31|脱出計画〈8〉

 そのころ――


 誰もいなくなったB7の非常階段のところで、飛び散ったゴースターの小さな塊たちは、瓦礫が散乱するその場所にとどまり、内臓と呼べるかどうかもあやしい、できそこないの臓器を、再生させたり崩壊させたりしてうごめいていた。


 サクラとツトム、そしてふたりを追う野心家の青年が、気にも留めることなく素通りしていったその場所で、なにか、まだ、やり残したことがあるかのように、もぞもぞとうごめき、自分たちの住処すみかへもどる気配はなかった。


 それは、こう語っているかのようだった。


『 サクラ…、ミテ、クレナカッタ… 』


 そこは〈古代遺跡〉が眠る場所だ。


 この場所…床、壁、扉、そして扉のまわりに描かれた古代文字、扉に彫られた黒い蝙蝠こうもりのような古代生物のレリーフ――それらは、古代に生きた者たちからのメッセージが封印された場所だった。

 それは、この先、サクラの運命に大きくかかわる、重要なが眠る場所…。


『 サクラ、ガ、ノゾム、キボウ… 』

『 ココニ、アル、ノニ… 』


 おそらく、この場所をコンクリートの壁で封鎖したのは、有毒ガスが発生したからではない。この場所を、研究施設の最高機密事項と位置づけ、L=6エル・シックスが封じたにちがいなかった。

 「有毒ガスの発生」は、人が近づかないための仕組まれたデマということになるのだろう。


 ゴースターは、L=6の思惑を知ってか知らずか…ただ、蝙蝠のようなレリーフにしがみつき、『 ミテクレ、ミテクレ、コレヲ、ミテクレ… 』と、定まらない身体を、いつまでも、いつまでも、ぶよぶよと動かしつづけた。



          ***



 だが――ゴースターの思いや過去の遺物が残したメッセージなど、追うもの、追われるものにとっては意味をなさない。


 その場所が、人類にとって残しておくべき貴重な世界遺産だったとしても、サクラたちにとっては、逃走するために必要なツール…ただ、それだけだ。


 壁にぶつかり、石を蹴とばし、破壊して進む!


「ツトム、いま何時!?」

「2時55分だ」

「トラック、間に合う!?」

「わからないよ…でも、走るしかない!」


 そして、ツトムはこう続けた。


だ、サクラ!」


 これまで、〈不確実〉な出来事に挑むことを避けつづけてきた彼から発せられた勇気ある言葉は、サクラの心をふるい立たせる。


「ツトム、その調子よ! イチかバチか、当たってくだけろッ!」

「うん、当たってくだけろ…だッ!」


 ふたりの呼吸が重なり合う。

 その瞬間、サクラとツトムは〈最強のコンビ〉となった。


 このとき――じつは、サクラの足は腫れ、巻いた包帯には血がにじみ、ひどいありさまになっていたのだが、サクラはじっとそれに耐える。流れはじめた、ふたりの〈空気〉を台無しにしたくなかったからだ。


(神様…!)


(もう少しだけ…私を走らせて…!)


(ここで、倒れるわけにはいかないの…!)


(どうか、お願い――!)


 サクラは強く願う。そして、その願いは〈神〉に届く。


「サクラ、着いたよ。この先が〈軍用倉庫〉だ…」

「………」


 みると、メインの配線通路からそれて、わき道がのびている。その道は、あきらかに現代の施工技術でつくられたコンクリートの通路だった。そのわずか数メートル先に〈23ゲート〉と同じ種類のハッチがあり、ハンドルをまわすだけで簡単にひらいた。


「ここは、軍用倉庫の地下にある〈予備室〉なんだ。おもに備蓄用の食糧と、武装用の備品が置いてある。それにブーツもね!」

「ブーツがあるの!?」

「そうだよ、こっちだ」

 そういって、足早にサクラを案内する。


 ツトムにとってこの場所は、囚われていた独房の中から、なんどもなんども透視して〈視て〉いた、なじみある場所だった。まさか、そこを通って脱出することになるとは想像すらしていなかっただろう。


