38|路地裏の少年

 その夜——


 サクラを乗せた軍用車がポートヘルムの郊外を抜け、隣接する農業地区《グリンフィルド》に入った頃――ポートヘルムの港町では、AKBエーケービー率いる《調査チーム》が、いまだ解明されない謎を追って動いていた。


 エムズ親子が消えた路地裏で、AKBとラフルア・ローレンが嗅いだ〈香り〉――それが麻薬の一種であることを突きとめた彼らは、その裏事情に精通している人物—―麻薬密売の元締めをしている〈キング〉と呼ばれる男に会うため、夜の歓楽街へと足をはこんだ。


 売春を生業なりわいとしたいかがわしい風俗店や、闇カジノ店が立ち並ぶ裏通りから、さらに狭い路地裏――ドラッグの密売がひっそりと行われているディープな地区へと足を踏みいれたのだった。


「ひぇぇぇ…なんか、すごいところですね…」


 ラフルア・ローレンと、その他4名の青年たちは、みな一様に顔をこわばらせ、地雷が埋まる戦場を歩く兵士のように、おぼつかない足取りでAKBの後ろに付きしたがう。


 うす暗い路地裏には、麻薬中毒者ジャンキーらしき者たちが、始終、獣のようなうめき声を出しながら暗闇にうずくまり、さらに、小便と下水のにおいが足元から立ちのぼってくる中で、バスターズの青年たちは、なるべく空気を吸わないよう息をつめながら歩いてゆく。


「こりゃあ…まさに、悪夢だ…」

「ラフルア・ローレン、無駄口を叩くんじゃない!」


 AKBは、振りかえりざま、ラフルアをにらみつけた。

 彼女は、この状況にも眉ひとつ動かさず、何物にも動じている様子はなかった。


「す、すみません! ですが…これは、あまりにも、ひどい光景で…」

「そう思うか?」

「思います」

「そう思うなら、黙ってこの光景を脳裏に焼きつけておけ。これは現実。夢などではないのよ」


 するどい眼光でラフルアをにらみつけながら、それでも、AKBの目の奥には、子供を叱る母親のような優しさが宿っている。


「この世界は、見たくない現実であふれている。この先、あんたたちが進む道のうえには、もっと悲惨な現実が待っている。だが、決して目をらさず、しっかり、すべてを見なさい。それが、新米バスターズのあんたたちにできる唯一の〈仕事〉でしょ!」

「は、はい…」


 ラフルアは、神妙なおももちで、AKBの言葉に耳をかたむけた。彼女の説教には、いつも自分たちに対する愛情を感じたし、なにより説得力があったからだ。

 信頼できるボスの言葉は、ラフルアたちの心に深く刻みこまれ〈指針〉となってゆく。


「よく、心に刻みなさい」

「はい…」

 ラフルア同様、他4名の青年たちも歩みをとめ、直立不動でAKBの言葉をきく。


「なにが正義で、なにが悪か――あんたたちには、まだ、物事の本質が見えてはいない。正しい見極めができるようになるまで、ただ黙って見つづけるの。その先には、かならず〈答え〉があるわ。わかったな?」

「はい」

「わかったら、さっさと行くわよ!」

『イエッサー!』

 青年たちは、小さく敬礼し、AKBの言葉に敬意を表した。


「うわぉー! バスターズすげーなぁー…すげーそろってるぅ…!」


 とつぜん――前方の暗闇から、若者らしき声がし、ぱちぱちと手をたたく音が聞こえた。


「さすが、L=6エル・シックスの軍隊だ。みんな、きらきらしててすごいねぇ…」

「何者だ?」

 AKBの視線のさき――その暗闇から姿をあらわしたのは、やっと義務教育を終えたばかりのような、幼さが宿る少年だった。


「あんたたち〈おやっさん〉に…いや〈キング〉に会いにきたんだろ?」

「そうよ」

「道案内するよう〈キング〉に言われたんだ。ついて来な…」

「………」


 一同は、少年のあとについて、さらに闇深い迷路のような路地を歩きはじめた。


「その制服、かっこいいねぇ!」

「あ…こ、これ…?」

 人懐こそうな少年は、ラフルアと肩をならべて歩きながら、背中にバスターズの文字が刺繍された制服を、めつすがめつながめ、前歯が1本かけたままの口元を‘にッ’っとあけて笑った。


「なぁ、それ、どうやったら手に入る? いくらで売ってるの?」

「あ…いやー…これは支給品で、売り物じゃないからな…」

「一着ぐらい、られるだろ? 売ってくれよ」


 顔中にピアスをあけ、年齢にまったく似つかわしくない、禍々まがまがしい髑髏どくろのタトゥーが彫り込まれた細い腕を、ラフルアの腕にからめ、彼の顔をのぞきこんだ。


「おれ、けっこう金持ちなんだぜ? おやっさんの下で働かせてもらってるから、実入みいりはいいんだ。あんたの給料分ぐらい、簡単に払えるぜ?」

「いや、そういわれても…」


 ラフルアは思う。仕事といっても、まともな仕事であるはずはないと。ドラッグの受け渡しか、風俗関係か…どちらにしても、十代の少年が手を染めていい仕事のはずはなかった。


