33|もうひとつの脅威〈2〉

 アレクは、1年前――このホテルのレストランで働きはじめたころから、スフィア教団の存在は知っていた。地域住民から頼りにされている宗教団体だということも噂では聞いていたし、実際そうなのだろうと思っていた。


 だが――アレクは、当初から、彼らを胡散臭く思っていたのも事実だった。

 彼らは、すべてにおいて無個性で覇気がなく、得体が知れなかったからだ。


 スフィア教団の男たちは、けして声をあげて笑ったりはしないし、嘆き悲しむこともない。

 それは戒律で〈喜怒哀楽〉を禁じられているせいなのか、あるいは他の理由があるのか――アレクにとっては、どうでもいいことだったが、その、得体の知れない異質な感じは、ずっと彼の心をざわつかせていた。


 こいつら、本当に人間なのか? と…。

 そして、いま――109号室のまえで対峙している大男もしかり、だ。


 アレクは、すっと目を細め、その男の意図を読みとろうと細部に目を凝らした。


(そもそも、どうしてドアが閉まってた…?)


 アレクは思う。


(おそらく、最後に部屋を出たのは宮本咲良みやもと・さくらだ…)


(あの女は、オートロック式のドアを閉めるようなヘマはしねぇ…)


(ラッチで押さえて部屋を出たはずだ…)


(つまり、部屋のドアを閉めたのはこの男だ…)


(…ってことは、部屋の中を覗かれたら困る状況にあるということだ…)


(なにが目的か知らねぇが、こいつはスーザンを助けてなんかいねぇ…)


(おそらく、スーザンは中にいる…)


 それが、アレクの結論だった。


「本当に、スーザンはいないのか?」

「はい」

「車で運んだって?」

「はい。従業員用の駐車場に、ワゴン車を停めていたので…」

「そうか…」


 アレクは、眉間に深いシワを刻み、さらに目を細めると、


「おかしいな? 俺は、いま、そこから来たんだがな…」

「………」

「駐車場に、ワゴン車なんか1台も停まってなかったぜ?」

「そうですか? それは、あなたの勘違いでは?」


 男は、眉ひとつ動かさず、仮面のように無機質な顔をアレクに向けた。


「じゃあ…中に入って、確かめてもいいよな?」

「もちろんです。誰もいませんが、どうぞ、お入りください…」


 男をねめつけながら、アレクは室内へと足を踏み入れた。身長190センチのアレクに劣らず、その男も上背があり、リビングルームへ「どうぞ」とうながす男の顔とアレクの顔が接近し真横ですれちがう。


 間近に見る男の顔…その表情からは、心を読みとることなど一切いっさいできなかった。

 詐欺師が身につける〈ポーカーフェイス〉とも違う、どこか異質なその無表情は、少なからずアレクの背筋を‘ぞくり’とふるわせた。


 彼が、過去に出会った様々な人たち――善良な人から悪人まで、すべてのタイプを思い返してみても、スフィア教団の男たちは当てはまらない。


 どんな悪人にも感情はあり、人間らしいところはある。アレクは、過去、悪さをして裏稼業うらかぎょうの人間と渡り歩いたこともあったが、そんな悪人にも人情はあり、そのおかげで生き延びてこられたのも事実だった。だが――


(こいつらは、エイリアンか…?)


(どうしたら、こんな、得体の知れない人間ができあがる…?)


 サイコパス――

 ひとつの単語が、アレクの脳裏に浮かんだ。



          ***



 リビングルームへ足を踏み入れた瞬間、アレクは、自分の推測が正しかったことを知る。ソファの上に、手足をロープで縛られ、ぐったりと横たわるスズエ婦人を発見したからだ。


「スーザン…!」


 と、そのとき――背後から男の気配を感じたアレクは、条件反射的にふり向き――いま、まさに自分に殴りかかって来ようとする男の拳をかわした。


 アレクの耳元で、その拳が‘ぶん’と唸って風を切る!


 直後――ジーンズの尻ポケットに差していたスタンガンを手に取ると、男のわき腹へ一撃をくらわす!


「う・ああああああぁぁぁぁーーーーーッ!!!」


 男は、苦痛に顔をゆがめ、床に倒れこんだ。


「言え! おまえらの目的はなんだ!?」

 アレクは、寝そべる男の胸ぐらをつかんで、ゆさぶった。


「彼女をどうするつもりだった!?」

「か、彼女は…エムズです…」

「だからなんだ!?」

「彼女は、へ、変異する…悪しき人間…」

「………」

 アレクの険しい表情に影がさす。


 もちろん、アレクは、エムズの変異を知っている。

 研究施設でそれを知り、スズエ婦人、本人からも告げられていたからだ。


 そう——スズエ婦人は、知っていた。

 だから、サクラが〈風土病〉と知り、サクラに質問されたとき、ことさらその話題を避けつづけたのには、そういう理由があったからだ。


 エムズの変異は、研究施設の中でも、もっとも重要な機密のひとつだ。世の中の混乱を避けるため、そしてエムズを守るため、L=6エル・シックスは、あらゆる手段を使って隠蔽いんぺいしてきた。


 だが、それを、なぜ、スフィア教団の男は知っているのか…?


「おまえら…エムズの変異を、どうして知ってる!?」

 アレクの問いに、男は答えた。


「我々の指導者リーダーは偉大な方なのだ…知らないことなどなにもない。この世のすべてをご存じなのです…」

「この世のすべて、だと?」

「そうです。このご婦人は、もうすぐ変異するのです…ですから…その悪しき魂を浄化しなければなりません…」

「浄化って、なんだ?」

 すると男は、とつぜん、恍惚とした表情で視線をさまよわせ、意味不明な言葉をつぶやきはじめた。


「おお…我らがスフィアの里…スフィア神殿…おお…美しき〈聖なる火〉…浄化される魂…その叫び…断末魔…おお…!」


「おまえ、なに言ってんだ…?」

 アレクは、目の前の狂人に怖気おぞけをふるわす。


「ふ…」

 そこで、男は笑った。

 はじめて見せる〈感情〉だった。


 だが――その笑みは、到底‘人間らしい’とはいいがたく、重いまぶたをうすく開けたまま、虫けらでも見るようにアレクをみて、小さく「死ね…」とつぶやいた。


「エムズも…それをかばうあなたたちも…悪しき魂を持つ者は、みな…死んでしまえばいいのです。〈死〉は魂の浄化なのです…。死ね…。死ね…。死ね…。死ね…。死ね…。死ね…」

 男は、あくまでも淡々と、呪詛のように「死ね」という言葉をくりかえしはじめる。


「黙れッ! この、サイコ野郎ッ!」


 アレクは、そのおぞましさに耐えきれずか…あるいは、単純に鬱陶うっとうしいだけかもしれなかったが、その怨念のような言葉を一刀両断で切り伏せるように、スタンガンを、今度は、男の首元に押し当てる。


 叫び声をあげる間もなく、男はそのまま気を失った。


 アレクは、そのボディに蹴りをいれ、皮肉たっぷりに捨て台詞ぜりふをはいた。



「スフィアのお恵みを! くそ野郎…」




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