29|脱出計画〈6〉

 午前2時40分――


 南の大陸から物資を運んできたトラックは、サクラたちがいた場所から、わずか数メートルの距離に停まっていた。

 そこで、ふたりの作業員がフォークリフトに積荷をのせ、駐車場内にある〈倉庫〉へ運ぶ作業をしていた。


「ちがう、ちがう。その荷物は後回しだ。こっちのトイレットペーパーから運ぶんだ。そのほうが効率がいいだろ?」

「あ、なるほど…」

 ベテランらしき年配の作業員は、フォークリフトをあやつる新人らしき青年に指示をあたえていた。


「いや、しかし…きみは、なかなか飲み込みが早くていい。いつもの相棒は、作業がのろくてイライラするんだ」

「そうなんですね。じゃあ、今日はさっさと終わらせて早めに帰りましょう」

 青年はさわやかに笑い、

「そう願いたいね」

 年配の作業員は、でっぱったお腹をなでながら、はっはと笑った。


「その作業が終わったら、食料品の積荷をおろしてくれ。俺はちょっと…トイレに行ってくる」

「いってらっしゃい」

「年寄りは、トイレが近くてかなわん…」

 豪快に笑いながら休憩所へ歩いてゆく年配作業員の背中を、青年は苦笑しながら見送った。


 倉庫の近くには、休憩所が設置されており、食事、喫煙、トイレ…すべてをそこで済ますことができる。

 それらの設備は彼らのためでもあり、研究施設内へ外部の人間が立ち入らないための、警備上の措置でもあった。


 それだけ研究施設内には、外部のものに知られてはならない〈機密〉が数多く存在し、それらはエムズ・アルファの人体実験をふくめ、すべて黒いベールで覆われていた。

 外部の人間どころか、末端の従業員などにも、決して知られることのない大いなる闇…。


 その〈闇〉の片鱗を垣間みたものは、あわてて目をそらし、口を閉ざし、必死で忘れる努力をする。それが、この研究施設で生きてゆくための暗黙のルールだった。


 そして〈機密〉は守られつづける…。


「さてと…」


 トイレで用を足した年配作業員は、すぐにトラックにもどらず、休憩所に設置されている〈自販機〉でコーヒーを買い、その並びに置いてあるベンチにすわった。


「あいつが相棒なら、ちょっとぐらい休んでもいいやな…」

 そういって満足げに缶コーヒーをすすり、ぼんやりとまわりをながめる。


 その視線の先――駐車場の突きあたりに〈扉〉があった。


 高さ5メートルほどの、巨大な鉄の扉だ。

 その黒い扉の中央には『BUSTERSバスターズ』と書かれた白い文字が浮かびあがっている。

 それも、彼にとっては、いつもの見慣れた風景だ。とくに心を動かされたようすもなく「バスターズか…」とつぶやく。


 そう…そこは、ノアズ・アーク社が保有する軍隊〈エムズ・バスターズ〉の軍用倉庫だった。

 この施設内でのバスターズの主な仕事は、〈救出チーム〉が手に負えなくなったエムズ・アルファの対処などだが、要請があれば外部の争いごと(戦争)に参加することもある、まさに戦いのプロフェッショナル集団だ。

 そして、すべての指揮権は、最高責任者であるL=6エル・シックスの判断にゆだねられていた。


 そもそも、バスターズはL=6がつくった軍隊だ。この場所が、もともと軍事施設だったことを利用し、自分の思い通りに動かせる軍隊を組織したのだ。


 なぜ、それほど大がかりな組織が必要だったのか…それは、彼女がいうところの「壮大でロマンチックな目的」に関わることかもしれなかったが――いま、その軍用倉庫の扉をながめる年配作業員にとっては、すべてがどうでもいいことだった。


 彼の心を占めているのは「今夜は早めに帰れそうだ」という、ささやかな喜びだけ…。そして、そのささやかな願いが、サクラたちの脱出計画に大きくかかわってくることもまた、あずかり知らぬことである。


「あれ? オヤジさん。こんな時間にもう休憩ですか?」

 ベンチのうしろから、声をかける者がいた。


「おお、OBBオービービーか。久しぶりだなぁ」

「…ですね」

 それは、OBBだった。


「なんだ、おい。今日も軍用倉庫の見張り番かい?」

「はい、今日も泊まりです」

 OBBは、作業服のポケットに手をいれながら、寒そうに長身の背中を丸める。


 偶然か、はたまた宇宙意思の成せるわざか――この夜、OBBの運命は、サクラたちの運命とともにまわりはじめた。



          ***



 午前2時45分――



「早く、早く、早く…」

「お願い、お願い、お願い…」

「お願い、早く私と共鳴してッ。時間がないの…!」


 サクラは、B4の非常階段のところで、ぎゅっと手を握り合わせ祈っていた。


 だが――首もとがぞわりとあわ立つ、あの感覚は、いっこうにおとずれる気配もない。

 目の前には「この先メイン通路」と書かれたドアがある。そこは、最初にツトムと合流した場所だった。


(やっぱり、23ゲートに近づかないとダメなのかな…)


 サクラは迷う。この先のメイン通路は〈救出チーム〉のモニタールームも近くにあり、誰かに遭遇する確率は高い。


(でも――迷ってる時間なんてない…)


