49|アレクの秘密〈1〉

 ほどなくして――遠く離れた軍用車の方からケビンの声がきこえた。


「スズエさんたちぃーー…まんまる団子、食いましょーー…!」

「あ、ケビンだ…」

 サクラは立ち上がりケビンに手を振ると、かたわらに佇むスズエ婦人に声をかける。


「そろそろ戻ろうか? 風も強くなってきたし、長居するとアレクが心配するから」

「そうね…でも、私は、もう少しここにいるわ。サクラちゃんは行きなさい」

「で、でも…」

「お願い、あと5分だけ夕日を見たいの…」

 彼女は、海風で髪が乱れるのもいとわず、ずれ落ちた毛布を肩にかけなおし、海の彼方を見つめたまま微笑んだ。


「しょうがないなぁ…じゃ、あと5分だけよ?」

「ありがと…」

「でも、早く来ないと、お団子なくなっちゃうからね!」

「はいはい…」

 そんな祖母と孫娘のようなやりとりのあと、後ろ髪をひかれつつも、サクラはひとり、軍用車のほうへ戻っていった。

 

 運転席には、アレクと入れ替わりにケビンが座っており、スフィア祭り限定だという《まんまる団子》を頬張ほおばっていた。


「サクラちゃんも食ってみなよ、これ美味うまいよ! この、まわりにまぶしてあるココナッツの風味と食感…そして、もちもちの中からミルク味の‘白あん’が顔をだして、口の中いっぱいに広がってゆく…いやぁ、これは最高だー…」


 ケビンはどうやら、ご当地グルメに目がない食いしん坊らしい。


 サクラはケビンからくしに刺した団子を受けとり、車内へと移動する。

 すでに、そこにはアレクがおり、「美味い」とも「不味い」とも言わずに、あいかわらず、かったるそうに足を投げ出しながら、ベンチに座ったまま団子をくちゃくちゃと咀嚼していた。


「スーザンはどうした?」

 ひとりで戻ってきたサクラに、アレクが質問をなげる。


「あと5分、夕日を見たいって…」

 サクラは、アレクと向かい合うようにして、反対側のベンチ――つまり、スズエ婦人が寝ていた場所に座り、まんまる団子を頬張った。


「夕日だと?」

「いま、夕日が差してるの。ずっと海の向こうにね」

「だから?」

「スズエさんは、思い出にひたってるのよ。ご主人が亡くなった時と同じ景色だから、その時のことを回想して…」

「へぇ…」

 アレクは、特になんの感慨もなさそうに丸窓から外をのぞき、険しい表情のまま、遠くにたたずむスズエ婦人の背中に視線をそそいだ。


 アレクは、めずらしく無口だった。いままでの彼なら、なにかしらの屁理屈を言ってはディベートをふっかけ、怒らせ、それを内心にやにやしながら楽しむのが、サクラと対峙している時の定番のゲームだったのだが、いまは少し様子がちがう。


 ほどなくして――彼は、なにやら‘もぞもぞ’と落ち着きがなさそうに体を動かしはじめ、ひとつ、わざとらしく大きな咳をすると、


「おい、宮本咲良みやもと・さくら

「なに?」

「ひとつ、おまえに言っておきたいことがある」

「な、なによ?」

 突然、あらたまったようにサクラに向き直り、バツが悪そうな、怒っているような…複雑な感情をおもてに表し、彼は言った。


「俺は、研究施設へ行っても、おまえを助けるつもりはねぇからな」

「え?」

「俺はスーザンさえ助かれば、それでいいんだ」

「……?」


 それはそうだろう、と、サクラは思う。彼が大切なのはスズエ婦人だけ。そんなことは、はじめからわかっていることで、なにをいまさら確認する必要があるのかとサクラは思い、小首をかしげた。


