30|脱出計画〈7〉
〈 ゴゥ…ン… 〉
どこかで――かすかに爆発音のような音がきこえ、わずかな振動が室内をふるわせた。
「地震か…?」
そこは、〈救出チーム〉が24時間体制でエムズの出現を監視する〈モニタールーム〉だった。
「待ってください。いま、震源を調べます」
4Cとともに、モニタールームに居合わせた青年は、すぐさまパソコンで建物内の〈異常感知システム〉にアクセスし、データ検索をはじめる。
「どうやら、B7の非常階段あたりがゆれたみたいですね。地震じゃなさそうですが…どうしますか? 見に行ってみますか?」
「B7か…」
4Cは、一瞬なにかを思案するようにうつむき、うなずくと、
「よし、調べに行ってみるか」
そういって、数名をモニタールームに残し、その青年とともに部屋をでた。
4Cもまた、この夜は、夜勤勤務だった。サクラに「裏切り者」のレッテルを貼られた彼も、この夜、サクラの運命とともにまわりはじめる。
「み、見てください、壁が…!」
B4の非常階段から、さらに下へつづく階段をおり、B7まできたふたりは、その光景に目を見張る。有毒ガスを封じていたコンクリートの壁が崩れ、
「こいつは…」
その瓦礫のあいだ――ハンディ・ライトに照らされた、黒いゼリーのような
「ゴ、ゴースターだ!」
青年は、あちこちに散らばっている黒い物体におびえ、後ずさる。
「壁がくずれた原因はこいつだったのか…。また、派手に壊してくれたもんだな」
4Cは、恐れるようすもなくゴースターに近づく。
「今度、どこかで解体作業があったらおまえを呼ぶことにするよ。経費削減だ。
そういって、4Cはシニカルに笑い、くずれた壁の向こうがわへ、かまわず歩をすすめてゆく。
「フォ、4C、そっちは危険です! 有毒ガスが…」
「平気だ。多少のガスなら、吸い込んだって死んだりしないさ」
右手にライトを持ち、左手の袖口で口をおさえつつ、
「ま、2~3年、寿命は縮むかもしれないけどな」
4Cは、にっと笑って青年をみる。
「4Cッ…」
青年は、一瞬ためらいを見せたあと、意を決して4Cのあとを追う。
「いったい、ゴースターは、どうしてこんなところに出現したんでしょうね」
「たしかに、謎だな」
「23ゲート以外で見るのは、はじめてです」
「俺もだよ」
4Cは、瓦礫が散乱している床をライトで照らしながら、話をつづける。
「ひとつ考えられるのは、エムズ・アルファに共鳴した可能性ぐらいか…」
「それは、いくらなんでも無理です。2名のエムズ・アルファはいま独房に…」
「そう、思うか?」
「はい…」
「じゃ、これを見てみろ」
4Cが、ハンディ・ライトで照らした、その場所に、人間の足跡がくっきりと浮かびあがっていた。
「こ、これは…」
「足跡だ。ひとりはスニーカー。そして、もうひとりは裸足だな」
「そういえば、
「そう…彼女は靴を
「ま、まさか、脱走…?」
「その可能性は高いだろうな」
4Cは、静かにつぶやく。
「………」
青年は一瞬、息をのみ、次の瞬間、ことの重大さに気づく。
「た、大変だッ。だとしたら通報しないと…!」
「待て、あわてるな」
4Cは、横であわてふためく青年を制し、
「いま、何時だと思ってる? こんな真夜中に通報してみろ、館内すべてに警報が鳴りひびくんだぞ? 誤報だと知れたら、あとで文句を言われるのはこっちだ。通報するなら確実じゃないとな」
そういって、青年を落ちつかせた。
「た、たしかに、そうですね…」
「まず、俺たちで調べる。おまえはこの足跡を追え。おそらく
「駐車場です!」
興奮気味に、青年が言葉をつなぐ。
「そうだ。この足跡がエムズ・アルファなら、まちがいなくそこに向かってるはずだ。おまえは背後から追いつめろ」
「わかりましたッ、まかせてください!」
青年は4Cからハンディ・ライトを受けとると、
「エムズ・アルファは、かならず自分が捕まえますッ。これはチャンスだ…エムズ・アルファを捕まえたら、きっと上司は自分を認めてくれるはず!」
どうやら、彼は、野心家のようだった。
「その意気だ、まかせたぞ…」
4Cは青年の肩をバンとたたいて気合をいれる。
「それで、4Cはどこへ?」
「俺か?」
4Cは、青年に目線を合わせ、意味ありげに‘にやり’と笑った。
「俺は…〈ネズミ捕り〉を仕掛けにいく」
そう言って、足早に非常階段を駆けあがっていった。
***
午前2時50分――
サクラとツトムは、駐車場へとつづく通路を、ハンディ・ライトの明かりだけをたよりに、ひた走っていた。
ゴースターに呼ばれ、非常階段を下りた先には〈希望〉があった。
ゴースターが破壊した壁の先には、古代遺跡のような扉があり、大昔の人間が石で彫ったような通路があった。現在は建物へ電気を供給する配線通路として利用しているらしいその場所は、大小さまざまな配電チューブが、通路の壁に沿ってのびていた。
その通路の天井は低く、身長155cmのサクラでも、少し頭を下げなければ通れないほど窮屈な空間だ。ツトムの身長は170cm――当然、無理な体勢を強いられての逃走だったが、この道以外に駐車場へ
「サクラ、足、大丈夫かい?」
「大丈夫、心配しないで!」
整備された通路とはいえ、もとは古代遺跡の一部だ。ところどころには、くずれた岩の残骸がジャリのように転がっている。それをよけながら進むサクラの足取りは、どうしても遅くなる。ツトムは、なんどもふり返りながら、サクラのことを見守った。
そして、もう一度ふりかえった、そのとき――ツトムはみた!