「よし、行こう!」

 そう決心し、ドアノブに手をかけた、そのとき…。


「サクラ、ダメだ。見つかるよ!」

 その声に、サクラの手がとまり、ふりかえるとそこにツトムがいた。


「ツトム…」

「いま、出たらダメだ。外に警備員がいるよ」

 ツトムは、メイン通路のほうに視線をむけながら、小声でささやく。


「あの制服は巡回の警備員だから、こっちに入ってくることはないと思うけど、でも、順路を変えてこっちに来る可能性もある。もう少し、様子を見よう…」

「わ、わかった」

 サクラは、ツトムの指示にうなずく。


 その彼の横顔…その瞳には光が宿り、サクラは、いつものツトムがもどってきたことを知る。


「ツトム、ありがと…」

 そういって、サクラはツトムにほほえみ、


「来てくれるって、信じてた」

「ああ…いや、まあ…それは…」

 照れかくしなのか、目をぱちぱちとしばたかせ、前髪をくしゃくしゃとかき乱しながら、ツトムはうやむやに言葉をにごした。


「そ、そんなことより、サクラ。きみは覚醒したのかい?」

「ううん…」

 サクラは、ツトムの動揺をほほえましく思いつつも、つきつけられた現実に表情を曇らせる。


「ダメみたい…だから、23ゲートに行こうとしたの」

「そうか…」

「でも、ここで覚醒しないなら、どこに行ってもダメかも、ね…」

「ああ…そうだね…」


「サクラの覚醒は不確実だ」と反発していたツトムも、心のどこかでは期待していたのだろう。がっくりと肩を落とし、力なく相槌をうった。


 ふたたび、どんよりと重たい空気がふたりを支配した、そのとき――背後からなま暖かい風が吹き、サクラたちの首元をなでた。


 ふたりは、同時にふりかえる。


「ツトム…」

 サクラはそこにうずくまっている〈闇〉に視線をむけた。


「この非常階段って…B4の、さらに下があるんだね…」

 それは、さらに地下へとつづく階段の暗がりだった。

 この〈下り階段〉の先は、真っ暗でなにも見えなかった。


「もちろん、この階段はB7まで降りることができるよ」

「B7?」

「B7には、おもに地熱発電装置ちねつはつでんそうちと、それを建物内へ供給するための変電設備へんでんしせつがあって…だから、空気の温度が高いんだ」

「発電装置…」


 耳をすますと、かすかに‘ ブォ…ン ’とひびく機械音と、わずかな振動がサクラをとらえる。思えば、この機械音は、サクラが23ゲートへあらわれたときから、ずっと、あちこちの場所で聞こえていた音だった。


(この不気味な音…)


(発電装置の音だったんだ…)


「B7まで降りることができるなら…もしかして…」

 さらに地下深くへ降りられるなら、ゴースターに近づけるのではないかと、サクラは思った。


 だが、すぐにツトムが否定する。


「それは無理だよ。B7まで降りても、そこで行き止まりになってるんだ。1年前…地質調査ちしつちょうさをしてるときに有毒ガスが発生して、すぐに出入口をコンクリートで固めちゃったからね」

「地質調査って…いったい何を調査してたの?」


「さあ…それは上層部の人間しかわからない機密事項だから、僕は知らないよ。でも、うわさでは古代遺跡が埋もれてるとか言ってた気がするけど…」

「古代遺跡…」

 胡散臭そうな話に、サクラは眉をしかめた。


「とにかく、サクラ…この階段の先に逃げ道はない。なにか、他の方法を考えないと…」

 

 と、そのとき――


 サクラ… サクラ… サクラ…


(え…?)


 暗闇の向こうから、‘さわさわ’と生暖かい風にのって、ある〈思念〉が、サクラの心の中に入りこんできた。


「だ、誰…?」


 サクラは、思わず問いかける。


「ど、どうしたの、サクラ?」

「これは…」


 サクラ… サクラ… サクラ…


 オイデ… オイデ…


 コッチニ、オイデヨ…


「だ、誰かが、私を呼んでる…」

「誰かって…誰だい?」

「わからない…」


 そう返し、それをすぐに否定した。


(違う…)


(私は知ってる…)


(これは…ゴースターだ…)


(ゴースターが、私を呼んでるんだ…)


 首もとが泡立つわけでもなく、まわりの物がクリアに見えているわけでもない。自分が覚醒などしていないことは、いままでの経験でわかっていた。


 だが――明らかに、ゴースターと自分は共鳴している…通じ合っている…そのことだけは、はっきりとわかった。


「サクラ…?」


 いぶかしむツトムを置いて、サクラは、暗闇の中へ足をふみだす。それは、自分の意志で動くというよりは、動かされているような感覚だった。

 

 サクラ… サクラ… サクラ…


 コッチニ、オイデヨ…


 キボウ、ヲ…ミセテ・アゲルカラ…


(希望…?)


(この先に、希望があるの…?)


 ソウダヨ… ソウダヨ…


 キボウ、ガ、アルヨ…


「サクラッ」

 また、その場に取り残されたツトムは、また、一瞬かぶりをふり、


「わかったよ、僕も行く!」

 そういって、バックパックから携帯用のライトを取りだし、あわててそのあとを追ったのだった。



          ***



  漆黒の闇の中で、ゴースターはふるえる…。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る