 ここは、ツトムにとって、自分の庭みたいなものだ。どこになにが置いてあるか、すべて把握していた。


 ツトムは慣れた足どりで、ある一点をめざし壁のスイッチを入れる。とたん――倉庫内が真昼のように明るくなる。


「す、すごい…」

 はじめて目にする本格的な軍用品の数々に、サクラはたじろぎ、言葉を失う。


 戦争映画の中で兵隊が着ているような、迷彩柄の戦闘服や、ヘルメット、防弾ベスト、果てはガスマスクまで…壁のようにそそり立つ無骨な鉄の棚の中に、きっちりと整頓されて詰めこまれていたのだ。


 その棚は、まるで迷路のように入り組んで置かれており、ツトムの案内がなければスムーズに進むことはできなかっただろう。


 そして、その先に、サクラがこの世界へあらわれてから、ずっと望んでいたものが、そこにずらりと並べられていた。


「ブーツだ!」

 サイズも種類も、豊富にとりそろえられた中から、自分のサイズ(23cm)をさがし足にあわせる。


「すごい、ぴったり!」

 女性隊員用なのだろうか…少し小ぶりの、ベージュのスキンブーツは、あつらえたかのようにサクラの足にぴったりと張りついた。


「走れるかい?」

「うん、走れる!」

「よし、急ごう」

「うん!」


 ツトムはちらりと、腕時計をみる。


 時刻は午前2時59分――


「こっちだ、この部屋の真ん中にエレベーターがあるんだ」

「間に合う?」

「余裕だよ、まだ10分もある」


 トラックの出発が早まるかもしれない事実を知らないふたりの、足取りは軽い。だが、そのとき――


「そこで止まれッ!!!」


 突然――背後から男の声がし、サクラとツトムはふりかえる。


「おまえら、エムズ・アルファだろ!?」

「……!」

「駐車場から逃げる気だろうが、おまえらが逃走中だってことは4Cも知ってる。もう、脱走ゲームは終わりだ。ここで、おとなしく俺に捕まれ。そうすれば、怪我人を出さなくてすむぞ…」

「………」


 みると、その青年の手には、どこで見つけたものか、金属性の配管チューブが握られていた。


 サクラは、それを見て固まり、横で同じように固まっているツトムをみた。と、そのとき、耳元でツトムがささやく。


「サクラ、走るよ…」

「え?」


 つぎの瞬間――ツトムは、壁のスイッチを切った!


 とたん…倉庫内が暗闇につつまれる!


 ツトムはサクラの手をとると、暗闇の中、全速で走りだした!


「な…」

 今度は、青年がたじろぐ番だ。 ツトムの〈能力〉を知らない彼は、なにが起きたのかわかっていない。こんな暗闇で走れるわけがないと思う。


「クソッ…」

 青年は、わけがわからないまま、あわててハンディ・ライトを点け、サクラたちの足音を探り、追いかける。


「ま、待て…ふざけんな!!!」

 青年は、この倉庫の〈見張り番〉をしたことがない。まだ新人だからだ。

 わけがわからないまま、迷路のように入り組んだ空間を、小さな明かりだけをたよりに走る。


 だが、どう考えても、11年間研究施設を視てきたツトムに叶うわけがなかった。ツトムの透視能力は、暗闇でも視ることができるし、もし、見えなかったとしても、頭の中の設計図どおりに走れば逃げきる自信が彼にはあった。


「あ、あいつ…なんだよ!? なんで、走れるッ!?」


 わめき、苛立ち、動作も散漫になったころ――青年はツトムがしかけたワナ(それは、缶詰を床に転がしただけのものだったが)に、まんまと足をとられ、ひっくり返る。


「うあッ!!!」


 そのあと、‘ガンッ’という音と「ううう…」とうめく声が暗闇の中、かすかに聞こえ、つぎの瞬間、その声はぷつりと途絶えた。


 野望多き青年のミッションは、そこで終わりを告げた。




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