酒場へ
朱莉は、女の子につれられて、建物の中へと入った。
暖色系の照明がぽつぽつとあるものの、辺りは薄暗い。
「ここは、酒場兼宿屋なんだよ」
女の子は言って、ずんずん廊下のような場所を進む。
「お姉ちゃんのような、吟遊詩人さんもよく来るよ」
それを聞いて、朱莉はふと考える。
ここへ来ている他の吟遊詩人に会ってみたいと。
同時に、物語を作ることができない自分をどう思うだろうとも思う。
「遅くなったけど、あたしは、アリッサっていうの。よろしくね」
「私は……、朱莉です」
「アカリさん、だね。よろしく」
女の子……――、アリッサはころころと笑う。
彼女は、大きな木製の扉の前で立ち止まる。
「ここが、酒場の入り口だよ。今だとモモカさんが物語を披露中じゃないかな」
そう言って、アリッサは木製の扉を開けようとする。それを、朱莉が手伝う。
部屋の中は、朱莉がゲームで見たことのある酒場の風景とほとんど同じだった。
無造作に部屋の端に積まれた酒樽。木製のカウンター。
丸テーブルで語らう人々。触れ合うジョッキや食器の音。
おいしそうな匂いと、お酒の匂い。
朱莉は、部屋に一歩足を踏み入れると周りを見渡した。
その様子を見て、アリッサは彼女の服の端を掴んで言う。
「どう? ちょっとは何かの足しになりそう?」
物語を作るための材料になりそうかを聞いているのだ。
そう思い、朱莉は少しだけ笑った。
「そうだね、きっといつか、何かの役に立つとは思うよ」
目の前に広がる光景が、朱莉にはまだ信じられなかった。
まさか、こんなファンタジックな世界を目の当たりにできるなんて。
朱莉の心は、久々にはずんでいた。その時。
「ちょっとお聞きなさいよ、皆さん! あたくしの物語を!」
ヒステリックな叫び声が響き渡って、朱莉は声のした方を見る。
そこには、一人の女性が腰に手をあてて立っていた。
女性の顔を一目見て、朱莉は感じた。この人は自分と同じ、吟遊詩人なのだと。
「だってモモカさん、いっつも自分が主人公の物語作るじゃないですかぁ」
ジョッキの中身をあおりながら、男性の一人が言う。
女性は、男性のいる丸テーブルのところまでつかつかと歩いていく。
そして、机をばぁんと叩いた。驚く男性をにらみつけて、女性は言う。
「言いましたわね! あたくしだって、幸せになりたいんですわよっ」
そして、男性の向かい側に腰かけると、だらんと両手をテーブルへ投げ出す。
「物語には夢が詰まっているのですわよ。作り手だって、夢を見たいのですわっ」
「夢は見たらいいけども……」
男性が呆れた声で言う。その様子を見て、アリッサが小声で言った。
「モモカさん、いっつも物語に自分を登場させて、ハッピーエンドにするの」
「物語が不足しているから、どんな物語も受け入れられるんじゃ……?」
朱莉がおそるおそる尋ねると、アリッサはぷいっとそっぽを向いて言った。
「毎回同じような物語じゃ、だめだよ。聞き手の気持ちになってもらわなくっちゃ」
それを聞いて朱莉は、驚いた。
「あの人は、どのくらい物語を作ってるの」
「モモカさんは、毎日聞かせてくれるよ? もうほとんどみんな聞いてないけど」
アリッサの言葉に、朱莉は頭を抱えた。
もし、自分もまた物語を作ることができるようになったなら。
この人のように、毎日物語を作らなければならないのだろうか。
毎日作ったとしても、誰も聞いてくれなかったら?
朱莉はまた、自信を失って物語を作ることができなくなるだろう。
黙ってしまった朱莉を、アリッサが心配そうに見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます