25|サクラの杞憂〈5〉

 結論からいうと、アレクは料理人ではなかった。


 彼には虚言癖きょげんへき――意味もなく嘘をついてしまうという癖があったのだ。


 もちろん、サクラたちについた嘘には、多少の意図があったのかもしれない。

 自分の計画を成功させるため、ツトムの気を引き、自分の縄張り(ホテル)に囲っておくための手段のひとつとしては、大いに役に立ったのだから。


 だが―—それも、計画の一部というよりは、つい口をついて出てしまったというほうが正しいだろう。


 彼は、つねに、周囲の人間に対し、なにかしらの嘘をついていた。

 他愛のない嘘を吐き出し、それを身にまとって本性を隠す。

 嘘は、彼の〈防衛手段〉のひとつなのだ。


 ひとは、みな、すべてをさらけ出して生きているわけではない。

 心の奥底には、誰にも触れられたくない領域があり、自覚がある・ないにかかわらず様々な手段をつかってそれを隠している。


 その手段は、人によってさまざまだ。


 周囲を笑わせて煙にまく人間。(4Cフォーシーはそのタイプだろう)

 人を寄せつけないオーラを放って、他人と関わらない生き方をしている人間。

 人の話ばかりを聞いて、自分のことはまったく話さない人間。


 そして、アレクは〈嘘をついて正体を偽る人間〉だった。

 そうやって、彼は、嘘を身にまとい、自分にさえも嘘をつきながら生きていたのだ。


 だが―—いつかは、人生のどこかの地点で、正体をさらけ出さなければならない転機が訪れる。人は、そうやってメタモルフォーゼ(変化)してゆく生き物だからだ。


 そして、アレクもまた例外ではない。

 嘘で蓄積された彼の心の奥底には、いったい何が沈んでいるのか…。


 は、いまも沈黙を保ち、ひっそりと、彼の中で眠っていた。



          ***



「やっぱり嘘だった…」


 レストランで食事を終え、自分たちの部屋(305号室)へ戻ってきたサクラは、ふかふかのベッドのうえに乱暴に‘ぼふっ’と座り、何度も‘ぼふぼふ’と自分のコブシを叩きつけ、行き場のないイライラをもてあましながら、レストランでの顛末を回想した。


 サクラの予想通り、アレクはボーイ(ホール係)の姿でふたりを出迎えたのだ。


「よぉ! おふたりさん、やっと現れたな! 元気だったか?…ってか、そのご当地Tシャツ…センスいいねぇ!」

 スズエ婦人に用意してもらった、変装用の〈おのぼりさんスタイル〉を目にとめ、馬鹿にした態度で‘にやにや’しながらサクラたちを眺める。


「いかにも、田舎から出てきたバカップルって感じで…マジ似合ってるぜ」

「ありがと! でも、そんなことより、あんたの恰好はなに?」

 サクラは、彼のに気も留めず、単刀直入に切り込んだ。


「なにって、なにがだ?」

「その恰好、ボーイでしょ?」

「まぁ、そうだが…それがなんだ?」

「あんた、料理人じゃなかったの?」


 そのサクラの問いに、彼はしれっと答えたものだ。


「俺は料理人さ」

「じゃあ、どうしてボーイの恰好をしてんのよ!」

 レストランの入り口で、身長190cmのアレクを仰ぎ見ながら、サクラは果敢に食い下がる。


「それは、まぁ…ホールが混んできたからな。手伝いをしてるんだ」

「ホールが混んだら、キッチンのほうも忙しいんじゃないの?」

「そりゃそうだが…俺はまだ料理人の見習いだ。キッチンにいても足手まといになるだけさ。だから、ホールを手伝ってる」

「そのホールだって、いま、どう見てもガラガラなんですけど!」

「これから混む予定なんだ。なんなら予約表みせるか?」


 それまで、余裕で‘にやにや’していたアレクの表情が、サクラの執拗な質問攻めで、にわかに曇る。


「嘘ばっかり!」

「嘘じゃねぇ…ってか、おまえ、さっきからなんだ?」


 ついに、アレクの眉間にもシワがより、言葉に力が入る。


「俺がホールだと何か問題でもあるのか? こっちは、糸杉の森でおまえたちを救ってホテルまで紹介してやって…しかも、この食事券だって俺のはからいだ。『ありがとう』のひとつぐらい言ったらどうだ? ひとを嘘つき呼ばわりしやがって。おまえ、とんだクレーマーだな!」

