桃華と朱莉

 朱莉とアリッサは、しばらく女性と男性のやりとりを眺めていた。


 すると女性が二人の視線に気づき、こちらへと向かって来る。


 女性は慌てて扉の方へ逃げようとする朱莉の腕を掴んだ。


「アナタ、さては新しい吟遊詩人ねっ!? あたくしの役目を奪うつもり!?」


「いえいえいえ! 私は、今は物語を作ることができませんのでご心配なくっ」


 朱莉は、女性の手を振りほどこうとしながら言う。


 彼女の勘が告げていた、この女性と関わらない方がよい、と。


 しかし、女性の方は残念ながら朱莉に興味を持ったようだ。


「物語を作ることができないんですの……?」


 すっと掴んでいた腕を離し、女性は朱莉の方を見る。


 朱莉は腕を離してもらったので、安堵の溜め息をついた。


 それから女性の方へ向き直る。


 近くで見ると、女性が整った顔立ちであることが分かった。


 長いまつげに、すらっとした手足、茶髪の髪は軽くパーマががっている。


「はい、今の私にはできません。また、あなたと争うつもりはありません」


 そう改めて告げた後、アリッサに向かって朱莉は尋ねた。


「一つの街に、吟遊詩人がたくさんいてはだめというルールは、ないんですよね?」


「特に、ないと思うよ。そんなルール、聞いたことないもん」


 アリッサが即答する。朱莉はそれを聞いて、女性に向き直った。


「あなたの作る物語を聞かせてください。お願いします」


 朱莉の真剣なまなざしに、女性は驚いた様子だった。


「あたくしの、物語が、聞きたい……んですの?」


「はい。ぜひ」


 朱莉が頷くと、女性はとても気をよくした様子だった。


「仕方ありませんわね。あたくしの物語に酔いしれるとよいですわっ」


 そして、片手を差し出して言った。


「あたくしは、桃華ももかと申します。どうぞお見知りおきを」


「私は、朱莉あかりといいます」


 朱莉は、差し出された手を強く握り返した。


「朱莉さん。それじゃあ、早速あたくしの物語を聞いてくださいですわ」


 桃華は朱莉の手を引いて、手近なテーブルへと案内した。


「桃華さんは、毎日物語を作ってらっしゃるのだとか」


「ええ。元いた世界でウェブ投稿サイトに投稿していたころの、名残ですわね」


 桃華さんは、腕組みをする。


「毎日投稿していれば、閲覧数が伸びますから。それがくせになっていたのですわ」


「確かに……、毎日投稿はとても効率いいですよね」


 朱莉は、神妙な面持ちで頷く。


 朱莉もまた、小説をウェブ投稿サイトで毎日投稿していた時期があった。


「朱莉さんは、毎日投稿されたことは、なかったのですか」


「もちろん、ありました。でも……」


 朱莉はここで言葉を切る。そして、俯く。


「毎日投稿を目指すあまり、一話あたりのクオリティが下がってしまったんです」


 桃華がはっと息をのむのが、朱莉にも分かった。


「それが伝わったんでしょう、閲覧数、評価ともに伸び悩んでそして」


 朱莉はここで言葉を切り、さらに俯く。


「辛口の感想が相次いで、私はその作品を書き続けられなくなりました」


 今は、別の問題で物語が書けなくなっているんですけどね、そう朱莉は続けた。


「だから、毎日物語を作らなくてはならないんだとしたら、私にはとても」


 朱莉が告げると、桃華はずいっとテーブルから身を乗り出す。


「毎日物語を作ることは、吟遊詩人全体のルールじゃありませんわ」


 少しだけ顔を上げた朱莉をしっかりと見つめて、桃華は言った。


「ここの世界の人たちは、物語を欲しています。一緒に頑張りましょう」


 朱莉は、自信なさげに、しかしゆっくりと頷いた。


 自分がまた物語を作ることができるようになるかは、今は分からない。


 けれど、そのための努力はしてみよう、そう思えたのだった。




 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る