38|路地裏の少年
その夜——
サクラを乗せた軍用車がポートヘルムの郊外を抜け、隣接する農業地区《グリンフィルド》に入った頃――ポートヘルムの港町では、
エムズ親子が消えた路地裏で、AKBとラフルア・ローレンが嗅いだ〈香り〉――それが麻薬の一種であることを突きとめた彼らは、その裏事情に精通している人物—―麻薬密売の元締めをしている〈
売春を
「ひぇぇぇ…なんか、すごいところですね…」
ラフルア・ローレンと、その他4名の青年たちは、みな一様に顔をこわばらせ、地雷が埋まる戦場を歩く兵士のように、おぼつかない足取りでAKBの後ろに付きしたがう。
うす暗い路地裏には、
「こりゃあ…まさに、悪夢だ…」
「ラフルア・ローレン、無駄口を叩くんじゃない!」
AKBは、振りかえりざま、ラフルアをにらみつけた。
彼女は、この状況にも眉ひとつ動かさず、何物にも動じている様子はなかった。
「す、すみません! ですが…これは、あまりにも、ひどい光景で…」
「そう思うか?」
「思います」
「そう思うなら、黙ってこの光景を脳裏に焼きつけておけ。これは現実。夢などではないのよ」
するどい眼光でラフルアをにらみつけながら、それでも、AKBの目の奥には、子供を叱る母親のような優しさが宿っている。
「この世界は、見たくない現実であふれている。この先、あんたたちが進む道のうえには、もっと悲惨な現実が待っている。だが、決して目を
「は、はい…」
ラフルアは、神妙なおももちで、AKBの言葉に耳をかたむけた。彼女の説教には、いつも自分たちに対する愛情を感じたし、なにより説得力があったからだ。
信頼できるボスの言葉は、ラフルアたちの心に深く刻みこまれ〈指針〉となってゆく。
「よく、心に刻みなさい」
「はい…」
ラフルア同様、他4名の青年たちも歩みをとめ、直立不動でAKBの言葉をきく。
「なにが正義で、なにが悪か――あんたたちには、まだ、物事の本質が見えてはいない。正しい見極めができるようになるまで、ただ黙って見つづけるの。その先には、かならず〈答え〉があるわ。わかったな?」
「はい」
「わかったら、さっさと行くわよ!」
『イエッサー!』
青年たちは、小さく敬礼し、AKBの言葉に敬意を表した。
「うわぉー! バスターズすげーなぁー…すげーそろってるぅ…!」
とつぜん――前方の暗闇から、若者らしき声がし、ぱちぱちと手をたたく音が聞こえた。
「さすが、
「何者だ?」
AKBの視線のさき――その暗闇から姿をあらわしたのは、やっと義務教育を終えたばかりのような、幼さが宿る少年だった。
「あんたたち〈おやっさん〉に…いや〈キング〉に会いにきたんだろ?」
「そうよ」
「道案内するよう〈キング〉に言われたんだ。ついて来な…」
「………」
一同は、少年のあとについて、さらに闇深い迷路のような路地を歩きはじめた。
「その制服、かっこいいねぇ!」
「あ…こ、これ…?」
人懐こそうな少年は、ラフルアと肩をならべて歩きながら、背中にバスターズの文字が刺繍された制服を、
「なぁ、それ、どうやったら手に入る? いくらで売ってるの?」
「あ…いやー…これは支給品で、売り物じゃないからな…」
「一着ぐらい、くすねられるだろ? 売ってくれよ」
顔中にピアスをあけ、年齢にまったく似つかわしくない、
「おれ、けっこう金持ちなんだぜ? おやっさんの下で働かせてもらってるから、
「いや、そういわれても…」
ラフルアは思う。仕事といっても、まともな仕事であるはずはないと。ドラッグの受け渡しか、風俗関係か…どちらにしても、十代の少年が手を染めていい仕事のはずはなかった。
この少年は、いったい、どういう事情でここにいるのか――売春婦が産み落とした孤児なのか、あるいは家出少年か…どちらにしたところで、まともに教育を受けているようには見えなかったし、このまま、この世界に身をやつす彼の未来が明るいはずはなかった。
ラフルアは気づいていた。
