09|4Cの夢

 時は、少しさかのぼる。


 サクラたちが研究施設の地下水路を抜け、夜明けの海へと姿をあらわした頃――

 研究施設ヘブンズ・ゲート・ビルの敷地内に併設された救急医療センターでは、銃弾によって負傷したひとりの青年の緊急オペが開始されるところだった。


「彼、意識はあるの?」

 全身ブルーの手術着とマスクを身にまとった執刀医しっとうい女性医師ドクターが、緊張したおももちでオペ室へと姿をあらわした。


「はい、意識の混濁はありません。いたって正常です」

 カルテを持ちながら、オペチームのひとりが質問に答える。


「バイタルも安定しています。体温、脈拍、呼吸、血圧…すべて正常」

「OK」

 手術用のゴム手袋を装着したドクターは、手術台に寝そべる青年の大腿ふとももの傷を、手馴れた手つきでチェックする。


「出血もすくなそうね」

「はい、銃弾は左足の大腿骨だいたいこつの横をぬけて貫通してますから」

「それはラッキーね」

 そういって、ゆいいつ露出してる目元をほころばせた。


「では諸君、これより緊急オペを開始します。全身麻酔の用意を…」


 と、そのとき――


「ドクター…」

 手術台に寝かされていた青年が、とつぜんドクターの腕をつかんだ。


「全身麻酔だけは、やめてくれ…気を…失うのは嫌なんだ…」

 彼女は、その手をゆっくりとほどきながら、さとすように言葉をかける。


「ごめんなさい、4Cフォーシー。これは規則なのよ。すぐ終わるから我慢してね。あなたは運がいいわ。弾も貫通してるし出血も少ない。これなら、すぐ歩けるようになるわよ」

 それから彼女は、傷口に手をそえて小首をかしげる。


「それにしても、この炎症…あなた、ずいぶん至近距離から撃たれたのね。皮膚が火傷やけどしてる」

「ああ…つい、油断したんだ…」

「油断ですって?」

 そういって、彼女は笑った。


「あなたでも油断することがあるのね、4C」

「そりゃあるさ…とくに〈敵〉が自分のタイプだったときはね…」

「………」

 彼女は一瞬、真顔で青年を見る。


「あなた、ああいうがタイプだったのね」

「そうなんだ、かわいいだろ? 宮本咲良みやもと さくら。ちっちゃくて、モモンガみたいで、見てるだけでキュンってなっちゃうんだ。キュンって…キュンキュンって…」

「あっそ…」

 ドクターは4Cの大胆発言をうけながし、チームメンバーを見回して言い放つ。


「諸君、彼はこのとおり、ジョークが言えるくらい元気よ。さっさと終わらせて、麻酔から解放してあげましょう」


 彼女のウイットにとんだ返しに、まわりのスタッフたちも目元をゆるめ、口々に青年へエールをおくった。


「4C、がんばって」

「みんな応援してるからね」

「いい子にしててね」

「あとで、飴玉あげるからな」

「あなたはヒーローよ、4C」


 どこか憎めないひとりの青年のために…スタッフ一同はチーム一丸となりモチベーションをあげた。


 その結果、緊急オペは30分で終了し、青年は外科病棟へと移された。



          ***



 4Cは――意識の海を漂っていた。


 あらわれては消えてゆく、グリーンのメイド服を着た女の子の残像。

 はるか彼方で叫ぶ声がきこえる。


『 4Cィィィーーーーーーーーー…… 』


 目に涙を浮かべ、ほほを涙で濡らし、声のかぎりに叫ぶ姿が4Cの脳裏に浮かんでは消えてゆく。


(サクラ…)


(ごめんな…)


(こんな方法でしか助けられなくて…)


(俺は最低だ…)


(多かれ少なかれ、俺はきみの心を傷つけた…)


(きみを守ると約束したのに…)


(心だけは守れなかった…)


(俺は〈使命〉を果たせなかった…)


(命にかえてでも、果たさなきゃならない〈使命〉なのに…)


(俺は…)


