51|アレクの秘密〈3〉

(アレク…)


(あんたは、いままで、どんな世界で生きてきたの…?)


(どうしたら、そんなに複雑に心がからまってしまうの…?)


 アレクから聞かされた話が本当なら、幼少期を孤児院で過ごし、少年期を〈キング〉と呼ばれる麻薬の密売人のところで過ごしたという彼の生い立ちは特殊だ。


 仮に、もし、善良な里親のもとで、まっとうに育てられたなら、アレクの心は、これほど複雑に歪められることはなかったのではないかと、サクラは思う。


 それでも――複雑な感情をもてあましながらも、心を無くすこともなく、闇に堕ちることもなく、ここまで生きてこられたのは、ある意味《奇跡》なのかもしれなかった。


(どんなにいびつな形をしていても…)


(アレクには心がある…)


 サクラの脳裏に、自分を襲った白装束の男の姿がちらつく。

 目の奥から光が消えた、無表情な顔。

 感情といえば、おびえと怒りだけ。なにかに怯えつつ、突然、スイッチが入ったようにサクラを罵倒し、殴りかかってきた、あの、背中がぞわっと泡立つような異質な感じは、二度と忘れられない恐怖の出来事だった。


 あれは、心を無くした人間の…闇に堕ちた人間の、成れの果てだ。


 だが、アレクは違う。


 そのとき、サクラの目に映ったのは、アレクの〈古傷〉だった。

 ベンチにうつむいて座りながら、額にかかるほつれ毛を手でかき上げたときに見えた彼の左手――その手の甲と、手首に、うっすらと残る傷あと…。


 それは、手の甲についている数個の丸い火傷やけどのあと――不良同士の喧嘩か、あるいは虐待か…どちらにしても、誰かが悪意をこめて煙草たばこの火を押しつけたあとであることは明らかだったし、手首についている数本の傷は、明らかにリストカットのあとだった。


 その傷あとは、彼がこの世界に何度も何度も絶望し、それでも「生きる」ことを選択して光に手を伸ばしてきたことのあかしであり、それは、彼のざまそのものだった。


「ま…そんなことで、俺は一気にモチベーションがダウンしちまって、さ…」


 アレクの話は続いていた。


「当然、バスターズの資格は得られず、救出チームに戻ってもやる気が起きず…あちこちでトラブルを起こして降格し、あげくの果てにはビルメンテナンス科へ追いやられた。ま、要するに清掃員さ」

「………」

「で…あるときトイレ掃除をしてたら、幹部の男が、わざと床にションベンをまき散らしやがって…『これも拭け』と偉そうに命令してきたんで、俺は持ってたモップでそいつの頭をぶん殴って、それで解雇されたってわけさ…」


 自分の記憶の中で〈恥〉だと思っている出来事を、すべてサクラにさらしたアレクの顔は、心なしか晴れやかに見えた。


「俺の話は、これで終わりだ。笑いたきゃ、笑えよ。こんな、くだらねぇ人生…笑われて当然だ」

「………」

「おい、なんとか言えよ。だんまり姫」

「………」

 サクラは、数秒の沈黙ののち、食べ終わった団子の串を、アレクが投げた場所に、同じように‘ぽい’と投げ捨てると、アレクを見据えた。


「アレク…」

「なんだ?」

「いままでの、あんたの人生が『くだらない』って、あんた自身がいうなら、きっとくだらなかったのよ」

「そ、そうかよ」

「でも…」


 過酷な運命を背負わせられ、それでも懸命に生きてきたひとりの青年へ、エールを送る気持ちで、サクラは、まっすぐアレクの目をみて言い放つ。


「でも…この先の人生は変わるから」

「は?」


 その運命を背負わせた〈神〉にいい聞かせるように、言葉に力を込める。


「あんたは、これから研究施設へいって、スズエさんの風土病を治して、それから、スズエさんが天寿をまっとうするまで、ずっと一緒に過ごすの。

 ふたりでデートをしたり、旅行に行ったり、美味しいもを食べたりしてね。これまでの人生はくだらなかったのかもしれないけど、この先の人生は、光に満ちた、意味のある人生になる」


