50|アレクの秘密〈2〉
「スーザンを殺せないと思った俺は、ずっと、どうしたらいいか考えてた。殺せないなら、治すしかないだろ?」
「それで、研究施設に行こうと思ったのね?」
「そうさ…」
だが、研究施設で治療を受けられるのは、
サクラたちの脱走を知ったのは、そんな時だった。
以前から、ひまつぶしに電波傍受をしていたフィーン駐屯基地の無線に「エムズ・アルファが脱走し、ボートで北の大陸へ向かっている」という情報が入り、アレクはそれを知る。
「俺は、おまえらが海からあらわれるのを、崖のうえから、ずっと見張ってたのさ。で、予想通り、おまえらはやってきた。ま…ジャンプして崖を登ってくるとは、思ってもみなかったけどな…。で、おまえらは、まんまと俺の罠にひっかかり、今にいたるってわけさ…」
「なるほど…」
その
少なくとも、彼は苦しんでいる。そんな人間を、どうして
「マヌケな話だろ?」
アレクは、食べ終わった団子の串を車内の片すみに‘ぽい’と投げ捨て、あいかわらず不機嫌そうに口元をゆがめた。
「スーザンを殺せないばっかりに、こんな手の込んだ計画を立てて、糸杉の森でハンターからおまえらを救ったり、スカンク・ボーイを手なずけてホテルに誘導したり、ケビンを仲間に誘ったり、おまえを捕らえたり…悪党ぶってわめいたり、叫んだり…」
「………」
「だが――けっきょくのところ、なにをやっても、俺は自分の臆病さからは
「臆病?」
「だって、そうだろ? 偉そうに『殺してやる』と宣言したものの、びびって慌てふためいて醜態をさらしてるんだからな」
「そんな…」
サクラは思う。
(それは、スズエさんを愛してるから…)
「アレク、あんたは臆病なんかじゃないよ。あんたは優しいだけ。あんたはスズエさんを愛してるの。だから殺せないの。それは、人間として当たり前のことよ。そうでしょ?」
「いや、そうじゃねぇ…そういう話じゃねぇんだ…」
この
「じゃ、どういう話よ?」
「俺は…過去に、失敗してる…」
「失敗って、なにをよ?」
「俺は…」
アレクの眉間に深いしわが刻まれる。
そして、彼は、告白した。
「俺は、変異したエムズを殺したことなんか一度もないのさ。俺は、エムズを、殺せないんだ…」
そういって、アレクは悲しみと罪悪感が混ざったような苦悶の表情で、サクラを見た。
「え?」
アレクの視線と、サクラの視線がまじわる。
「で、でも、あんた、バスターズの精鋭部隊にいたんでしょ? それも嘘だったの?」
「いや、嘘じゃねぇが…正確には、バスターズの研修に、たったの10日間、呼ばれただけの話なのさ」
「10日間の研修…?」
「バスターズには研修期間が設けられてる。数十名の候補生が研修を受けて、その期間に成果をあげたものだけが入隊できる仕組みさ。で…俺は、そこで、失態をさらした…」
アレクは、
***
それは、5年前の話だ。
キングの口添えで〈ノアズ・アーク社〉の社員になったアレクは、わずか一週間で研究施設の救出チーム―—現在
そもそも人の心を巧みにあやつるすべを身に着けていたアレクは、持ちまえの嘘八百をならべたて、
どんな凶悪なエムズがゲート内にあらわれても、アレクは率先して「俺が行く!」と宣言し、
「前にも言ったが、精鋭部隊への配属は、エリートコースに乗ったも同然だ。俺は、絶対に、この幸運をつかみとると心に誓った。だが…」
それは、研修8日目のことだった。ある、ひとりのエムズが怪物に変異して、近くの山林に逃走したと情報が入り、アレク達に上官命令がくだった。
『 いいか、おまえら! ヤツは変異した直後、ひとを3人殺してる凶悪なモンスターだ。生け捕りにせず、その場で撃ち殺せ! 容赦するな! やつはもう人間じゃない。いいか、出世コースに乗りたいやつは、心を捨てろ。つねに冷静に、そして非情であれ! 』
『 イエッサー!!! 』
「俺は燃えたね。俺は、非情になれる自信があったからな」
「…でしょうね」
サクラは、皮肉をこめてうなずいた。
それからアレクは、怪物が逃げ込んだ山林を、仲間が
「そいつは間抜けにも、俺に背を向け小川で水を飲んでた。俺は、背後からそっと近づき、そいつの後頭部に銃口をむけた…」
「そ、それで?」
サクラは、アレクの話に引き込まれ、ごくりと唾を飲みこむ。
「けど、俺は、そのまま固まって、動けなくなった」
「どうして?」
「俺が撃ち殺そうとしてる怪物は、数か月まえ、俺がゲートで救出したエムズだったからさ」
「あ…」
サクラは、口元に手をあて、息をのむ。
「少女だった」
「………」
「10歳ぐらいの、そばかす顔の、‘スヌーピー’とかいう犬のぬいぐるみを大事そうに抱えてた。俺にすっかり
心なしか、アレクの声がふるえていた。
「その怪物が変異するまえに着てた服の切れはしが、突起したウロコの表面にくっついてたんだ。
アレクは、怪物に銃口を向けたまま固まり、ふるえた。
その直後――気配に気づいた怪物は、ふりむきざまアレクに襲いかかった。
「食われるかと思ったが…俺を追尾してた研修仲間が、間一髪のところでそいつを仕留め、俺は、命拾いをしたのさ」
「そ、そうだったんだ…」
サクラの声もふるえた。
「よ、よかった…殺されなくて…」
「よかった? どこがだよ? 俺は、そのとき、死ねばよかったんだ。こんな醜態さらして生きてたってしかたねぇだろ?」
「醜態って、なによ? どうしてそういう事になるのよ? あんたは、優しいの。それは、恥じることじゃないでしょ?」
「俺には、恥でしかねぇ…」
「どうして?」
「俺はずっと、この世界の人間を恨み、さげすんで生きてきたんだ。いつか見返してやる…そのためには、なんだってやると心に誓った。愛だの、優しさだの…そんな
「………」
サクラは、アレクの心の《
それは、深い、深い、暗闇の世界。
いままで、アレクが、どんな世界に身をおき、どんな思いで生きてきたのか、サクラは知らない。だが――自分の中にある愛や優しささえも拒絶するほどに、猜疑心に満ちた過酷な世界で、おそらく彼は生きてきたのだ。
『 彼は、迷子なの 』
『 心の中には光が満ちているのに、まだ、見えていないのね… 』
スズエ婦人の言葉が、サクラの脳裏をよぎった。
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