24|サクラの杞憂〈4〉

 スズエ婦人とアレクが出会ったのは、1年前——


 ホテルの海側にある〈ミニ庭園〉のベンチで、日差しがふりそそぐ中、読書をしていたスズエ婦人の頭上にすっと日傘が差し出され、


「こんなところで活字を読むと、目がつぶれるぜ?」


 ふりむくと、そこには、亡くなった夫にそっくりな美しい青年が立っていた。


「それでも、本を読みたいっていうなら、日がかげるまで、俺がずっと、ここに突っ立っててもいい。今日も、明日も、あさっても、な。で…そのかわりっていっちゃぁなんだが、昼飯をおごってくれないか? じつは、いま、腹ペコで死にそうなんだ…」


 彼はそういって、大げさにお腹をさすってスズエ婦人の笑いを誘い、その日から、毎日、彼女はアレクに昼飯ランチをおごることとなり、ミニ庭園でのデートが日課となった。


 それが―—スズエ婦人とアレクとの出会いだった。



          ***



「アレクは、ずっと放浪の旅をしていたの。彼は根無し草。ひとつのところに落ち着けないタイプなのよ。どこからか、ふらっとあらわれて…そして、いつかまた、ふらっといなくなる。そういう人…」


 陽がかたむき、部屋の隅々に小さな闇ができはじめたリビングルームで、それをはねのけるかのように瞳をきらきらと輝かせながら、スズエ婦人は意中の〈彼〉のことを夢中で話した。


「でも、いまはレストランで働いてるんでしょ?」

「ええ、そうなの。トラブルを起こすこともなく、どこかへふらっといなくなることもなく、1年前からずっとレストランで働いてるの。これは、ある意味《奇跡》よ、サクラちゃん。きっと、彼自身も驚いてるんじゃないかしら?」


 そういって、彼女は「アレクのことを話題にしていること自体がシアワセでしかたがない」というオーラを放ちながらコロコロと笑った。


「なるほど…」


 だが―—そんなスズエ婦人とは裏腹に、サクラはずっと、眉間にシワをよせながら浮かない顔をしていた。

 サクラが思う〈アレク〉という男の人物像と、スズエ婦人が思うが、あまりにもかけ離れていたからだ。


 サクラに言わせれば、ひとつのところに落ち着けず、なにかしらのトラブルを起こしてあちこち迷っていた彼は、性格的に問題があるか、あるいは、その土地を離れざるをえなかった、なにかしらの事情があるからだろう。

 そしてそれは、おそらく、人を丸め込むことにけている彼がやりそうなこと―—セレブな女性をだまして、金品を巻き上げるたぐいの犯罪…。


(恋愛詐欺師…)


 サクラの脳裏に浮かんだのは、そんなワードだった。


 誰しも、恋をすると、恋愛対象者を過大評価してしまう傾向がある。〈恋〉は、男女を結びつけるために自然界が仕組んだ魔法なのだ。


 だが、魔法はいつか解ける。


 王子様だと思っていた彼が、じつはただの〈コソ泥〉だったと気づいたとき、そのショックは計り知れないだろう。サクラは、それを懸念していた。


 スズエ婦人にかかっている魔法も、きっと、いつかは解ける…。


「きっと、天職なのね」

 スズエ婦人は、彼が1年もレストランで働いているのは、その仕事がしょうに合っているからだといった。


(料理人が、彼の天職…?)


 サクラは、どこか、ボタンをかけちがえたような違和感を抱きつつ、黙ってスズエ婦人の言葉に耳をかたむける。


「1年前——『どこか、働く場所はないか』って彼に聞かれてね。ちょうど、そのとき、レストランのホール係がやめたところだったから、支配人に声をかけて、それですぐに採用が決まったのよ」

「スズエさんが紹介したんだ?」

「ええ、そう。ほら、彼って色男だし、リップサービスも上手でしょ? あっという間に女性客の心をつかんで…今やレストランの人気者よ。ぜったい、ホール係は彼の天職!」

「え? いまも、ホール…なの?」


 そこで、サクラは気づく。


「ちょ、ちょっと待って。あの人…料理人じゃなかったの?」

「料理人?」

「私とツトムには、自分は料理人だって…」

「やだ、まさか…そんなわけないでしょう?」

 スズエ婦人はコロコロと笑いながら、サクラの肩をポンポンとたたき、


「彼、厨房に入ったって、玉ねぎの皮ぐらいしかけないはずよ? アレクは、すっごく不器用なの! 入りたての頃は、よくお皿を落としたり、ワインをこぼしたりして支配人に怒られてたわ」

