34|もうひとつの脅威〈3〉

 スフィア教団の脅威は、サクラの身にも迫っていた。


 それは2日前――フロント・ロビーで、スズエ婦人がサクラに声をかけた時から、すでに始まっていたのである。


『 あら、めずらしい! あなたたち〈エムズ〉ね? 』


 その声を耳にした彼らは、それ以来、ひっそりとサクラの行動を見張り、レストランでのアレクとの会話や、ミニ庭園での会話にも聞き耳をたて、フードの下に隠れた爬虫類のようなまなこで、ストーカーのように‘ねっとり’と視線を這わせていたのだ。


 だが――当然、サクラは知るはずもなかった。


 スフィア教団の脅威も、エムズの変異も、まさか自分が得体の知れないになるなど想像できるわけもない。


 それは、バスターズの青年(ケビン・ジョンソン)も同じことだ。

 彼が配属されている僻地へきち(フィーン駐屯基地)に、ノアズ・アーク社の機密情報など届くはずもない。知識としてあるのは〈アルファ・プロジェクト〉の概要ぐらいだっただろう。


 そのケビンは、いま、アレクの指示に従いサクラに手錠をかけると、軍用車に乗り込むようサクラに強要しているところだった。


「さっさと乗れよ!」

「………」

 ミニバスのような形状をしているその車には、縦長の小さなドアがついており、2段のステップをのぼって車内に入ると、左右両側にベンチがついた奥行きのある空間がひろがっていた。


「その、いちばん奥に座るんだ!」

「………」

 ケビンに命じられ、サクラは険しい表情のまま、しぶしぶ黒い革張りのベンチに腰をおろす。


「そこで、おとなしくしてるんだ。いいな?」

「………」

 サクラは、無言で青年をにらみつけた。


「な、なんだよ、その目は? お、おまえが悪いんだろ? 研究施設から逃げ出したりするから…」

 青年は、表情をこわばらせ、言いわけを並べたてる。


「だいたい、研究施設から逃げ出したって、逃げきれるわけがないんだよ。L=6エル・シックスはアルファ・プロジェクトに命をかけてるんだ。

 それにな。L=6おかかえの精鋭部隊は、俺たちより数倍もすぐれたエリート集団だ。おまえみたいなひょろひょろの女が、逃げきれると思ってたのか? 甘いんだよ、そんなの…。さっさと研究施設にもどって、アルファ・プロジェクトに貢献するんだ。星の未来がかかってるんだぞ!」


 そういいながら、彼の声はふるえていた。

「自分はいま、なんという大胆な作戦を決行しているのか」という…この作戦に対する畏れと緊張がサクラにも伝わってくる。


 サクラは思う。この青年は素人なのだと。おそらく、アレクにそそのかされて、実戦経験もないまま勢いだけでこの作戦に乗ったのだ、と。


(逃げられるかもしれない…)


 サクラは思った。


(アレクがいない、今がチャンスかも…)


 けれど――サクラは、そうしなかった。

 ツトムが、バスターズに捕まっている可能性が高かったからだ。


 ツトムもフィーン駐屯基地に連れていかれるなら、そこで合流し、そこからまた脱出計画を立てればいい。ツトムの透視能力と、自分の能力――もちろん、自分が覚醒するにはゴースターが必要だったが――ふたりの能力が合わされば、脱出できる可能性は高まると思ったのだ。


 そして、ここで逃げ出さない理由としては、もうひとつ。

 それは、スズエ婦人のことだった。

 アレクは研究施設に連れていくと言っていたが、連れていってどうしようというのか――とにかく、サクラは、彼女を見捨ててこの場を離れることなどできなかったのだ。それが、サクラという人間の〈本質〉だった。


「とにかく、おまえは、そこでじっとしてるんだ! いいな?」

 青年は、無理やりワルを演じながら、サクラに命じると、


「あいつ…遅いな。まったく、なにやってんだ…」

 そう、ぶつぶついいながら外に出てゆき、ドアのまえでアレクを待った。


 車内にひとりきりになったところで、サクラは素早くまわりを見まわす。

 車体の左右には、潜水艦についているような羽目殺はめごろしの小さな丸窓が、合わせて4か所あり、サクラは、いちばん近い窓から外の様子をうかがう。


 通用口から、アレクがスズエ婦人を連れて出てくるのを、サクラも、ケビン同様、じっと見守った。


(あいつ…)


(スズエさんを、研究施設に連れてくって言ってた…)


(どうして、研究施設になんか連れてくの…?)


