20|マナーズ博士の友人〈2〉

 サクラがフロントで倒れてから、すでに12時間が過ぎていた。


 目を覚ましたのは翌朝の6時――朝日がカーテンのすき間から差し込み、小鳥がさえずりはじめたころだった。


 サクラ、ツトム、スズエ婦人――3人がリビングに集合したタイミングで、スズエ婦人は「ルームサービスを頼みましょう」といって、ツトムの目のまえにメニューを差しだした。


「サクラちゃんは、それまでにシャワーをあびてきたらいいわ。熱いシャワーで疲れをとりなさい」

 そういって、バスルームへサクラをうながす。


 たっぷりと睡眠をとったおかげで、気分はよかったが、ただ、サクラは、アレクがいった〈風土病〉という言葉が、ずっと気になって頭から離れてはいなかった。


「あの…スズエさんは〈風土病〉について知ってたり、する?」

「え?」

 バスルームの棚から、新品のタオルをおろしていたスズエ婦人は、サクラの声にふりかえる。


「私…どうやら、病気らしいの。この土地の風土と合わないんだって…」

 サクラは、そういって、恐る恐る、右腕にうかびあがる星座のような黒い点をスズエ婦人に見せた。すると彼女は、とくに驚く様子もなく、


「ああ、それね…。フロントで会ったときから気づいてたわ」

 そういうと、タオルをサクラに渡し、自分が羽織っているベージュのカーデガンの袖をまくりあげ、同じ右腕をサクラにみせた。


「あ…」

 思わず、サクラは目を見張る。そこには、サクラの腕にある黒い点よりはるかに多い、銀河のような点がびっしりと浮かび上がっていたのだ。


「これって…」

「そう…私も同じ病気なのよ」


 スズエ婦人は、とくに嘆くでも、悲しむでもなく「大丈夫、この土地を離れれば治る病気だから」とサクラが安心する言葉をかけ、


「サクラちゃんと私は、体質が似てるのね」

 そういって、サクラに、陽だまりのような笑顔をむける。


 だが――サクラは、スズエ婦人の笑顔の中に、うれいとも、悲哀ともとれるような感情がゆれた瞬間を見逃さなかった。


「治る…病気なの?」

「もちろんよ!」

「………」

「そのためにも、南へ――ケータイがつながる場所へいく手立てを考えましょ。できるだけ早くね」


「でも、スズエさんは?」

 サクラは、ふと思った。ここを離れれば治る病気というが、ここを離れない人はどうなるのか…と。


「スズエさんは、どうなるの?」

 恐る恐る、サクラがたずねると、彼女は「平気よ。べつに死ぬ病気じゃないわ」と、さらりといい流し、ことさらその話題を遠ざけるように、シャワーの温度調節の説明をはじめる。


「温度調節は、ここでできるから好きにしてね。あなた、あちこちに傷があるから染みるかもしれないけれど…あとで、傷の手当もしましょうね」

「あ、あの…」


 それから、さらに話題はとび、サクラの質問はうやむやのまま消えうせる。


「それから、その汚れたワンピースは洗濯しましょ。着替えは、これを着なさい。売店で、新しいお洋服を買ってきたの!」


 見ると、黒地にディズニーアニメのような〈スカンク〉のイラストが描かれたTシャツと、カーキ色のショートパンツがハンガーに吊り下げられていた。

 旅行先の売店でよく見かける〈ご当地Tシャツ〉なのだろう。キャラクターの下には『アイLOVEラブSKUNKスカンク』と書かれた文字も貼り付けられている。


(そういえば…ツトムも同じ服、着てたっけ…)


 ツトムとの違いは、パンツの長さだけだ。


 サクラは太腿までのショートパンツで、ツトムはくるぶしが出るぐらいの七分丈しちぶたけだ。どちらにしても、はたから見たら〈おのぼりさん〉のカップルのようだったが、わがままを言える立場ではないし、サクラたちにはありがたいプレゼントだ。


「あなたたちはL=6エル・シックスから隠れなきゃいけないんだから、いつまでも同じ服装でいたらダメ。イメチェンしなきゃ!」


 スズエ婦人は、あくまでもマジメに考えてこの服を買ったのだろうが、どこか楽しんでいる雰囲気もあり、力説しながらも目の奥が‘きらきら’と輝いていた。


「イ、イメチェン…?」

「そう、イメチェンよ!」

 老婦人が使う若者言葉に、サクラは思わず吹きだし、ふたりは顔を見合わせて笑いあう。


 スズエ婦人は、つねに笑顔をたやさず楽しそうにふるまっていたが、彼女が話を反らせば反らすほど、心の中に潜む深い絶望を必死で見せまいとしているように思え、サクラはシャワーをあびながら、ずっとそのことを考えつづけた。


(スズエさんは、なにかを隠してる…)


(私には言えない、なにかを…)


(それは、何…?)


(……)


 シャンプーの泡が、サクラの体のあちこちにできた傷口にふれ、心の中のうれいとともに、ヒリヒリとみていった。




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