「研究施設へ行けば、遅かれ、早かれ、おまえは必ず、アルファ・プロジェクトで命を落とすことになる」

「そうね…」

「それでも、俺は、おまえを助けるつもりはねぇ。っていうか、どうせL=6エル・シックス相手じゃ、なにもできねぇだろうしな…」

「かもね…それは、わかってる。私だって、あんたに助けてもらおうなんて思ってないよ。自分でなんとかするつもりよ」


 サクラの脳裏に、4Cフォーシーの顔が浮かぶ。


(大丈夫…私には4Cがいる。最強の味方の彼が…)


 もちろん、その時に、彼がそばにいるとも限らなかったし、もう一度、体を張って助けてくれるとも限らなかったが、それでも確率はゼロではない。1パーセントでも希望があるなら、サクラはそれに賭ける覚悟があった。


「なによ? いまさら、どうしてそんなことを話すの?」

「いや…だからさ。おまえは、死ぬわけだから、な…」

「だから、なによ?」

「だ、だから――冥土の土産に、俺の秘密を話してやろうと思ってさ。おまえは、そういう事を知りたがる女だ。そうだろ?」

「秘密?」


 とたん――サクラの中の好奇心が、むくむくと顔を出した。


「それって、スズエさんと交わした〈約束〉のこと…?」

「ま、それもある…」

 山道での休憩のとき、ついぞ聞きそびれた〈約束〉の話のつづきを、サクラは知りたくてたまらなくなった。


「教えて。ふたりの約束って、なんだったの? あんたは、その約束を果たせないから、今回の計画を立てたって言った。いったい、なにを約束したの?」

 サクラは、身を乗り出すようにしてアレクの言葉を待った。


「俺は…」

 アレクは‘ぺろり’とくちびるを舐め、それから、なにかを決心したかのように深呼吸をひとつすると、自分の心の内側と対峙するように、胸元に視線を落とし、訥々とつとつと語りはじめた。


「俺は、スーザンを約束をしてた…」

「…え?」

 衝撃の言葉に、サクラの心臓が‘ドクン’とゆれた。


「スーザンは、風土病のことをずっと気に病んでたんだ。このやまいが恐ろしいのは、死に至る病だからじゃねぇ。モンスターに変異する病だからだ」

「………」

「スーザンは、自分が変異したとき、暴走して、まわりにいる人間を傷つけてしまうことを恐れてた。だから、俺は約束したのさ。その時は俺が殺してやると…」

「そんな…」


『 心配すんな、スーザン… 』


 アレクは、塞ぎこんでるスズエ婦人に、虚勢をはって言い放った。


『 俺は元・バスターズだって話したろ? バスターズの精鋭部隊は、毎日、どこかで変異したエムズの対応に追われてる。俺もそのひとりだったんだ。凶暴なエムズは容赦なく撃ち殺してた。手慣れたもんだ。だからさ…あんたが変異したら、俺がちゃっちゃと始末してやるから、安心してろ。安心して、テレビでも見ながら笑ってろ。あんたには、コロコロと笑っててほしいんだ… 』


「それで、スズエさんは元気をとりもどしたのね?」

「ああ…そうさ。で、そのお礼に、スーザンは、なにかプレゼントをしたいというんで、俺は『あんたが一番大切にしているものをくれ』といって、この十字架クロスをもらったんだ」

「そうか…そういうことだったんだ…」


 サクラは、アレクの言葉を思い出していた。


『 このネックレスを、スーザンがどんな思いで俺にくれたか…俺が、どんな思いで受けとったか…部外者のおまえになにがわかる!? 』


 そのときに見せた涙の理由わけを、サクラはやっと理解することができた。


 だが――なぜ、いま、このタイミングで、そのことを語りはじめたのか…サクラにはわからなかったし、実のところ、アレク自身にもわからなかった。


 死にゆく者への同情か、はたまた罪悪感か――だが、ひとつ、確かなのは、嘘で塗り固められたアレクの心の外壁は、いま、少しずつぱらぱらと音を立てて剥がれ落ちはじめているということで――それは、とりもなおさず、サクラに向けて、アレクの心がひらきはじめているということの、それはあかしであり、ひとつの変化であることには違いなかったのである。


 世界は変わる。

 少しずつ、だが、確実に。

 

 そして、人の心も変わるのだ。




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