(ここを離れれば〈風土病〉が治るから…?)


(スズエさんの、あの症状は…やっぱり〈風土病〉の…?)


 サクラの脳裏に、人格が崩壊した彼女がちらつく。


(私も…いつか、そうなるの…?)


 手錠をかけられたままの重い腕をあげ、右腕に点在する黒い星座のような斑点はんてんを見つめる。

 その、ホクロでもなく、腫瘍しゅようでもなく、あざでもない…瘡蓋かさぶたのように固い不可思議な〈点〉を見つめながら、サクラの心は‘ざわざわ’とゆれはじめた。


(この黒い点…)


(こんな感じだったっけ…?)


 はじめ、ホクロのようだった〈点〉は、なぜか微妙に大きく皮膚の表面に盛り上がり、瘡蓋かさぶたのようでもあるが、はがそうとしてもはがれない、どこか異質なものに変わっていたのだ。


 自分の中で、なにかが変化している…。

 それは、誰に教えられるわけでもなく、サクラ自身が本能的に感じる違和感だった。


(ここは、異世界なんだ…)


 あらためて、サクラは思う。


 ゴースター、異能力、異文化、星の滅亡…そして〈風土病〉という未知のやまい…ここは、自分の想像をはるかに超えた事象が起きる場所。


 そんなことは、23ゲートに現れたときから…そして巨大な穴からゴースターが這い出てきた時からわかっていることだったが、それでもサクラは思ってしまうのだ。


(私は、どうして、こんな世界に来てしまったの…?)


(この世界は、いったい、なんなの…?)


(私は、いったい、どうなるの…?)


(ここで死ぬの…?)


(この、わけのわからない世界で…?)


 シンと静まりかえる殺風景な車内。

 そこここにうずくまる、うす暗い影。

 そこはかとなく漂う冷気。


 ひやりと冷たいベンチの下から、サクラの不安をあおるかのように、どこからか風がふわふわと忍びこみ、サクラの体をぞわりとでる。


 サクラは、自分が自分でなくなってしまうような…冷気に混ざって一瞬で消されてしまうような錯覚におそわれ、ふいに――糸杉の森の‘ささやき’が、サクラの耳に木霊こだまする。


‘ おまえを見てる… ’ おまえを見てる…


‘ 〈影〉が見てる… ’ 〈影〉が見てる…


‘ 死が…おまえをとりまいている… ’ 死が……


 糸杉の花言葉は『 死・哀悼・絶望 』。

 思えばサクラは、糸杉の森をさまよっている時から、自身の暗い未来を、どこかで予感していたのかもしれなかった。


(怖い…)


(たすけて、誰か…)


 不安と、恐怖と、強烈な疎外感。

 リアルな〈死〉の感覚にとらわれた、そのとき――


「ちょっと! あなたは何ですか!? やめてください!」


 サクラは、その声に‘はっ’と我に返り、丸窓から外をのぞく――と、ドアのところで、青年と男が揉め合っているところだった。


(だ、誰…?)


 どこから現れたのか、ガウンのような白装束をまとっているその屈強そうな男は、青年をあっという間になぐり倒し、気を失った彼には目もくれず、乱暴に軍用車のドアをあけた。


(く、来る…!?)


 男はそのまま、ずかずかと無遠慮に乗り込んでくると、サクラの目の前に立ちはだかった!


「……!?」

 サクラは、その殺気に圧倒され言葉もでない。


「これから、あなたを、スフィアの里へお連れします…」


 男は、地の底から響くような野太い声でそういった。

 だが、その屈強な大男から発せられる言葉は、意外にもていねいで紳士的だった。


「あ、あなたは、誰…?」

「我々は、スフィア教団の者です」

「スフィア教団…?」

「あなたを、助けにまいりました」

「………」


 深々とフードをかぶり、黒い影で覆い隠された男の顔。その奥から、じっとサクラを見つめる虚無的な目からは、なんの感情も読みとることができなかった。


「………」


 サクラもまた、アレク同様、得体の知れない男の存在に戦慄し、背筋を‘ぞくり’とふるわせた。




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