39|路地裏の男〈1〉

 その黒々とした雑居ビルの地下に、キングの部屋はあった。


 「築300年」と言われても納得してしまいそうなほど古びたビルは、この吹きだまりのような場所で、長い間、人々の悲しみや絶望を見つめてきたのだろう。


 壁にしみついた汚れ、匂い、空気…すべてに悲しさを漂わせ、そこに風が吹きつけると、まるでこの建物自体がすすり泣いているかのように、ひゅうひゅうと音をたてた。


「さぁ、着いたぜ。ここが、キングの部屋だ…」


 AKB率いる〈調査チーム〉のメンバー5名は、少年に案内され、エントランス横から地下へとくだる階段をおりてゆく…と、そこはすでに、赤い絨毯がしかれた応接室になっていた。


 壁にとりつけられた、アンティーク調のライトが‘ふわふわ’と漂う薄暗い室内。

 その奥に黒々と浮かび上がる巨大なシルエット――それが〈キング〉だった。黒い仕立てのいいスーツに身を包み、優雅に葉巻をくゆらす姿は、闇の世界に君臨する首領ドンに似つかわしい姿だ。


「やあ…よくぞ訪ねてくれたな…ようこそ、わが城へ…」


 その初老の男は、革張りのソファからゆるりと立ち上がり、杖をつきながら、AKBの目の前まで来ると、すっと右手を差し出した。


 AKBは、しわ深い男の手をにぎり、真正面から彼の目をみすえた。その男の目――そのすりりガラスのような鈍い輝きを放つ目は、この世のあらゆる絶望――人々の悲しみの涙が凝縮して結晶化したような、不思議な色合いをしていた。


「このたびは、エムズ失踪事件の調査に協力いただき、感謝します。キング」

「いやいや…L=6エル・シックスには、日頃からいろいろと世話になってるからな。これは、その恩返しだと思ってくれ」


 L=6は、この一帯に住む人々――貧乏で医者に通う金もない人々のために、定期的に無償で自社(ノアズ・アーク社)の医薬品を届けていたのだ。

 とくに避妊薬は、彼らにとって必要不可欠な薬だったし、ただの胃薬や風邪薬も、買えない人々にとってはありがたいほどこしだった。


「しかも、L=6直々じきじきの頼みとあっちゃ、断れんだろう」

 嬉しそうに男は笑う。


 AKBをソファに座るよううながし、自分も腰をおろすと、また、ゆっくりと葉巻をくゆらせはじめる。いつの間にか少年の姿はなく、ラフルアと4名のバスターズは、AKBの後ろに《休め》のポーズで並んだ。


「そもそも、L=6と私は旧知の仲なのだよ」

「存じています」


 AKBは、あいかわらず不愛想なまま、簡潔に言葉をかえす。


「では、私が、かつて兵士だったことも知っているかな?」

「はい。あなたとL=6は、戦場で出会ったと」

「そう…あれは、まだ、あの研究施設が軍事施設だった頃の話だ…」


 本題(エムズ失踪事件)のことは脇におき、男は、思い出話を語りはじめた。

 AKBは、くこともなく、男の話につきあった。


「あれは30年前――私は軍の特殊部隊の一員だった。L=6は、当時18歳で、私は35歳だったな…。あの頃…あちこちの戦場で、彼女を見かけたものだよ…」


 野戦医療やせんいりょうの資格を持っていた彼女は、医療班として重宝され、父親である司令官の命令により最前線の部隊へも率先して赴いていた。


「彼女は、どこで見ても美しかったな…汚れることもいとわず、白いドレスで颯爽と戦場を歩いてた。それは、さながら戦いの女神様のようだった。女性は、恋をすると美しさが増すものだ。当時…彼女には意中の青年がいたんだ。それは知っているかな?」

「はい」

「L=6は、いつも青年のそばを離れなかったよ。あれは…エムズの兵士だった。彼女はその青年に夢中だったんだ。1年後――彼が、な…」

「………」


 AKBは、その青年のことは噂レベルでは知っていたが、詳細については、L=6本人からも、なにも聞かされてはいなかったし、とくに知りたいとも思ってはいなかった。


 人には、それぞれ、踏み込んではいけない領域というものがある。AKBには、そっと隠しておきたいものを、無理やりこじ開ける趣味はなかったし、「どうでもいいこと」だった。


 だが、ひとつ、確かなのは――青年が死んだことで、L=6の中に明確な〈使命〉が生まれ、その強い〈使命〉により、いま、自分を含む多くの人々が、エムズのため――そして、この世界のために動いているということ。それが何より重要なことだと、AKBは思っていた。


「L=6が、エムズのための軍隊――〈バスターズ〉を作ったのは当然のなりゆきってやつだな…それは青年の願いでもあったからな…」

「そうですね。L=6は、いまも、〈彼〉のために尽くしています。そして、我々は、それを全面的にサポートするのが役目です。どうか、あなたにも力を貸していただきたい」


 AKBは、ようやく本題を切り出した。


「むろんだ。私も、エムズのため、ここで、ひと役買わせてもらおう」


 そう、男は誓った。




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