46|アレクの心に沈むもの〈3〉

「スズエさん、あのね…」


 ここで、アレクの企みを、正直にすべて話したら、サクラはどんなに気が晴れるかわからなかった。いままでのアレクに対する恨みを、ここですべて清算できるはずだった。


 ――聞いてよ、スズエさん! この男は、本当にろくでもない男よ! 私は、本当にひどい目にあってるんだから!


 だが――そのあとは?


 きっと、スズエ婦人はアレクに失望するだろう。「サクラちゃんになんてひどいことをするの?」とアレクをとがめ、いますぐ、この計画を中止するよう命じるだろう。そして、おそらく、彼はしぶしぶその指示に従い…その結果として、自分は解放される…。


 だが、そのあと、スズエ婦人は失望の中で〈風土病〉を悪化させ、白装束の男が「おぞましい」と震えていた怪物モンスターに変異するのだ。その、悪夢の瞬間が、そう遠くない未来に訪れるであろうことは、彼女の容態をみても明らかだった。


(そんなの…だめよ…)


 サクラは思った。


(スズエさんを失望させちゃだめ…)


(スズエさんの幸せを、壊しちゃだめ…)


(スズエさんが不幸になるくらいなら…)


(それなら…)


(それなら…)


「あのね、スズエさん…これは遊びよ?」

「遊び?」

「私たち、刑事ごっこして遊んでたの」

「刑事ごっこ…?」

「そう! 私、一度、手錠をかけられてみたかったの。だって本物の手錠なんて、むこうの世界でも見たことも触ったこともないでしょう?」

「………」

 スズエ婦人は‘きょとん’とした顔で、サクラをみた。

 サクラは、目いっぱいの笑顔でそれに答える。


「きっと、スズエさん、いろいろ混乱してるよね? たしかに、私、白装束の変な男に襲われて大変な目にあったけど…でも、すぐにアレクが助けてくれたから、もう大丈夫!」

「まぁ…」

「アレクは、私にとってもヒーローよ。私の病気のことも心配してくれて…それで…いろいろ相談した結果、私もスズエさんと一緒に風土病の治療を受けたらいいんじゃないかってことになって…」


「でも、サクラちゃん…あなた…L=6に追われてる身でしょう?」

「そのとこも、全部アレクが解消してくれたの。ほら…彼は、L=6と仲良しでしょ? だ、だから…アルファ・プロジェクトのことも中止するよう頼んでくれて」

「まぁ…。それじゃ、もう、L=6から逃げることも隠れることもしなくていいのね?」

「そうよ…全部、アレクのおかげよ」

「よかったわぁ…本当に…よかった…」

「うん…」


 もちろん、それは、サクラの嘘だ。アルファ・プロジェクトを中止することなど不可能に決まっていたし、研究施設へ行けば自分がどうなるかはわかっていた。


 だが、それでも、サクラの心はゆるがなかった。


「私も、一緒に研究施設に行くわ!」

「ええ、一緒に病気を治しましょう。きっと、サクラちゃんとだったら楽しいわ…」

「うん、きっとね…」


 スズエ婦人は、嬉しそうにコロコロと笑った。

 当然――ふたりのやりとりを聞いていたアレクは、驚愕のまなこでサクラを凝視し、固まる。


「お、おまえ…」

「なによ? 私、なにか変なこと言ってる?」

「い、いや…べ、べつに…」

 アレクは、サクラの真意をくみ取れないまま挙動不審になりつつも、すぐに調子を合わせ、


「ま…つまりは、そーいうことだ、スーザン。すべて、俺に任せておけばいいのさ。俺は、なんだってできる男だからな!」

 アレクは、空々しく‘ははは…’と笑い、それから、ジーンズの尻ポケットから手錠のカギを取り出すと、サクラの腕を引きよせ、


「ほら…もう、刑事ごっこは終わりだ」

 そういって、しぶしぶサクラの手錠をはずした。なりゆき上、こうせざるを得なかったアレクの心情は、押して知るべし、である。


 その一瞬…接近したふたりは、スズエ婦人に聞き取れないほどの小さな声で言葉をかわした。


宮本咲良みやもと・さくら…おまえには、あとで話がある…」

「ええ、私もよ…」


 お互い、険しい表情でにらみ合いながらの会話だったことは、言うまでもない。



          ***



 それから1時間後――山奥の休憩所のベンチに、サクラとアレクの姿があった。たまたま山道沿いで見つけた無人の休憩所に、とりあえず、ケビンも含め、みなで休憩をとることにしたのである。


