか偉そうに言ってるけど、キミ、吟遊詩人なの?」
「アカリさんは、吟遊詩人だよ。今は、物語を作ることができないみたいだけど」
あたしが連れて来たんだ、とアリッサが少し得意げにフミヤという青年に言う。
フミヤは、怪訝そうな顔を朱莉に向けた。
「僕は、物語を作ることの出来ない人を吟遊詩人とは呼べないと思うけどなぁ」
「別に、ずっと作り続けていないと吟遊詩人じゃないってことじゃないでしょ」
朱莉が言葉を返すより先に、アリッサがむっとしてフミヤに言い返した。
「ま、どうでもいいけど。僕は、文哉っていうんだ。よろしく」
仰々しく片手を差し出され、朱莉は一瞬戸惑った。
しかし、ここで彼の心象を悪くするメリットはない。
そう思い、仕方なく彼女は彼の手を握った。
「フミヤさんはね、素敵な物語をたくさん聞かせてくれるんだ」
でも、とアリッサは少し悲しそうに言う。
「最近は、全然聞かせてくれないよね、物語」
すると、文哉は椅子の上でふんぞり返りながら言う。
「そんなにぽんぽん出したら、僕の物語のありがたみがなくなるだろ」
そのうち、気が向いたらなと文哉は鼻を鳴らす。
「そういえば、最近はツムギさんを見かけないね」
アリッサが思い出したように言うと、他の酒場の客が口を挟む。
「そうだ、ツムギさんの物語、久々に聞きてぇなぁ。どこに行っちまったんだ」
「あのばあさんは、物語のアイデアがつきて、引退したんだよきっと」
文哉がジョッキをあおりながら、どうでもいいことのように言う。
「それに、僕がいれば十分だろう。物語くらい、いくらでも作ってやるよ」
「フミヤさんの物語もいいが、やっぱりツムギさんの物語が一番だよなぁ」
お客が口々に賛成の意を唱える。それを聞いて、文哉は悔しそうな顔をした。
その時、酒場の正面入り口から一人の男性が飛び込んできた。
「助けてくれっ、連れの一人が図書館に入っちまった!」
「何!?」
酒場中の視線が、その男性に注がれる。
「図書館には、入っちゃだめなんですか」
朱莉が小声で桃華に尋ねる。桃華がそっと答えた。
「どの町のどんな物語も、ある人の厳重な監視下に置かれているのですわ」
「だから一般の市民は物語のある場所へは、立ち入りが制限されてるんだよ」
そんなことも知らないのかい、と偉そうに告げる文哉。
「哀れな人だね。その人は二度と、図書館から出てこられないよ」
文哉が大袈裟に悲しそうな表情を浮かべるので、朱莉は心配になった。
「図書館に入ったら、どうなるんですか」
「アイツ、または女王様の命によって逮捕される。最悪の場合は、死刑になるかな」
さらっと言い退ける文哉。それを聞いて、桃華が口元を手で押さえる。
「アイツや女王様って……」
朱莉が文哉に聞き返そうとする。しかし、他の客の声にかき消される。
「こうなったら、アヤトの奴に直接交渉するしかない、人の命がかかってるんだ」
「オレらの言葉を聞き入れるわけないだろ、アイツには人の心ってもんがない」
お客たち同士で、言い争いが始まった時。酒場の扉が大きく開け放された。
一斉に視線がそちらに向けられる。そこに立っていたのは、一人の女性だった。
「みんな、落ち着きなよ。こうなったら、吟遊詩人に助けを請おうじゃないか」
女性が声を張り上げる。その姿を見て、アリッサが嬉しそうな声をあげた。
「あ、ママ!」
「アリッサ! またこんな時間までこんなところで!」
女性は、アリッサと同じブロンドの髪をしていた。
女性は朱莉たちのところまでやってくると言った。
「吟遊詩人さんたち、どうか仲間を助けてやってくれ」
「いやいやいや! オレたちだけで行くなんて危ないしっ」
文哉がすっとんきょうな声を上げる。
すると、女性は文哉に掴みかからんばかりの勢いで、距離を詰める。
「タダ飯食わせてやって、寝る場所まで提供してやってんのに、何だい」
「いや、それとこれとは……」
「それなら、今後一切ウチは手を貸してやらないよ。今夜出てっておくれ」
「そんな……」
先ほどまでの自信にあふれた様子はどこかへ吹きとび、文哉はふさぎこむ。
アリッサの母親は、朱莉を見て一瞬驚いた顔をする。
「おやアンタ、新入りだね。ウチの店へようこそ。アリッサが連れて来たのかい」
「そう。あたしが連れて来たの。ここに置いてあげて? いいでしょ」
「また吟遊詩人かい。前のあの子みたいな悪い子じゃないだろうね」
そう言って、アリッサの母親は朱莉の顔をまじまじと見つめる。
前のあの子、という言葉でアリッサと桃華が明らかに動揺した表情を浮かべた。
しかし、朱莉がアリッサたちに尋ねる前に、女性は腰に手を当てて言った。
「とにかく! ここや、ウチの知り合いの店に泊まりたいんなら、手を貸しな」
彼女の勢いに押され、一行は図書館へと乗り込むことになったのだった。
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