店の裏口で
青年に連れてこられたのは、一軒の店先だった。
看板にはジョッキの絵と、ベッドの絵。
物語のあるゲームをたくさん遊んできた彼女には、分かった。
この場所がこの世界における酒場であり、宿屋なのだと。
大きめにとられた窓からは、丸テーブルに座って、騒ぐ客の姿が見える。
「……聞くのが遅れたが。……アンタは成人済みという認識で、間違いないか」
青年が朱莉に困った声をかける。朱莉は頷いた。
「数年前、社会人になりました」
明確な年数を伝える必要はなさそうだと判断し、彼女はそう答える。
それを聞いて、青年は頷くと店の正面入り口を通り過ぎた。
彼が朱莉を連れて来たのは、店の裏口だった。
青年は、木製の扉をゆっくりとリズムを刻みながら五回、ノックした。
少しして、扉が少しだけ開いて中の明かりが朱莉たちのほうに差し込む。
中から覗いたのは、まだ幼い目だった。
「珍しいお客さんだね。どうしたの」
可愛らしい女の子の声だった。
「……吟遊詩人を連れて来た。ただ、今は物語が紡げないようだが」
朱莉の方を振り返りながら、青年は小声で扉に向けて言う。
「吟遊詩人さんはもちろん歓迎だけれど……、物語を作ることができないの?」
扉がさらに少しだけ開いて、女の子の顔だけがのぞく。
朱莉の住む世界で言うなら、小学四、五年生くらいの年に見える。
純粋そうな、つぶらな瞳が朱莉を見つめた。
朱莉は、まっすぐなまなざしに見つめられてつい、視線を外して俯く。
女の子の言葉は、物語を作ることができないことを非難するものではなかった。
しかし、朱莉にはその言葉が、棘のある言葉として受け止められようとしていた。
黙っている朱莉に代わり、青年が静かな声で女の子に向かって言葉を発する。
「……世にいうスランプの類だろう。だからきっかけさえあれば」
「また、物語を作ることができるかもしれない……、そういうことだね」
女の子は、完全に扉を開けて、俯く朱莉のところへやってくる。
女の子は、小さなクマのぬいぐるみを抱きしめていた。
ピンクを基調とした白のフリルのついたエプロンドレスが可愛らしい。
輝くブロンドの髪を前髪ごと後ろで一つにまとめている。
女の子は、朱莉の前で立ち止まると、彼女を見つめて考え込む素振りを見せた。
その様子を見て、青年が声をかける。
「……大丈夫か、気が進まないなら、別の誰かを呼んできてくれれば交渉するが」
すると、女の子が青年に向かって笑って言う。
「もう、お兄ちゃんったら心配性なんだから。大丈夫だよ」
そして、半ば自分に言い聞かせるように言い放つ。
「お兄ちゃんが連れてきてくれた人だもん、きっと大丈夫だよねっ」
それから、まだ俯いたままの朱莉の目を覗き込んでくる。
その目が先ほどの純粋な目でなく、迷いのある視線であることに朱莉は気づく。
朱莉はそっと、腰をかがめて女の子と視線を合わせる。
二人の視線が交差し、少しの間どちらも、何も言わなかった。しばらくして。
「お姉ちゃんお姉ちゃん、きっと大丈夫だよ。落ち着くまでここにいればいいよ」
あたしがきっと、守ってみせるから。
そう言って、女の子は胸を張り、両手を腰にあてて微笑んだ。
その姿がとても可憐で、いじらしくて。
朱莉は、小さく笑った。
「あ、笑った。お姉ちゃん、笑ってた方がいいよ。もっと笑って」
そう言って、女の子は朱莉の手を取った。
驚く朱莉の目を見つめて、女の子は言った。
「行こう、お姉ちゃん。あたしが案内してあげる」
そして、青年の方を振り返って力強く言った。
「お兄ちゃん、ありがとう。この人を連れてきてくれて」
あたし、この人ときっとうまくやっていける気がする。
それを聞いて、青年もまた小さく頷いた。
「お兄ちゃんがこの人を連れて来たってことは黙っとく。安心して?」
女の子の元気な声に、青年も安堵したように息づく。
それから、少しだけ優しい声で答える。
「……そうしてくれると、助かる。本当に、賢い子だな」
「任せてよ。この人は、あたしが勝手に連れて来た、それでいいよねっ」
そう言って、女の子は朱莉をぐっと中に引き入れる。
朱莉は、青年の方を振り返って、小さく会釈をした。
青年は扉から距離をとり、元来た道を引き返しながら、背中越しに言葉を発した。
「……あとは、アンタ次第だ」
「ありがとう……ございます」
扉が閉まる寸前、もう一言、青年の言葉が小さく届いた。
「……きっと物語の方から戻ってくるさ、アンタのもとへ」
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