 時折、雷鳴がとどろく休憩所――その片隅に置いてあるベンチに、ふたりは横並びにすわり、お互いの顔など見ず、まっすぐ前を向いて、なにも見えない夜の草むらをにらみつけていた。


「よし、おまえの魂胆を話してみろ…」

「魂胆ってなによ?」

「おまえが、みずから研究施設へ行くなんて話、本気にするわけねぇだろ? なんか、裏があるに決まってる!」

「そんなもの、ないわよ。私はあんたと違う。一緒にしないで」

「そうかよ…」

「私、決めたの。スズエさんを助ける最善の方法がそれしかないなら、私が研究施設へ行って直接L=6と交渉するしかないって…」

「おまえが、交渉を?」

「そうよ。あんたがするより効果的でしょ?」

「………」


 それでも、アレクは、まだ、胡散臭そうにサクラを見て、納得しかねるように眉をひねった。


「でも、ひとつだけ条件があるの」

「条件だと?」

「私の話っていうのは、そのことよ」

「なんだ、言ってみろ」


 サクラは深呼吸をひとつすると、簡潔に切りだした。


「ツトムは、逃がしてほしいの」

「ああ…あいつか…」

「ツトムはアルファ・プロジェクトになにも関係ないの。L=6が欲しいのは私だけよ。研究施設にいたときだって、ツトムの能力は消えたとなされて、ラボの雑用係をしてたぐらいだから、きっと、ツトムは欲しがっていないはず」

「なるほど…」

「彼は、私に独房でいったのよ」


『 いつか、ここを抜け出して自由に生きる。お気に入りの場所をみつけて、家をつくって、裏庭に畑かなんかつくってさ。大好きな大型犬も飼って、そしてずっとそこで暮らすんだ。それが、僕の夢… 』


「ツトムには、自分の夢を叶えてほしいの」

「よし、いいだろう。スカンク・ボーイは解放してやる」

「約束よ?」

「ああ、約束だ。スーザンの十字架クロスにかけて、な…」


 そういって、アレクはサクラの前に右手を差し出し、サクラはそれに答えて彼の手を力強くにぎった。


「取引成立ね?」

「ああ…いまから、おまえは、俺たちの仲間だ。歓迎するぜ、相棒」


 アレクは、とくに面白くもなさそうに、口をゆがめてそういい、それから不思議そうな顔でサクラをみた。


「なぁ…最後にひとつ、教えてくれねぇか?」

「なによ?」

「おまえは、どうしてそんなにスーザンを助けたいんだ?」

「え?」


 少なからず、サクラは驚く。


「どうしてって…そんなの、あんたと同じ理由に決まってるでしょ?」

「俺と?」

「そうよ。スズエさんが大好きだからよ…」

「……?」


 トモヒロの言葉が、サクラの耳元でひびく。


『 咲良さくら、それは愛だよ、愛… 』


「つまり、愛よ…」

「愛、だと…?」

「あんただって、スズエさんを愛してるから、こんな計画を実行したんでしょ?」

「………」

 だが、アレクの反応は奇妙なものだった。


 〈愛〉という単語をはじめて耳にした子供のように、きょとんとしたまま無言でサクラを見つめたのだ。それから、いきなり‘ふん’と鼻で笑い、


「愛って、なんだよ。自慢じゃないが、俺はいままでの人生の中で、誰かを愛したことなんか一度もないね! たしかに『愛してる』なんて、女を口説くときの常套句として百万回も言ってきたけどな…けど、じっさい、俺は、そんな実体のないものを信じたりはしねぇ…」

「でも、あんた、スズエさんを好きでしょ?」

「いや、べつに…」

「でも、あんたの、あの態度は、愛情以外のなにものでもないでしょう?」

「さあな…」

「え?」


 驚くべきことに、アレクはスズエ婦人との関係を――その孝行息子のような愛情深い態度を否定したのだった。


(うそでしょ…)


(この男…)


(スズエさんを愛してる自覚…)


(ないの…?)


(ええええええ…!?)


 今度は、サクラが、驚愕のまなこでアレクを見つめる番だった。




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