27|サクラの杞憂〈7〉
サクラが〈ミニ庭園〉へ駆けつけるとスズエ婦人の姿はなく、アレクがひとり、ベンチに座り缶コーヒーを飲んでいた。
アレクは、鬼の
「よぉ、クレーム姫! 今日はどんなクレームを付けにきたんだ?」
あいかわらず馬鹿にしたような態度で、口元に笑みを浮かべながら、皮肉たっぷりに言葉をなげた。
「それとも、スーザンに会いに来たのか? だったら一足遅かったな。今日はめまいがひどいから部屋にもどるってさ。スーザンもおまえと同じ〈風土病〉だ。心配なら見に行ってみたらどうだ?」
「行くわよ。あんたと話をつけたあとでね!」
ベンチに座るアレクのまえに仁王立ちし、サクラは彼を見下ろした。
「話? いいぜ、なんでも聞いてやる。俺はフェミニストだからな」
「だったら、単刀直入にいうけど!」
「よーし、言ってみな」
「そのネックレス、スズエさんに返してあげて!」
「ネックレス?」
「あんたの首につけてるその十字架よ。いま、もらったでしょ? 私、上から見てたんだから」
「おまえ…見てたのか?」
その途端―—アレクの表情が一変した。
眉根をよせ、険しい表情でサクラを見上げる。
「クレーム姫、改め、のぞき姫だな…」
「茶化さなで、さっさと返してよ! 私からスズエさんに渡しておくから」
サクラはそう言って、アレクの目の前にすっと手を差しだす、と――彼は、その手を無表情で見つめ、それからゆっくりと顔をあげると、
「嫌だね…」
凄みのある鋭い目つきで、サクラを下からにらみつけた。
「こいつは、もう俺のものだ。誰にもやらねぇ…」
「………」
その眼光の鋭さに、サクラは一瞬たじろぐ。
どうせ、また、のらりくらりとした〈嘘〉をついて、煙に巻こうとするはずだと思っていた予想が裏切られたからだ。
それからアレクは、空の缶コーヒーをベンチに置くと「これ以上、話すことはない」とばかりに、サクラを無視して歩きはじめた。
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」
足早に建物内へ歩いてゆくアレクを、サクラは小走りで追いかける。
ホテル内の廊下を歩くその背中には、明らかに〈拒絶〉の文字が張りついており、これまでの雰囲気とは、まるで違う空気に変わったことをサクラは感じていた。
前日のレストランでの一戦では、どちらかといえば、サクラが仕掛けるディベート合戦のリングに率先してあがり、一戦を交えることを楽しんでいるような雰囲気もあり―—そもそも、その馬鹿にした態度がサクラとしては腹が立ってしかたがなかったのだが―—それでも、アレクは、サクラと対峙する意思があった。
だが―—いま、彼は、リングから降り、サクラの存在すらも目に入らぬかのように、ホテル内の廊下を歩いてゆく。
それでも、サクラは、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
自分の中にある正義か、あるいは、ただの負けず嫌いか…それとも彼への好奇心か―—あるいは、そのすべてだったかもしれないが、サクラは必死で食いさがる。
「ちょっと、待ちなさいよ! いったい、どういうつもりよ。それは、スズエさんの宝物よ。ご主人の形見なの!」
「ああ、知ってる…」
サクラの言葉にふり向きもせず、視線をまっすぐ前に向け、アレクはどこかに向かって歩いてゆく。
「知ってて
「騙しとったんじゃねぇ。もらったんだ…ってか、おまえ、俺をなんだと思ってる? 詐欺師かなんかだと思ってるのか?」
「そうよ、あんたは詐欺師よ! セレブの人たちをカモにして、高価なものを騙しとる恋愛詐欺師でしょ!」
「そりゃいいや。だったら、それらしくしなきゃ、な…」
嬉しくもなさそうに‘ははは’と笑って、アレクはサクラの言葉を受け流した。
アレクは、廊下のつきあたり―—『従業員専用口』と書かれたドアを開けると、「どこまでついてくるつもりだ?」と心底、迷惑そうな顔をしてサクラをみる。
「あんたが、そのネックレスを返すまで、よ!」
「ふん、勝手にしろ…」
「たしかに、このネックレスは値打ちものだ。〈エムズ〉の物は高額で買い取ってくれるっていうからな。おまえもエムズだろ? カネに困ったときは、あの薄汚ねぇメイド服を売るといい。そこそこの金額になると思うぜ?」
「メイド服は私の大切な物よ。売るわけないわ。エムズの私物はみんな大切な物ばかりなの。きっと、心がないあんたには、わからないでしょうけどね!」
「俺に、心がないって…?」
「そうよ、あんたには、心がないの! だって、そうじゃなきゃ、こんなことはしない。人が大切にしている物を、自己満足のために気安く奪ったりしない! スズエさんのことを大切に思ってたら…そんなこと、ぜったいにしない! 出来るはずがない!」
『 私の中にいる少女が、彼に恋してる… 』
『 でも、アレクには内緒よ… 』
『 これは片思い。でも、いいの… 』
『 ずっと彼を見ていられれば、それで私はシアワセなの… 』
スズエ婦人の、透き通るようにピュアな、そしてどこか悲しみをたたえた笑顔を思い出し、サクラの目にじわりと涙が浮かんだ。
「あんたは、彼女がセレブだってこと以外、どうでもいいの。ハイエナみたいに、奪えるものは何でも奪う。利用できるものは何でも利用する。そんな人生、むなしいだけだと思わないの? 平気で嘘をついて、平気で騙して…」
「黙れッ!!!」
そのとき―—ついに、アレクが嚙みついた。
ふいに、ふり向きざま、肩をつかまれたサクラは、冷たいコンクリートの壁に押しつけられ、190cmの体が小柄なサクラに覆いかぶさってきたのだ。
「俺に、心がないって…?」
「……!?」
至近距離からサクラを睨みつける彼の目には、なぜか涙が
「俺をなんだと思ってる? おまえに、俺の何がわかる!?」
「……?」
サクラは、なにが起きたのかわからず、ただただ目を丸くしてアレクを見つめることしかできなかった。
「このネックレスを、スーザンがどんな思いで俺にくれたか…俺が、どんな思いで受けとったか…部外者のおまえになにがわかる!?」
「………」
「クレームつけるのも大概にしとけ。人にはな、誰にも触れられたくない事情ってもんがあるんだよ。たった1日、スーザンと過ごしただけで、なにもかも知った気になるんじゃねぇ…迷惑なんだよ。とっとと消えろ。今度、クレームをつけてきたら、おまえの腕をへし折るぞ!」
「………」
「わかったら、305号室でおとなしくテレビでも見てろ!」
それからアレクは、おびえた目で自分を見るサクラに気づき、はっと我に返ったように一歩身を引くと、思わず感情を露呈させてしまったことに対して恥じているのか、
「と、とにかく、もう、俺につき
サクラは、冷たく固いコンクリートの壁に金縛りにあったように動けないまま、薄暗い廊下を遠ざかってゆくアレクの背中を見送った。
廊下を曲がるとき、一瞬、彼はふり向くと、
「おまえも、あの〈スカンク・ボーイ〉を見習えよ。『他人の事情には興味がない』ってポリシーが徹底してる。あいつの方がよっぽど大人だ…」
そう言葉を残し、姿を消した。
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