 この少年は、いったい、どういう事情でここにいるのか――売春婦が産み落とした孤児なのか、あるいは家出少年か…どちらにしたところで、まともに教育を受けているようには見えなかったし、このまま、この世界に身をやつす彼の未来が明るいはずはなかった。


 ラフルアは気づいていた。

 自分の腕にからめている少年の腕が、小刻みにふるえていることを。


 彼はおそらく、ジャンキーなのだろう。

 目の下は、くっきりと黒い隈でふちどられ、どうみても健康優良児には見えない。


「ちぇ、ケチだな…」


 煮え切らない態度のラフルアにみきりをつけ、少年は苦虫をかみつぶしたような顔で言葉を吐きつつ、ラフルアの腕を放し、すたすたと先を歩きはじめる。


「ご、ごめんな。本当は、あげられたらいいんだけど…」

「いいよ、べつに…」


 がりがりの薄い背中を丸めながら、少年は言葉をつづける。


「制服が手に入ったからって、バスターズになれるわけじゃないもんな」

「きみ、バスターズになりたいの?」

「そりゃそうさ。誰だって一度はあこがれるだろ? いまや、世界中が注目してる軍隊だぜ。俺がバスターズになったら、みんな俺を尊敬する。おやっさんだって、きっとほめてくれる。気持ちいいだろうなぁ…誰かに尊敬されるってさ…」

「………」


(だったら、ノアズ・アーク社の入社試験を受けてみたら…)


 喉元まで出かかった言葉を、ラフルアは瞬時に飲みこんだ。そんな現実離れしたことを、この少年に言うべきではないとわかったからだ。


 どう考えても、劣悪な環境で育った薬漬けの少年が、L=6の組織に受け入れられるはずはない。それは100パーセントだ。1パーセントの可能性すらないと、ラフルアは思う。


 希望の言葉を――「やれば、できるよ。がんばれ!」と言ってあげたかったが、どうしても言葉がつかえて出てこなかった。


 どうしようもない悲しみが、ラフルアの心を支配する。


「わかってるんだ…」

 少年は、背中を丸め、消え入りそうな声で、ぼそりとつぶやく。


「けっきょく、俺は、〈何〉にもなれないんだ…」

「………」

「俺は、このゴミ溜めで生きて…ゴミ溜めで死ぬのさ。俺は、そういう星の下に生まれたんだって、おやっさんも言ってるし…おやっさんがいうことは、いつも正しいから、きっとそうなんだ…」

「………」


(見ろ…)


「きみは…キングのことが、好きかい?」

「もちろん、大好きさ。おやっさんは、俺のオヤジみたいなもんだからな!」


 少年は、肩をすぼめ、少し照れ臭そうに、前歯のかけた口をあけ‘にッ’っと笑う。


(すべてを見ろ…)


 ふいに、ラフルアの目の奥が‘かっ’と熱くなり、心臓をわしづかみされたように‘きゅっ’と痛んだ。少年の笑顔が、あまりにも切なく悲しく、そして、彼の心が、あまりにも美しかったからだ。


 ここで生きて、ここで死ぬ。


 夢や希望を持つことすら許されないまま、それでも、誰かの愛情を信じて、薬漬けのまま笑っている。こんな世界が、現実に存在することがやるせなかった。


 ラフルアは、いたたまれず少年から目線をそらしたが、思い直して、また視線を少年にもどす。


(だめだ…)


(目を反らさずに、見るんだ…)


『 黙ってこの光景を脳裏に焼きつけておけ。これは現実。夢などではないのよ。よく、心に刻みなさい… 』


(イエッサー…)


 ラフルアは、しっかりと、目の前の現実を心に刻んだ。



          ***



「着いたぜ。ここが、キングのお城だ!」


 少年が指さす先に、古い雑居ビルがあった。

 まわりの薄闇に溶け込むようにして、黒々しいシルエットを浮かび上がらせている。


 それは、さながら、深い森の奥にひっそりとたたずむ魔女の館か、吸血鬼の古城か――バスターズの青年たちは、みな一様に息をのんだが、あいかわらずAKBだけは、威風堂々たる態度をくずさず、


「もたもたするんじゃない。さっさと行くわよ!」


 彼女の声は、鬱蒼うっそうとした雑居ビルの谷間をふるわせた。


「ひぇぇぇ…」


 ラフルアの小さな悲鳴を、AKBは、情けなさそうに首を左右にふって受けながし、眉間に深いしわをきざむ。


「あんたは、まだまだ根性が足りないわね…まったく…」


 だが、彼女の口元には、なぜか、小さなほほ笑みが浮かんでいた。




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