自分の腕にからめている少年の腕が、小刻みにふるえていることを。
彼はおそらく、ジャンキーなのだろう。
目の下は、くっきりと黒い隈でふちどられ、どうみても健康優良児には見えない。
「ちぇ、ケチだな…」
煮え切らない態度のラフルアにみきりをつけ、少年は苦虫をかみつぶしたような顔で言葉を吐きつつ、ラフルアの腕を放し、すたすたと先を歩きはじめる。
「ご、ごめんな。本当は、あげられたらいいんだけど…」
「いいよ、べつに…」
がりがりの薄い背中を丸めながら、少年は言葉をつづける。
「制服が手に入ったからって、バスターズになれるわけじゃないもんな」
「きみ、バスターズになりたいの?」
「そりゃそうさ。誰だって一度はあこがれるだろ? いまや、世界中が注目してる軍隊だぜ。俺がバスターズになったら、みんな俺を尊敬する。おやっさんだって、きっとほめてくれる。気持ちいいだろうなぁ…誰かに尊敬されるってさ…」
「………」
(だったら、ノアズ・アーク社の入社試験を受けてみたら…)
喉元まで出かかった言葉を、ラフルアは瞬時に飲みこんだ。そんな現実離れしたことを、この少年に言うべきではないとわかったからだ。
どう考えても、劣悪な環境で育った薬漬けの少年が、L=6の組織に受け入れられるはずはない。それは100パーセントだ。1パーセントの可能性すらないと、ラフルアは思う。
希望の言葉を――「やれば、できるよ。がんばれ!」と言ってあげたかったが、どうしても言葉がつかえて出てこなかった。
どうしようもない悲しみが、ラフルアの心を支配する。
「わかってるんだ…」
少年は、背中を丸め、消え入りそうな声で、ぼそりとつぶやく。
「けっきょく、俺は、〈何〉にもなれないんだ…」
「………」
「俺は、このゴミ溜めで生きて…ゴミ溜めで死ぬのさ。俺は、そういう星の下に生まれたんだって、おやっさんも言ってるし…おやっさんがいうことは、いつも正しいから、きっとそうなんだ…」
「………」
(見ろ…)
「きみは…キングのことが、好きかい?」
「もちろん、大好きさ。おやっさんは、俺のオヤジみたいなもんだからな!」
少年は、肩をすぼめ、少し照れ臭そうに、前歯のかけた口をあけ‘にッ’っと笑う。
(すべてを見ろ…)
ふいに、ラフルアの目の奥が‘かっ’と熱くなり、心臓をわしづかみされたように‘きゅっ’と痛んだ。少年の笑顔が、あまりにも切なく悲しく、そして、彼の心が、あまりにも美しかったからだ。
ここで生きて、ここで死ぬ。
夢や希望を持つことすら許されないまま、それでも、誰かの愛情を信じて、薬漬けのまま笑っている。こんな世界が、現実に存在することがやるせなかった。
ラフルアは、いたたまれず少年から目線をそらしたが、思い直して、また視線を少年にもどす。
(だめだ…)
(目を反らさずに、見るんだ…)
『 黙ってこの光景を脳裏に焼きつけておけ。これは現実。夢などではないのよ。よく、心に刻みなさい… 』
(イエッサー…)
ラフルアは、しっかりと、目の前の現実を心に刻んだ。
***
「着いたぜ。ここが、キングのお城だ!」
少年が指さす先に、古い雑居ビルがあった。
まわりの薄闇に溶け込むようにして、黒々しいシルエットを浮かび上がらせている。
それは、さながら、深い森の奥にひっそりとたたずむ魔女の館か、吸血鬼の古城か――バスターズの青年たちは、みな一様に息をのんだが、あいかわらずAKBだけは、威風堂々たる態度をくずさず、
「もたもたするんじゃない。さっさと行くわよ!」
彼女の声は、
「ひぇぇぇ…」
ラフルアの小さな悲鳴を、AKBは、情けなさそうに首を左右にふって受けながし、眉間に深いしわをきざむ。
「あんたは、まだまだ根性が足りないわね…まったく…」
だが、彼女の口元には、なぜか、小さなほほ笑みが浮かんでいた。
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