45|アレクの心に沈むもの〈2〉
サクラは、ずっと気になっていた。
風土病がどんな奇病だとしても、重症化したスズエ婦人を連れてゆくなら、普通は病院だろうと。なぜ、アレクは「研究施設へ連れてゆく」といったのか、それには、なにかしらの理由があるはずだと、サクラは思っていた。
ひとの行動には、理由がある。
そして、そこにこそ、真実がある。
***
「ところで、アレク…ここは、どこなの?」
ふと、まわりに意識が向いたスズエ婦人は、不安げに車内を見回した。
「これは、救急車よね? 私、これから病院へゆくの…?」
「いや…ちがうんだ、スーザン…」
彼女は、いまの状況を、まるでわかってはいない様子だった。
アレクの企みも、当然、知らされてはいないはずだった。
それをいいことに、アレクは
今回の企みをスズエ婦人に知られることは、アレクとしても、ぜったいに避けたい汚点であることには違いなかったわけである。
「スーザン、よく聞いてくれ。いいか。これからスーザンは〈ノアズ・アーク社〉の研究施設へ行くんだ。ほら…前にも話したことがあっただろ? 俺はバスターズにいたことがあって、
「そうだったかしら…? 忘れちゃったわ…」
「そうかよ。だったら、はじめて聞くつもりで聞いてくれ。ま、早い話、俺はL=6に顔が利くんだ。バスターズにいたときも、俺を息子のようにかわいがってくれてさ…ほら、彼女には息子がいないだろ? だから、俺には甘いんだ。
今回だって『アレクの知り合いなら喜んで力になる』って、それはもう本当に嬉しそうに言ってくれてさ…」
サクラは、かたわらでふたりの会話を聞きつつ、そのアレクの調子のよさ、嘘八百を並べたてる変わり身の早さに、あきれかえって舌を巻く。
とくに「L=6に息子がいない」というくだりは、即行で反論したいところだったのだが…サクラは、黙ったままアレクの話に耳をかたむけた。彼の本当の目的、その真意を知りたかったからだ。
「いいか、スーザン。あんたはこれから研究施設へいって〈風土病〉の治療を受けるんだ」
「治療?」
スズエ婦人は、眉根をよせてアレクをみた。
「治療を?」
同時にサクラも眉根をよせ、思わず声をもらした。
アレクは、サクラの方を意識しつつ、ふたりに説明するように言葉をつづける。
「そうだ。研究施設では、ずっと〈風土病〉の研究を続けてるんだ。L=6が、アルファ・プロジェクトと同じぐらいの熱量で取り組んでる研究さ。
俺が働いてたのは5年前――そのころは、まだ、特効薬もワクチンもなかったが、今なら完成してるかもしれないし、それがだめでも、治療技術は格段にあがってるはずなんだ。スーザンの症状を遅らせることは、きっとできる! そのうち薬も完成する。そしたら、スーザンも助かるし、
「それ、本当なの?」
そう疑問を投げたのは、当然、サクラの方だ。
その言葉に、アレクは真剣なまなざしで答えた。
「嘘なわけねぇだろ、スーザンの命がかかってるんだぞ…」
そういって、首元で光る
「この、スーザンの十字架にかけて…俺は誓うよ…」
オレンジ色の明かりを反射して、十字架が‘きらり’と光る。
「そもそも、俺はずっとスーザンのために何ができるか考えてたんだ。バスターズへのリベンジは…まぁ、嘘じゃねぇが…そいつは
「………」
サクラは、むずしい顔をして黙りこんだ。
アレクの言っていることが信用できなかったからではない。むしろ、それが真実なのだとわかり、新たな決断を迫られていたからだ。
それからアレクは、スズエ婦人に向き直り、
「けど、スーザン…あんたには信じてほしい。つらくても、もう少し我慢してくれ…研究施設にさえ行けば、きっと、すぐ良くなるから…」
「アレク、私は、あなたを信じるわ…」
そういって、スズエ婦人は震える手をのばし、アレクの頬にそっとふれた。その小さな手のうえから、さらにアレクはふた回りも大きい自分の手を重ねる。
「ありがとう、アレク…」
「当然だ…」
サクラは、ふたりの様子を見つめながら、109号室でのスズエ婦人の言葉を思い出していた。
『 おかしいわよね。彼とは40歳以上も離れているのに、私の中にいる〈少女〉が彼に恋してる… 』
スズエ婦人は、愁いを秘めた瞳で、テラス越しの海をみつめながらそう言った。
『 私は、ここにいる…この109号室に、ずっといるの 』
『 彼のためにね… 』
アレクとスズエ婦人が知り合ったのは1年前だ。
その1年間になにがあって、ふたりの心が強く結ばれていったのか、サクラは知らない。
ふたりの関係をなんと呼べばいいのか、それも良くわからない。
恋人同士なのか、友人同士なのか、家族なのか…。
ただ、ひとつわかるのは、ふたりが手と手を重ねて見つめあう情景はとても美しく、スズエ婦人は、いま、幸せなのだろうということだけだった。
サクラは、彼女の、この幸せな一瞬を壊したくないと強く思った。
「ところで、サクラちゃん…」
「は、はい?」
スズエ婦人に呼ばれ、サクラは彼女の顔をのぞきこんだ。
「あなたは、どうして手錠なんかしているの…?」
「え?」
サクラは、思わぬ問いかけに
スズエ婦人にとっては、ごく当たり前のことを聞いただけだ。なぜ、サクラだけが手錠をしていて、しかも、サクラの顔は少し腫れていて口元に血のあとがこびりついている。
顔が腫れているのは、スフィア教団の男に暴行されたせいであって、アレクのせいではないが、手錠、暴行、血のあと…この状況は、どう考えても異常で、スズエ婦人が気になるのは当然のことだ。
「こ、これは…そ、その…ええと…あのね…」
だが、冷静に考えれば、慌てるのはアレクの方で、サクラではない。
案の定、となりではアレクが冷静さを失い、バツが悪そうにぱちぱちと瞬きをくりかえしたのち「ついに、嘘がバレる時がきたか…」と、あきらめにも似た表情でサクラをにらむ。
(いいさ…なにもかもスーザンに話せばいい…)
(おまえは俺に〈仕返し〉がしたいだろう…?)
(だったら、そうすればいいさ…)
アレクの目は、そう語っていた。
それから、ふてくされたように顔をそむけ、何も見えない窓の外に目をむける。
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