「だ、誰かが追ってくる…!」
「え?」
「気づかれたんだ…」
「そんな…」
それはツトムの〈透視〉でみえた人影だ。追いつかれるレベルではなかったが、追ってきているという事実にかわりはなかった。
「サクラ、急ごう!」
「うん…」
「このまま、駐車場まで逃げ切るんだ!」
「まかせてッ」
その言葉は、若干こころもとなかったが、サクラは言い切った。
***
そのころ――
もちろん軍用のバイクだ。この倉庫には、武器弾薬のほかにバイクが5台、小型の装甲車が1台、いつでも使えるように整備されていた。それも〈見張り番〉の仕事なのだ。
作業用のグレーの〈つなぎ〉を機械オイルで汚しながら、黙々と作業をしているOBBの胸ポケットで
『OBB、俺だ。4Cだ』
「先輩ッ、おつかれさまです!」
『いまから、用件を手短に話す。あわてず、騒がず、落ちついて聞け』
「は、はい…な、なんでしょうか?」
『独房のふたりが脱走した』
「え…!?」
『いま、そっちに向かってる』
「そ、そ、それは確かな情報ですか?」
『確かだ…』
「………」
『いいか、OBB。そのふたりを、おまえが捕まえるんだ』
「え…?」
『いますぐ、銃を用意しろ。彼らはシロウトだ。銃をつきつけて「動くな」といえばおとなしく従うはずだ』
「で、でも…」
『おまえならできる。俺は信じてる』
「………」
『このまえ、俺が言った言葉を思い出せ。けっしてヒーローになろうとするな。目の前の不条理を受け入れろ。それが、この研究施設で生き抜くためのルールだ』
「………」
『わかったら、返事をしろ』
「………」
『OBB!』
「わ…わかりました…」
『よし、すぐに俺も行く。つかまえて、俺の到着を待て』
「りょ、了解です…」
OBBは、
弾丸が装着されていることを確かめると「よし…」とうなずき、険しい表情で、両手に持った銃を見つめる。
「べ…別に、殺すわけじゃないんだ…」
自分に言い聞かせるように、OBBはつぶやいた。
「サクラさんにとっても、きっと…これが最善なんだ…」
銃を持つ手が、小刻みにふるえていた。
「どうせ…脱走したって、すぐにバスターズにつかまる。手荒に扱われて、きっと無事ではすまないはずだ。だから…だから…だから、大怪我をするまえに、自分がつかまえてサクラさんを守るんだ。そう…自分が守る。自分は、まちがっていない。自分は…自分は…」
自問自答しながら、OBBは故郷に思いをはせていた。
東部の田舎町。
けして裕福ではないが、小さな整備工場を営んでいる無骨な父と、おおらかな母…そのふたりの顔を思い出していた。
OBBが世界に名をはせる〈ノアズ・アーク社〉の研究施設で働くことが決まったとき、両親はOBBにいった。「おまえは、私たちの誇りだ」と。
めったに笑わない父が笑い、母は涙ぐんでいた。
OBBは、この先なにがあっても、この仕事を辞めたりはしないと心に誓った。
「サクラさんのため…」
「父や母のため…」
「自分は…」
軍用倉庫は、故郷の整備工場の匂いがした。
その倉庫の一角に、エレベーターが設置されている。B7の配線通路から、B2の軍用倉庫にあがるためのエレベーターだ。B7からB2に上がるには、このエレベーターを使わなければならないのだ。
「サクラさんは、ここから来る…」
OBBは、ゆっくりと、エレベーターのドアのまえで銃をかまえ、そのドアがひらくときを待った。
銃をかまえるその手は、もう、ふるえてはいなかった。
「………」
OBBは、なにを思うのか、無言でそこに立ち尽くす。
OBBの着ているつなぎは、機械オイルで汚れていた。胸ポケットのあたりに、ひときは大きな黒いシミがある。
そのシミは、まるでOBBの心を侵食するかのように、黒く深く、ジワジワと染み込んでいった。
***
午前2時52分――
サクラたちの脱出計画は、いよいよ過酷さをまして、ふたりに迫る――!
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