「そうかよ。そいつは予言か?」

「ちがう。これは、リベンジよ」

「リベンジ…?」

「そう、リベンジ…だって、こんなひどい人生を与えた〈神様〉に腹が立つでしょ? だから、見返してやるの!」


「………」

 アレクは、サクラの予想外の反応に驚き、目をしばたかせた。


 いままでのサクラなら、なにかしらの説教めいた言葉をあびせてくるはずで、また、ディーべート合戦がはじまると思ったアレクは、肩透かしをくらった形になったわけだが…。


 アレクは、おもむろに‘にやり’と笑うと、


「リベンジか…」

「そうよ」

「そいつは、いいや。悪くない考えだ。おまえ、いままでで一番まともなことを言ったな」

「ありがと」


 それはアレクの、最上級のホメ言葉だった。

 サクラとアレクの視線が、自然とまじわり、それからふたりは、お互いに顔を見合わせ‘くすり’と笑った。

 

 それは、ふたりの〈魂〉が、はじめて通い合った瞬間だった。


「まったく、悪くない考えだ。俺とスーザンは幸せになる。で、…」


 すかさず、アレクはお決まりの毒を吐いたが、サクラにはわかっていた。それは、アレク特有のジョークなのだと。


「でも、心配するな。おまえの命日には、必ず墓参りをしてやるよ。スーザンが、きっと花を供えてくれるはずだ。墓のまわりを、大量のバラで埋め尽くしてやる」


「まぁ、素敵。だったら、ついでにパンケーキもお願い。ホイップクリームがたっぷり乗ってるやつよ。きっと、お墓の中でお腹すかしてると思うから」


 サクラは、それに乗っかった。


「いいぜ、はらぺこ姫。だが、食べ過ぎでブタみてぇにぶくぶく太るんじゃねーぞ? 棺桶からはみ出しちまうからな」


「死んだ人間は太らないでしょ?」

「いいや、おまえなら、死んでても太るね」


「太らないってば」

「いいや、太る」


「それ、どういう理屈よ」

「おまえこそ、どういう理屈だよ」


「あんた、ばかじゃないの?」

「ばかって言ったほうが、ばかなんだ、ばーか!」


 そして、お決まりの不毛なやりとりへと会話が進む。スズエ婦人が、その場にいたなら「あなたたち、本当に仲良しね」と、コロコロと笑いながら言うだろう。


 サクラは、出会った直後からアレクを〈要注意人物〉として警戒し、彼と接するたびに嫌悪感と憤りを覚えてきたが、いま抱いている印象は、まるで違う。それが驚きでもあり、不思議でもあり、嬉しくもあった。


 人は変わる。

 人が抱いている思いも、変わるのだ。


 スズエ婦人と出会ったとき、彼女は言った。


『 人と人は、みんな〈縁〉でつながってるの。その出会いには、かならず意味があるものよ 』


(そうね、スズエさん…)


(アレクとの出会いにも、きっと、意味があるはず…)


 アレクに出会ったことで、ケビン・ジョンソンとも知り合い、美味しい団子をごちそうになった。アレクに出会わなければ、知り合うはずもなかった青年である。


(これも、ご縁、ね…)


 サクラは、感慨深げに、運転席にすわるケビンの背中を見た。


(不思議ね…)


(なんだか、みんな、本当の家族に思える…)


(スズエさんも、アレクも、ケビンも…)


(私、みんな、好きかも…)


 研究施設へゆけば、サクラだけがL=6エル・シックスに囚われ、過酷な状況に置かれることは目に見えているのに、なぜか、サクラは「どうして自分だけが?」という疎外された気持ちにはならなかった。


(変、ね…)


(私…おひとよし、なのかも…)


(きっと、トモヒロもあきれるね…)


(それとも…)


(それでこそ咲良さくらだって、誉めてくれるかな…?)


(それで、太陽のように笑ってくれるかな…?)


(だったら、いいな…)


 そんな、サクラの思いなど知らず、ケビンは、いたって平和に、ラジオから流れるポップ調の曲に小さく体をゆらしていた――と、そのとき…。


「あ…!」


 ケビンはに反応して、左側――海が見える方の窓の、そのずっと先を見据え、驚愕の表情で固まる。


「ス、スズエさんが…!」


 サクラは、すかさずアレクの後ろの丸窓に目をやる――と、海岸の〈岩〉に腰かけているはずのスズエ婦人の姿が消えていた。


(…え?)


(ど、どこにいったの…!?)


 直後、ケビンが叫ぶ。


「大変だ! スズエさんが、海に…海に入ってく…! スズエさん、じ、自殺する気だぁー…!!!」


 ケビンは、反射的に軍用車からまろび出て、今しも、海に身を投げようとしているスズエ婦人のもとへ全力で駆け出した。




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