「クレームをつけたくなるのは、あんたに原因があるからでしょ!? 料理人なんて嘘なんでしょ?」

「嘘じゃねぇ!」


 なおも、自分は料理人だと言い張るアレクに、サクラは奥の手を出す。

 横で‘ぽかん’としているツトムの腕をとり、アレクのまえに突き出したのだ。


「ひゃあ!」

 ツトムは、ただただびっくりして固まったままだ。


「とりあえず、彼に謝りなさいよ! 彼は、あんたを料理人だって信じて、尊敬して、友達だと思ってるの! その気持ちを裏切るような真似をして、あんた心が痛まないの?」

「ああ、まったく、ぜんぜん痛まないね!」


 彼はついに嘘を認め、身長155cmのサクラを、上から威圧するように顔を近づけ、憎々しに歯をむきだす。


「そうさ、俺は料理人じゃねぇ。だからなんだ? そんな嘘、誰だってつくだろ? 俺は聖人君子せいじんくんしじゃないんでね!」

「あんた、サイテー…」

 

 ―—と、そのとき。


「ぼ、僕は、アレクが好きだよ!」


 とつぜん、ツトムが叫び、アレクの手を握った。


「も、もちろん、いままでのことも感謝してるし、アレクのことも好きだ。友達だ!」

「……!?」

「……!?」

 意外な展開に、サクラとアレクは、同時に目を丸くしてツトムをみる。


「ぼ、僕は、きみが料理人でもホール係でも、そんなことはどっちでもいい。きみは、きみだ。そうだろ? そして、僕たちは〈スカンク仲間〉だ。そうだろ? それでいいじゃないか。

 僕は、ぜんぜん、そんなこと気にしてないんだ。だから…お願いだから、仲良くしてくれない、かな? 僕は、争いごとが苦手なんだ…しかも、僕のことで言い合うなんて…悲しいっていうか…なんていうか…」


 眉をハの字にまげ、泣きそうな顔でふたりを交互に見ながら懇願するツトムに、ふたりは戸惑い、黙りこむ。


「………」

「………」

 数秒の沈黙ののち、最初にアクションを起こしたのはアレクのほうだった。彼は、ツトムの手を握りかえし、


「まったく…そのとおり! 俺は俺だ。俺とおまえは〈スカンク仲間〉だ。そんで、友達だ。それはまったく変わらない事実さ。おまえ、ほんと、いいこというな!」


 アレクはツトムの肩を抱き、勝ち誇ったような顔でサクラを見くだす。


「………」

 サクラは、なにか言いかけた口を閉じ、ただただ黙り込むことしか出来なかった。


 そもそも、サクラはツトムのことを思って憤慨していたわけで…当人が傷ついてもいなければ、憤ってもいない状況に、サクラが向けていた怒りのベクトルは行き場を失い、宙を舞って、自分の心につきささる。


 要するに、サクラ VS アレクの戦いは、サクラの惨敗で幕を閉じたのだった。


 アレクは「してやったり」と、サクラを横目でみてニヤリと笑い、嬉しそうに口笛を吹きながらサクラたちのテーブルを離れていった。


 白シャツに黒ベスト、黒ズボンに長めの黒エプロンを腰元できゅっと巻いたギャルソンふうの出で立ちは、身長190cmの彼に、とてもよく似合っていた。


『 ホール係は、彼の天職… 』


 スズエ婦人がいう通り、その恰好もさることながら、時折セレブのご婦人方が、アレクのもとへすり寄っては黄色い声をだし、楽しげにやりとりするさまをみると、サクラはなにも言えなくなってしまう。

 彼は、このレストランの〈看板ボーイ〉として、100パーセント役に立っていたのだから。


 適材適所。そんな言葉がサクラの脳裏に浮かんでは消えた。


 しかし、それでも、サクラの中に居座ってしまったイライラの種は、いつまでもくすぶりつづけ、さらにエスカレートして、サクラの心をゆさぶる出来事へと発展してゆくこととなる。


 その夜——サクラは、なかなか寝つけず、305号室のベッドの中で、なんどもなんども寝返りをくりかえした。


(あいつ…)


(本当に、なんなのよ…!?)


(なんだか、わからないけど…)


(なんか、なんか、なんか…)


(すっごく、腹が立つんですけどぉーーー…!)




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