30|エムズの失踪

 アレクがケビンと合流した頃――ラフルア・ローレンは、ポートヘルムの港町にいた。言わずと知れた〈エムズ失踪事件〉の調査である。


 AKBエーケービー率いる調査チームの一員である彼は、さっそく彼女に命じられた通り、ある親子のところへ聞き込み調査に行くところだった。


「母親の名前は《田中里佳子たなか・りかこ》40歳。娘《田中彩乃たなか・あやの》14歳。失踪したのは里佳子の夫《田中洋二たなか・ようじ》当時42歳。1年前の今頃、ふらっと散歩にでたきり戻らず、以後、消息を絶ったそうよ…」


 AKBからの情報は、それだけだった。


「この家族は、バリバリの〈エムズ・ファミリー〉…ですね?」

「こっちの世界で知り合って、結ばれた夫婦よ。でも、そんなのめずらしくもないわ。その2世もね。ラフルア・ローレン、あんただって同郷の女がいたら、とりあえず口説くどくでしょ?」

「た、たしかに…」

「…と、いうか、そんなことは、どうでもいいわ! あんたが調べるのは夫の失踪事件よ! わかってるわね!」

「は、はいッ。すみません…」

「とっとと、行きなさい! あとで様子を見にいくけど、それまでに要点を聞き出せていなかったら、あんたの、その、くるくるヘアを、バリカンで丸坊主にするから覚悟しておきなさい!」

「ひぃぃーーー…」


 と、いうわけで――彼はいま、ポートヘルムの〈みやげもの屋が立ちならぶ商店街へとやってきた。


 その親子は、その商店街でお菓子屋を営んでいた。

 こじんまりとした小さな店だったが、スフィア祭りを3日後にひかえた今、お菓子屋はかき入れ時だ。スフィア(球体)を模した、雪玉みたいな〈まんまるクッキー〉を買い求める客があとをたたない。


「ごめんなさい…見てのとおり、今、とっても忙しいのよ!」

 田中里佳子は、〈まんまるクッキー〉を袋詰めしながら、ラフルア・ローレンと店先で会話をしていた。


「だったら、自分も手伝います! なので、話を聞かせてください」

「しょうがないわね…いま、娘を呼ぶわ。彩乃ぉー、お店を手伝ってちょーだい。忙しいの、わかってるでしょー!?」


 彼女の娘、彩乃は、かったるそうにのろのろと奥の部屋から顔を出すと、母親にひとことも口をきかないまま、まったくやる気がなさそうに店先に立った。娘は反抗期・真っ只中、なのだ。


「でもね。話すことなんて、なにもないわ…」

 田中里佳子は、作業台のまえに立ったまま、クッキーの袋詰めをつづけながら、ラフルアに椅子に座るよううながし、夫がいなくなったときの話をはじめる。


「本当に…ただ、忽然こつぜんと消えたのよ。主人はスカンクキャベツのピクルスが大好物でね。その日ちょうど切らしてたから『散歩がてら買ってくる』と言って出たきり戻らなかったわ」

「そうですか…」

「すぐに警察と自治体が動いてくれたけど、私たちは…その…なんていうか…エムズでしょ?」


 彼女は、少し口ごもりながら、


「彼らも、本気で捜査するつもりなんてないのよ。形だけ…1週間、探して『見つかりませんでした』で終わりよ」

「そんな…」

「そのあと、スフィア教団の人たちが、ボランティアで山に入ったり、危険な場所も命がけで探してくれたけど、見つからなかったの。でも、彼らには感謝してる。警察とは大違い。彼らの献身には、本当に頭が下がる思いだったわ」

「スフィア教団、ね…」


 〈スフィア教団》は〈スフィア教〉から発生した新興宗教だ。

 ラフルア・ローレンも、もちろん、彼らの働きは知っている。


 地域のひとたちのために自警団じけいだんをつくり、地震・災害などで被害にあった人たちのために無償で働いており、地域住民にとっては警察より頼りになる組織かもしれなかった。

 バスターズも、地域貢献と称して畑の草むしりなどをしているが、地域住民からは、たいした評価はもらっていない。


(宗教団体に属している人間は、そもそも根本的に精神構造が違うのかな…?)


(犠牲的精神なんて、バスターズにあるのかな…?)


 ラフルア・ローレンは、そんなことを考え、ちょっぴり反省ムードに浸った、そのとき――裏口のドアを叩く者がいた。


「ごめん、彩乃ぉーー! 出てちょーだーい!」

「なんで、私なのよぉ!」

 娘は、母親とラフルアを横目でにらみつけながら、しぶしぶ裏口のドアをあけ、「はぁい、なんですかぁ?」と、かったるそうに路地裏へと姿を消す。


 その間、ラフルアは母親との会話に没頭していたため、娘の存在を忘れていた。母親もしかり、だ。数分後――なかなか戻らない娘に、母親が気づく。


「もう、あの子ったら…路地裏でサボってるんだわ!」

 そういいながら、母親も路地裏へと姿を消した。


「あ…じゃ、じゃあ、自分は、とりあえず〈お店〉を…!」

 ラフルアは、あわてて店先に立つと、満面の笑みを作って宣伝をはじめる。


「いらっしゃいませ、いらっしゃいませー♪ まんまるクッキーいかがですかー♪」

 と、そのとき――

「あんた、何やってんのッ!?」


 客の列を割って、AKBが鬼の形相で姿をあらわした。


「うわぁ、AKB! す、すみませんッ」

「あやまって済むと思うなと、言ったはずだ!」

「す、すみませんッ」

「おまえはいつから〈売り子〉になった!? 聞き込みは、どーした!?」

「で、ですから…いま…」


 ラフルアは、ふたりがいるはずの裏口を指差し、そこで、ふと気づく。

 裏口の向こうからは、誰の話し声も聞こえてはこなかったのだ。


「あれ? ふたりは、どうしたんだ…?」


 ラフルアは、あわてて裏口のドアを開ける…と、案の定そこには誰もいなかった。

 そこは、幅2メートルにも満たない狭い路地になっており、ゴミ箱・空き箱・自転車などが雑然と置かれている。そこに、人の気配など、どこにもなかった。


「え? な、なんで…?」

 路地裏は、シン…と静まりかえり、争った形跡もない。

 文字通り、忽然と消えていたのだ。


「そ、そんな…」

 反抗期の娘はともかくも、母親が、多忙極める店をほったらかして、どこかへ行ってしまうなどありえなかった。


「消えました…」

「なんだと!?」

「AKB…信じてください! 自分は…数秒まえまで、母親と会話をしてました。こんなことは、ありえないです…」

「ありえないことなど、この世にはない!」

「ですが…」

「待て…」


 AKBは、ラフルアの言葉を手で制し、


「この香りは、なんだ…?」

 AKBは憮然と口を結んだまま、眉間に深いシワをきざむ。


「香り? あ! たしかに、なんか匂います、ね…」

 わずかに、ラフルアの鼻腔を刺激したその香りは、香木こうぼくいぶしたような、官能的で甘い香りだった。


 謎の香りを残し、忽然と消えた親子は、いったいどこへ――?


「いったい…エムズに、なにが起きてるんだ…?」


 ラフルア・ローレンの心が‘ざわざわ’とゆれた。


 そのとき――路地裏に一陣の風が吹く。


 ラフルアの心に沸いた不安を増長するかのように、その風は彼のくるくるヘアをかき乱し、通り過ぎていった。




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