31|アレクの罠

 スフィア祭りを3日後にひかえ、多忙を極めているのは〈お菓子屋〉だけではない。それは、ホテルも同じだった。


 ここ〈シーサイド・パレスホテル〉の敷地内にあるイベント広場でも、そのためのステージが設置され、多くのホテルマンたちが駆り出され、その対応に追われていた。

 白い提灯ランプがずらりと釣り下がり、その下では縁日のような屋台が組まれ、業者の人間も多く集まっている。


 一方――そのにぎわいとは裏腹に、ホテル内は静寂につつまれていた。

 その1階――小川寿々江おがわ・すずえが住まう109号室は、ひときわ静かな部屋だ。


 だが、突如――その静寂を破り、ひとりの女子が109号室のドアから飛びだすと、必死の形相でどこかへ走り去ってゆく…。言わずと知れた、サクラである。


 サクラは、〈従業員通用口〉を目指して走っていた。


 ほんの数分まえ、アレクと言い争ったとき、彼は通用口の先へと姿を消した――と、いうことは、まだ、その辺にいるはずだと思ったからだ。


 サクラの脳裏には、豹変したスズエ婦人の言動が生々しく記憶に刻まれている。

 サクラに吐いた暴言・暴力…まるで、悪魔に人格を乗っ取られてしまったかのようなその態度は、サクラを大いに動揺させていた。


 スズエ婦人の身に、何が起きてるのか?

 それは、自分の身にも関係することなのか?


 そもそも、医者でもないアレクを呼んでどうなるものでもないとも思ったが、スズエ婦人がそれを望んでいるのだから、きっと、なにか改善策があるのだろうとも思う。


 なかばパニック状態のサクラの頭の中は真っ白だったが、いま――サクラの思いはただひとつだ。


(早く、スズエさんを助けなくちゃ…!)


 〈従業員通用口〉のドアを開け、廊下を通り過ぎ、アレクの足跡そくせきをたどるように、その先へと走ってゆく――と…。


「あ、いた…!」


 廊下の突きあたりには駐車場へとつづく出入口があり、ちょうどサクラが廊下の角を曲がったところで、10メートルほど先に見えるそのドアからアレクが現れた。数分まえと同じ、白いTシャツにジーンズ姿のままだった。


「アレ・ク…!」


 だが――サクラは瞬時に言葉を飲みこみ、足をとめ、あとずさる。

 アレクには〈連れ〉がおり、その男がバスターズの制服を着ていたからだ。


(…え?)


 サクラの心臓が‘ドクン…’と波打つ。


(どうして…?)


(どういうこと…?)


 バスターズの青年が、たまたまアレクの知り合いだという可能性も、ないわけではない。だが、この状況で、そんな偶然があるだろうか?


 アレクの真意を探るように、サクラは彼の表情をうかがった。


 10メートル先にいるアレクもサクラに気づき、こちらを見つめた。


 アレクの視線と、サクラの視線が直線で結ばれ、ふたりの間に緊張がはしる。


 ――と、彼は、ゆっくり唇の端をつりあげ、黒く、薄く、笑ったのだ。


 その瞬間、サクラは悟った。


 これは〈罠〉だと。


 と、そのとき――連れの男もサクラに気づき、決定的な言葉を口にした。


「あいつ…宮本咲良みやもと・さくらだ…!」


 サクラは、つぎの瞬間、きびすをかえし走り出していた!



          ***



「逃げるなッ!!! 待てーーーッ!!!」


 男の声を背に受け、サクラは全力で走る。


(アレクは、知ってたんだ…!)


(知ってて、ずっと罠をしかけるタイミングを計ってたんだ…!)


(私は、ずっと騙されてた…!)


(はじめから、あの男の目的は〈私〉だった…!)


(私たち…エムズ・アルファを捕まえること…!)


 糸杉の森でハンターたちから救ってくれたこと。

 トロッコで森の出口まで運んでくれたこと。

 車でホテルまで連れてきてくれたこと。

 そして、このホテルを手配してくれたこと…。


 すべては、このための〈罠〉だったのだと、サクラは悟った。


 そして、走った!


 通用口を出て、ホテルの廊下――ミニ庭園――レストラン――ラウンジを通り過ぎ、エントランスに差しかかったところでフロントから声が飛ぶ。


「ど、どうされましたかッ!?」


 サクラは、そのホテルマンに「109号室で、スズエさんが倒れてる!」とだけ言葉を投げると、そのままフロントを突っ切り、エントランスの外へまろび出る。


(これで、スズエさんは大丈夫…!)


(きっと、ホテルマンが助けてくれる…!)


(いまは、自分のことだけ考えるんだ…!)


「だ、誰か…誰かたすけてぇーッ!!!」

 だが――サクラの叫びは、行き交う車の喧騒にかき消されて届かない。


 いまは、ほとんどのホテルマンがイベント会場におり、エントランス前は誰ひとりおらず、遠くにちらほらと白装束を着た〈スフィア教〉とおぼしき信者たちの姿があるだけで、サクラの叫びなど、聞こえるはずもなかった。

 おそらく、いま、ここで殺人事件が起きたところで、誰も気づきはしなかっただろう。


(走れ…!!!)


(ちから、尽きるまで…!!!)


 ホテルの前の道は、片側3車線、両側6車線の広い道路になっており、ひっきりなしに車の往来があった。もし、いま、サクラが〈覚醒〉していたなら、軽々と向こう側へ飛び越えることもできたのだろうが、いまのサクラには、それも叶わぬ。


(でも、行くしかない…!)


 ちょうど、サクラが車道にさしかかったところで、奇跡的に車の流れがとぎれ、向こう側へ渡るスペース(道)ができる。


(よし、いまだ…!)


 ――と、そのときだった。


「あ…!」


 突然、サクラの視界がぐらりとゆれ、車道によろけて倒れこむ。

 ずっと忘れていた〈風土病〉の症状がでたのだ。


 サクラは、猛スピードで走ってくる大型トラックの車体と接触し、ホテル側へと弾き飛ばされてしまう。


「ばか野郎ッ! 気をつけろーッ!」

 けたたましいクラクションと共に怒号が飛び、トラックは走り去った。


 サクラは、わき腹を押さえつつふらふらと起き上がり、体制を立てなおす――と、次の瞬間、背後から誰かに肩をつかまれ――ふり向くと、そこには、不敵に笑うアレクの顔があった。



「捕まえた…」




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