11|遠い記憶

 L=0エル・ゼロは、L=6エル・シックスの五つとしのはなれた〈姉〉だった。


 医者と研究者という立場こそ違えど、ふたりの共通点は多かった。

 同じ白衣を着、美しい顔立ちに、聡明な頭脳を持ち、それぞれの立場で、それぞれ才能を開花させ、仕事にまい進しているふたり…。


 だが、まとっている空気だけが違ってみえた。


 そしてそれは、髪の色と見事にリンクしており、L=6は、この世の闇をすべてあつめたような〈黒髪〉で、L=0は光をあつめたような〈金髪〉だった。


 そのブロンドヘアをうしろで束ね、L=0はベッドのうえの4Cフォーシーに目線をあわせ笑顔をむけた。


「私はあなたの味方…そして仲間よ。そしてあなたと同じ、宮本咲良みやもとさくらを心配する人間のひとりだわ」

「………」


 彼女は、日頃から、〈妹〉がおこなっている実験〈アルファ・プロジェクト〉に眉をひそめている人間のひとりでもあった。そのことは、4Cも噂で聞いて、なんとなく知ってはいた。

 だが、そういわれて素直に信じてしまうほど、ピュアでもなければ無知でもない。


 彼女と会ったのは、3年前――健康診断のため、この医療センターをおとずれたときに、1度、顔を合わせただけの間柄…の、はずだった。


 もちろん、L=0の存在は知っていたし、彼女とL=6との間に確執があることも知っており、彼女に興味をしめそうとするたびにL=6の機嫌が悪くなることも知っていた4Cは、みずから距離をとり、避けてきたのだ。


 L=6の息子として、それはあたりまえの行動だった。どんな母親であれ、父親のいない4Cにとっては、大切なたったひとりの家族だったのだから。



          ***



 目のまえで丸椅子にすわり、自分をまっすぐ見つめ、ほほえんでいる〈叔母〉が、自分の味方であるという確証が持てないまま、心中をさぐるように言葉をなげる。


「本当か? 本当に、俺の味方なのか?」

 眉間に深いシワをよせ、鷹のようなするどい視線を彼女にむけた。


「そんなに、信じられない?」

 彼女はあいかわらず、おだやかに笑っている。


「ああ…悪いが、信じられないね。俺は、あんたを知らない。L=6の姉で俺の叔母だとういう情報以外、なにも知らないんだ。そりゃ疑うだろ?」

「そうね。でも、私は、あなたを知ってるつもりよ」

「俺の、なにを知ってる?」


 するどく切り込んでくる4Cの質問に、なかば辟易へきえきしつつも、


「変わらないわね、その野生児みたいな鋭い目つき。3歳のときから、なにも変わらない…」

 そういって彼女は、窓の外にひろがる空に、遠い過去の記憶をかさねるように見つめ、その目をほそめた。


「3歳?」

 4Cは、その憂いを秘めた瞳をじっと見つめる。


「そうよ。あなたは、覚えていないでしょうけど、ね。あなたが3歳のとき、1日だけ、あなたと遊んだことがあるのよ?」

「マジで?」

「マジで、ね」

 L=0は、4Cの言葉を拝借し、目尻に‘くしゃっ’とシワをつくってほほえむ。


「湖畔に建つ、小さな山小屋だった…」

「………」

「きれいなところだったわ。あたり一面、菜の花畑でね…黄色い世界で、鬼ごっこしたり、かくれんぼしたりして遊んだの」

「黄色い…」


 とつぜん――4Cの記憶のずっと深いところで、黄色のイメージがぼんやりと浮かびあがる。それとともに呼び起こされる、女性のささやき声…。


‘ 4C、大好きよ… ’


「………」

 4Cは、そのぼんやりとした記憶を内にひそめたまま、彼女の話に耳をかたむけた。


「あなたは、とにかく…ずっとはしゃいで走り回ってた。目を離すスキもないくらい、あぶなっかしいことばかりするの。木の棒をふりまわしたり、木登りしたり、ウサギを追いかけまわして穴に落ちたりね」

「………」

「それから、そのへんに生えてる雑草や花や…目につくものは全部くちに入れてたわ。虫も、ね…」

「うへぇ…」

 4Cは、思わず表情をゆがめ、胃のあたりをおさえる。


「なるほど…そりゃ、たしかに野生児ワイルドだな…」

「ええ。でも、いまだって、考えなしに自分の足を撃っちゃうんだから、性格はぜんぜん変わってないわ。何をしでかすかわからない、野生児のままよ」

「そりゃ、ホメてんのか?」

「ええ、一応ね」


 L=0は、話している最中も、ずっと穏やかにほほえんでいたが、どこか悲しみの影が漂うほほえみであることを、観察眼のするどい4Cは感じとっていた。


「それから22年間…私は、ずっとあなたを想ってた。忘れたことなんてなかった。どこにいても、ずっと、ずっと、ずっと、ね…」


 ふいに――L=0の目にじわりと涙が浮かぶ。


「L=0…?」

 そして、その涙を見た瞬間――4Cの遠い記憶のフタがあいた。


‘ ずっと、ずっと、大好きよ… ’