 ぼんやりと脳裏に映し出されていたサクラの残像は、やがてはっきりと焦点を結び、気づくと、夢の中で、サクラはうれしそうに笑っていた。


「サクラ…」

『………』


「いや…きみは、サクラじゃないな? もしかして…か…?」

『………』


 夢の中のサクラは、ただほほえむだけで何も語ろうとはしない。


「夢の中で逢うのは、久しぶりだな…メイドちゃん…」

「きみの夢を見なくなって、もう3ヶ月ぐらい経つのかな…?」

「俺はずっと、きみに聞きたかったんだ…」

「俺はずっと、きみは夢の中だけに存在する〈幻〉だと思ってた。けど違った…」

「一週間まえ…きみが〈23ゲート〉に姿をあらわしたときは、本当に、心底おどろいたよ…」

「きみはしてたんだ…」

「教えてくれ、メイドちゃん。これも〈エムズ・アルファ〉の能力なのか?」

「それとも、神のいたずらか…?」


『………』


 それでも、夢の中のサクラは、何も語ろうとはせず、ただただうれしそうに笑っているだけだった。



          ***



 物心がついたころから、4Cは〈サクラ〉の夢をみていた。


 もちろん、名前など知らない。じっさいに会ったことがあるわけでもない。写真や映像でも見たことすらなく、まったく誰だかわからない、まぼろしの女の子だった。


 4Cは、グリーンのメイド服を着た彼女に『メイドちゃん』という名前をつけて呼びはじめた。


 メイドちゃんは、4Cが子供のときも、少年のときも、青年になったときも、まったく変わらない姿で登場し、4Cを見守ってくれていた。


 子供時代――母親らしからぬ母親(L=6エル・シックス)に絶望したときも、メイドちゃんが母親代わりとなって4Cの心を癒してくれた。


 少年時代――女性に興味が出てくる年頃には、年上の女性として淡い恋心を抱いたこともあった。


 青年になったいまは、夢の中だけの存在として、冷静にこの現象を受けとめ「世の中には、解明できない不思議な出来事もあるのだ」と、自分を納得させたばかりだった。

 だが――そう思った矢先、23ゲートから〈サクラ〉があらわれたのだ。


 モニタールームの〈23〉と書かれた画面に、グリーンのメイド服を着たサクラを見つけたとき、4Cは反射的に席を立ち、


「俺が行くッ!」

 そう叫んで、モニタールームを飛び出していた。


 武器庫を開け、火炎放射器を装備し、メイン通路を走っているときには、すでに4Cの心の中に使命感が芽生えていた。


 仕事の使命感とはまったく別の、「愛するものを守らなければならない」という使命感だ。


 サクラは、4Cにとって、すでに〈特別〉だったのだ。



          ***



 そして4Cは、サクラと言葉をかわした瞬間、恋に落ちていた。


 これを〈ひとめぼれ〉というのかどうか…恋愛の彼にはわからなかったし、そんなことはどうでもよかった。


 いままでに感じたことのない愛おしい感情が、自分の中に生まれ、めまいがするほどの高揚感と、幸福感と、わずかな独占欲と、大いなる使命感…それらの感情が、一瞬のうちに生まれ、彼の心を支配した。


 それは、たわいのない会話を重ねるたびに。


 サクラが、4Cの冗談に声をあげて笑うたびに。


 ふたりの視線が交じわりあうたびに、4Cの中でふくれあがるリアルな感情…。


 いままで、誰かを好きになっても3週間で冷めてしまう恋愛だった彼にとって、それは、ほんとうに、天地が逆転するほどのできごとだった。


 夢の中の〈メイドちゃん〉にいだく愛着とも違う、狂おしいほどの〈愛〉。それは、まさに、4Cにとって運命の出逢いであり、サクラは運命の女性ひとだったのだ。


(サクラ…)


 その声、その顔、そのしぐさ…そのひとつひとつを思い浮かべるだけで、胸の奥がしめつけられた。


 なにもかもが、自分より小さくて頼りなさげで…けれど、それでいて、つねに瞳の奥に強い光を宿し、確固たる〈意思〉をもっている女性。それを4Cは感じとっていた。


(きみには、きっと望みがある…)


(強い希望が…)


(それが、なんであれ、俺はきみの望みのために命をかける…)


(それが、俺の使命なんだ…)


(誰に、強制されたわけでもない…)


(けれど、俺にはわかる…)


(きみを幸せにすることが、俺の幸せなんだと…)


(愛してるんだ…)


(サクラ…)


(俺は、きみを、愛してる…)


 それが――4Cの理由だった。

 自分の足を傷つけてまで、サクラを研究施設から逃がした理由だ。


 だが――地下水路で対峙したとき、4Cが放った言葉の数々…その裏に隠された彼の想いは、ついに、サクラに知れることなく消え去った。


『 俺は… 俺は、ずっときみを… 』


 そのさきにつづく言葉を、ついには言えず、サクラはその場を去ってしまった。

 また、いつ再会できるともわからないまま、気持ちだけがカラまわりし続ける。


 それが、いまの、4Cの現状だ。


 そして、緊急オペから数時間後――

 ベッドの上で目を覚ました4Cは、自分がしでかしたことの重大なミスに気づくのだ。



「やべっ…俺、動けなくなっちまった…」


 ――と。




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