47|アレクの心に沈むもの〈4〉
サクラは、驚愕の眼差しでアレクをみつめた。
どう思い返してみても、スズエ婦人へのアレクの態度――それは、まるで、ガラス細工の人形をあつかうように、大切に、やさしく、ていねいにタオルで汗をふき、毛布をかけたり、水を飲ませたりしていたあの様子は、明らかにスズエ婦人への愛情がそそがれていたと、サクラは思う。
あれが、アレクの演技だとは、到底、思えなかったし、そもそも演技をする理由も見当たらなかったし、あれは、アレクのうそ偽りのない姿だということには確信があった。
確信があるからこそ、サクラは、いま、目の前で「愛ってなんだよ?」ととぼける彼が不思議でならなかったのだ。照れて、ことさら反発してしまう思春期の少年のそれとも違う――彼の態度は、ただ、ただ、スズエ婦人を愛しているということに自覚がないだけとしか思えなかった。
「ちょ、ちょっと、待ってよ。あれが、愛じゃなかったら…あんたは、どうしてスズエさんを助けたいと思うのよ?」
「それは…まぁ…いろいろあってな…」
急に、アレクの表情が曇り、歯切れが悪くなった。
「つまり…俺は、スーザンとある約束したんだが…まぁ…それは叶えられそうにねぇから…だから、別の方法で、なんとかしなきゃならなくなって…」
「約束って、なに?」
「それは…つまり…」
――と、そのとき。
「おい、なんだよ! どうしてこの女、手錠をはずしてるんだ!?」
トイレからもどったケビンが、サクラの腕に手錠がないことに気づいて騒ぎだした。
「ばか、黙れ…!」
アレクは、あわててケビンに駆けより口をふさぐ。
「でっかい声で叫ぶんじゃねぇ。車内にいるスーザンに聞こえちまうだろ!」
「で、でも…こ、この女…」
「いいか、よく聞け。いまから、こいつは俺たちの仲間だ!」
「仲間ぁ!?」
ケビンは、わけもわからず声を裏返して叫び、それをアレクがまた
「いいから、わめくな。これにはいろいろ事情があるんだ。これから俺たち4人はファミリーだ、いいな? みんなで協力しあって、スーザンとこの女の風土病を治しに研究施設へゆく。そういう設定だ」
「せ、設定ってなんだよぉ!?」
「うるせぇ、つべこべ言わずに従え! この設定を壊したら、
「ひぃ…」
「わかったか?」
「わ、わかったよぉ…」
「よし、わかったら、とっとと軍用車の後ろで仮眠をとれ。朝まで俺が運転する」
「イ、イエッサー…」
わけがわからないまま、ケビンは目を白黒させ、しぶしぶアレクの命令に従った。
「それから
「わ、わかった…」
サクラも、つられて「イエッサー」といいそうになるのを‘ぐっ’とこらえ、目をぱちぱちと
「よーし、休憩は終わりだ。とっとと行くぞ、おまえら!」
かくして――『スーザンとの約束』のことは、はぐらかされたまま草むらの闇に消え、なりゆき上、アレクがこの
***
それから一行は、〈ノルゥー山〉の山道をくだり〈ムーントール〉の海岸線を、〈フィーン〉へ向けて北へ北へと走り続けた。
明け方ごろ、時折、小雨がふりだしては、アスファルトの道をダークグレーに染め上げ、軍用車の車体を濡らし、そのボディを風が吹きつけて水滴を散らしてゆく。
いつまでたっても晴れ間の見えない、どんよりとした
「あ…わかった! スズエさんは、向こうの世界で女優さんだったろ? ぜったいそうだ。だって、俺のばあちゃんとくらべても、とても同じ年齢には見えないし、なんていうか…いまだって、その…綺麗だからさ…」
「まぁ…ありがとう。お世辞でもうれしいわ、ケビン…」
「いや、お世辞じゃなくてさ…」
ケビン・ジョンソンは照れて、頭をかいた。
スズエ婦人とケビンは気が合うらしく、彼が仮眠をとって目覚めたあと、なんとなく会話がはじまって、それから10分も経たないうちに盛り上がって笑い合っていたのだ。
「じゃあ、ケビン。サクラちゃんの向こうでの職業もわかるかしら?」
スズエ婦人が、そう質問すると、ケビンは大げさに驚いて、
「え? 職業って…彼女は、まだ子供だろ? 違うのか?」
ケビンは、なんと、体の小さいサクラを、15~6歳の少女だと勘違いしており、スズエ婦人が年齢や職業や恋人がいることを説明すると、彼はさらに驚いて、飲んでいたペットボトルの水をふきだした。
「えええええ…22歳ぃ!? しかも、婚約してたってぇぇ…!?」
「そうよ! 私、子供じゃないから…」
サクラは、わざと不機嫌そうにほほをふくらませてケビンをにらんだ。
彼は「ご、ごめん…」と、バツが悪そうに頭をかいて、それから、また
「ああ…もう、なんだよぉ! ふたりして驚かすからさぁ…服がびしょびしょじゃないかぁー…」
その様子にスズエ婦人は、また嬉しそうにコロコロと笑い、それにつられて、サクラも、とうとう我慢しきれず、噴き出して笑ってしまい、最後にはケビンも情けなさそうに笑い、気づくと、3人は顔を見合わせてげらげらと大声て笑っていた。
そうやって会話を重ねて笑い合ってゆくうちに、いつの間にか3人の間には〈和〉が生まれ、いつわりだらけの
思えば、ケビン・ジョンソンという青年も、悪い人間ではないのだ。フィーン駐屯基地という僻地で退屈な毎日を送っていたところに、たまたまアレクの誘いがあり、つい
サクラに手錠をかけて、ことさら
その笑い声は、厚い鉄板で仕切られている運転席の方にも、漏れきこえ、アレクの耳にも届いていた。
家族のように笑い合う3人の様子をうかがっていたアレクは、呆れたような表情でため息をつく。
「あのバカ…。家族のようにふるまえとはいったが、やりすぎだろ…」
そういって、思いっきり眉をしかめた。
「こんな茶番は、さっさと終わらせなくちゃな…。愛だの、家族だのって…俺には一番縁遠い話だし、
アレクは、
『 フィーンまで、500km 』
道路わきの案内看板をみて「このままぶっ飛ばせば、夕方ごろには着きそうだ…」とひとりごち、どんよりとした空を見あげた。
***
世界は、変わる。
少しずつ、だが、確実に。
そこにひとが集まれば、和が生まれ、集団が生まれる。
ひとの心は、そういうふうに出来ているのだ。
ひとの心の奥底に、キラキラとした水晶のような心(愛)があるならば、ひとは、自然と光のほうへと歩みはじめる。
いまだ〈愛〉を見失っているアレクの心にも、光は満ちているはずだった。
その光に気づく瞬間は、もうすぐそこに…。
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