 黄色い世界の中で、4Cは誰かのうでに抱かれていた。


 小さな体を包み込むように、ぎゅっと抱きしめてくれる女性。


 陽だまりのようなぬくもりと、シャボンの香りと、太陽のように‘キラキラ’と輝くロングヘアが風にゆれ…耳元でささやく声は、小さくふるえ…。


(震え…?)


(あの声は、震えてた…?)


‘ ずっと、ずっと、大好きよ… ’


「そうだ。あんたは…泣いてたな…?」


 そのとき、彼女がなにを言ったのかは覚えていない。けれど、たしかに、耳元でささやく声は震え、抱きしめる腕も震えていたことを、4Cは記憶の中で、はっきりと思い出していた。


「どうして、泣いてたんだ?」

「思い出したのね?」

「ああ、なんとなくね…」

「私が泣いてたのは…それは…」


 L=0は、一瞬なにかをいいあぐね、口元を震わせると、


「それは…お別れがつらかったから…」


 そう、小さくつぶやいた。


「わかるでしょ? L=6は、あなたを独占したかったの。だから私は『接近禁止命令』を出されていてね。それで、1日だけ会わせるかわりに、今後、二度とあなたには会わないって約束させられて…」

「L=6か」

「そう、L=6よ」

 L=0は、なにかをふっきったように表情をひきしめ、涙をぬぐった。


「私が宮本咲良を助けたいのは、正しいことがしたいからよ。L=6は間違ってる。彼女は、ずっと間違った選択をしてきた。この星の危機を救うためといって、たくさんの命を奪ってきた。もう、これ以上、彼女に罪を犯してほしくないの」

「………」


「ずっと、そうしなければと思ってた。でも、なかなか行動に移せなくて。そしたら3日まえ、あなたがここに運ばれてきた。その傷口をみて、私はハッとしたの。

 エムズ・アルファを逃がすために、あなたが自分で撃ったと知って、本当に驚いて…それで『自分も、なにかしなければ』って…」


「きっかけは、お、俺なのか…?」

 意外そうに、4Cは目をみひらき‘ぱちぱち’としばたかせる。


「そう、あなたよ。たったひとりでL=6に逆らってまで〈正義〉をつらぬいたことを知って、自分も、一歩ふみだす勇気がわいたの」


「そ、そうか…」


 4Cは、正義のためにサクラを助けたわけではなかったし、L=6に反旗をひるがえしたわけでもなかった。


 そこは、彼女が思っていることと多少のギャップと温度差を感じはしたのだが…どちらにしても「エムズ・アルファを救う」という目的は一緒だ。


 もう、とっくに、4Cの心は決まっていた。

 彼にはひとつの持論があるのだ。


『 涙をながす者に、悪人はいない 』


 25年の浅い歴史の中で、彼がゆいいつ絶対的に信じている言葉だ。4Cは、その言葉を信じ、自分の記憶を信じ、そしてL=0を信じた。


「けど…このことがL=6に知れたら、あんたはただじゃ済まなくなる。それもすべて覚悟のうえで、言ってることなんだろうな?」

「もちろんよ」

 L=0の応えに、迷いはなかった。


「よし、わかった」

 そういって4Cは、L=0の目の前にすっと手を差しだした。


「よろしく、先生。あんたは俺の仲間〈第1号〉だ」

「よろしく、野生児くん」


 L=0は、その手をしっかりと握りかえす。

 ふたりは、力強く握手を交わし、お互いの視線をあわせ、決意を秘めた笑顔を向けあう。それは――22年の時をへて、ようやく結ばれたえにしだった。


 こうして、4CとL=0の運命は交わり、あらたなステージへと進みはじめる。


 はたして――遠くはなれた研究施設で、遠くはなれた北の地にいるサクラたちを救うことはできるのか…その活躍は、まだ、もう少し先の話となる。



          ***



 なにはともあれ、ここにひとつの〈チーム〉が誕生したことは、サクラにとっても、よろこぶべき出来事にはちがいなかった。


 そのチーム名は『ORIZURUオリヅル団』

 4Cが子供のころ、スパイごっこで使っていた秘密結社の名前だ。


「ひ、秘密結社…?」

「そう! 『秘密結社・ORIZURU団』カッコイイだろ?」

「………」


 L=0が、その子供じみた4Cの発想に、必死で笑いをこらえたただろうことは、想像にかたくない。





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