「そう…なんだ…」

「それでも、トラブルも起こさず続けてこれたのは、この仕事が性にあってるからよ。そうでしょ?」

「………」


 サクラは、黙ったまま、深いため息をついた。


(嘘だったんだ…)


 心の中に、黒い感情がじわりと沸いた。


(ツトムには、調子のいいこといって味方につけて…)


(おかげで、ツトムは、すっかり信じて、尊敬して、友達だと思ってるのに…)


『 すごいや、きみはスカンクキャベツのこと、なんでも知ってるんだね! 』

『 僕たちは〈スカンク仲間〉だ! 』

『 料理人!? 』

『 近い未来に、きみにもラッキーは訪れるよ。絶対だ! 』


 初めてできた〈友達〉に顔を高揚させながら、嬉しそうに瞳をきらきらと輝かせ、アレクをベタ褒めしていたツトムの顔を思い出し、サクラの眉間には深いシワが刻まれた。


(やっぱり、あの男は信用できない…)


「やだ、サクラちゃん、どうしたの? 怖い顔して…」

「スズエさん…私…」


(あの人のこと、信用してない…)


(きっと彼は、スズエさんが思ってるような人じゃない…)


(だから…)


 喉元まで出かかった言葉を、サクラはかろうじて飲み込んだ。


 ここで反論したところで、彼女も、ツトム同様〈アレク教〉の信者となり果てていることは明らかだ。きっと、口論になるだろう。


 どちらにしても、スズエ婦人の中の〈夢見る少女〉を悲しませることになる。彼女の瞳に宿るきらめきを、一瞬で曇らせてしまうことになる。


 それを思うと、サクラは、なにも言えなかった。


「サクラちゃん、大丈夫…?」


 ぽかんとした表情で、サクラの顔をのぞきこむように首をかしげる彼女へ、サクラは張りついたような笑顔で、


「だ、大丈夫。ただ…ちょっと…お、お腹がすいちゃったかも…?」


 そう言って、ごまかした。


 そのとき―—


「サクラッ。いま、お腹がすいたって言ったかな?」

「ツトム!」


 マナーズ博士の資料室(ウォークインクロゼット)に、かれこれ4時間あまりも引きこもっていたツトムが、ようやくに顔を出し、サクラたちがいるリビングルームへやってきた。


「ちょうど、僕もお腹がすいてきたところなんだ。よかったら、レストランに行かないかい? 昨日フロントでもらった食事券、サクラと食べようと思ってとっておいたんだけど…」

 そういって、1ドル札ほどの大きさの紙切れを2枚、ひらひらとかざした。


 当然、サクラは、それを断る理由などなかった。それどころか、このグッド・タイミングなツトムの誘いは、サクラの闘志に火をつけた。


「よし、確かめに行こう、ツトム!」

「へ? 確かめるって…な、なにを…???」


 本当にホール係か、この目で確かめないことには文句のつけようもない。スズエ婦人が知らないだけで、じつはすでに料理人として修業をしている可能性もゼロではないからだ。


(とりあえず、この目で確かめなくちゃ…)


(文句をいうのは、それからよ…)


(でも、本当にただのホール係だったときは…)


(そのときは…)


(そのときは…?)


(わ、わかんないけど…)


(と、とにかく、文句をいってやる…!)


 サクラの憤りは、強固なものになっていた。


「いってらっしゃーい。楽しんできてね。そして、アレクによろしく、ね」

 スズエ婦人は、109号室のまえで、天真爛漫な笑顔で手をふり、こころよくふたりを見送った。


「確かめるって、な、なにを…??? ねぇ、サクラってばー…!」

 ツトムは、ひたいにクエスチョンマークを張りつけたまま、大股で‘ずんずん’と歩いてゆくサクラの後を、あわてて追いかけた。


 かくして―—サクラ VS アレクの戦い(?)の幕は切って落とされた…のだったが、果たして…。




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