49|『終わり』のはじまり〈2〉

「サクラ、うしろを見て…」

 とつぜん、ツトムの声がサクラの思考をさえぎった。


「……?」

 反射的に、自分たちが逃れてきた〈島〉の方角をふりかえり、それを見たとたん、サクラは思わず息をのんだ。


「あ…あれは…」

「ぼくたちが囚われていた研究施設だよ…」


 それは――なんという巨大な建造物だっただろう。島の端からでもはっきり見えるほど、威圧感をもって山のようにそびえ立っていた。そして、そのフォルムは…。


「バ、バベルの塔…」

 そう――それは、まるで旧約聖書に登場する〈バベルの塔〉にそっくりだった。


 その昔、人々は、傲慢ごうまんにも天に届くほどの巨大な塔を建てようとして神の怒りをかい、完成には至らなかったという旧約聖書の物語。


 だが、いま――サクラたちが仰ぎ見る、その建物は、バベルの塔を建てようとした傲慢な人々の願いどおり、天まで届くほどの高さがあった。


「私たち…あそこにいたの? あの塔の中に…?」

「そうだよ。あのビルの正式名称は〈ヘブンズ・ゲート・ビルHeaven’s Gate building〉っていうんだ」

「ヘブンズ・ゲート…天国の門…?」

「そう…」

「どうして、聖書に関係ある名前なの?」

L=6エル・シックスは、エムズの文化が好きだからね」

「L=6…」

 サクラは、思わず眉をしかめる。


「とくに、旧約聖書が好きなんだ」

 ツトムは、とくに感慨があるわけでもなく、淡々と説明をいれた。


「どうしてかは、知らないけど…きっと『聖書オタク』なんじゃないかな? だから、彼女が所有する製薬会社も〈ノアズ・アークノアの箱舟社〉だし、この研究施設も〈天国の門〉で〈バベルの塔〉なんだと思うよ。ほら…好きなモノって、なんでも、そっちに寄せたくなるじゃないか。だから、まぁ…そういうことなんだろうね」

「………」


 サクラは、彼女の言葉を回想する。

 独房の柵の外で、完璧なほほえみをたたえながら、彼女がいった言葉を。


『 私たちの〈目的〉は、壮大で、ロマンチックで、世の中のためになることよ…

  時がくれば、きっとあなたは自ら知ることになる。

  そして〈目的〉に目覚める… 』


 ついに、明かされることのなかった彼女の〈目的〉。そして、この星がかかえる危機的状況。

 だが――サクラは、それらを知りたいとも思わなかった。


『 を見つけなさい… 』


 いまだ耳に残る彼女の言葉に、サクラは答える。


「さよなら、L=6…」


 徐々に視界から遠ざかる研究施設ヘブンズ・ゲート・ビルにらみすえ、すべての関係を断ち切るように、サクラはくるりと体を半転させて前を向く。

 そのシルエットが点になって消えるまで、後ろをふりかえることはなかった。


 当然――今回の脱走を、L=6が快く思っているはずもなく、サクラ自身、そう簡単に断ち切れる関係ではないことぐらい、わかってはいたが…それでも、サクラは前を向いた。


 彼女は、いずれ、あらゆる手段をつかって、サクラたちを連れ戻そうとするだろう。バスターズの捜索チームを集結し、各地に派遣するかもしれない。

 すでに、研究施設内では、L=6の指令がくだっているかもしれなかったし、この先も、おそらく、気が抜けない日々がつづくのだろうと想像できる。


 それでも、サクラは前を向いた。


 実験で苦しめられた個人的な恨みやいきどおりは、もちろんある。神がこの世に存在するなら、彼女に天罰が下ればいいとも、思う。

 だが、L=6に罰がくだったところで、自分の願いが叶うわけではないと、サクラはわかっていたからだ。


(L=6も、研究施設も、この星の未来も、どうでもいい…)


(私は〈向こうの世界〉に帰るんだから…)


(私は、ぜったいに捕まらない…)


(もう、二度と…あそこへは戻らない…)


(さよなら、L=6…永遠に…)


 そうして――いつしか研究施設が建つ島は、サクラたちの視界から消えさり、ふたりを乗せた軍用ボートは、島と、北の大陸の間にある〈ルーン海峡〉へと乗り入れた。


 水平線の彼方から太陽がのぼり、水面をきらきらと輝かせる。

 右も左も、見わたすかぎり黄金色に輝く海に抱かれながら、ボートは進む。


 それは、まるで、サクラたちがこの世界へ…そして、冒険の旅へと漕ぎ出した勇気をたたえるかのように、いつまでも、いつまでも、きらきらと輝きつづけた。



『 ようこそ、アナザーワールドへ… 』



 はじめは――夢の中から、ふらふらとこちらの世界へ足を踏みいれたサクラだったが、いまは、はっきりとした意識と、意思と、目的を見出し、確かな足取りで歩きはじめたのだ。


 そして、その一歩は、この世界のでもあることを、サクラは知らない。


 この瞬間から、世界は加速して〈絶望〉へと突きすすんでゆくこととなるのだが、いまは、ただ、そこに、美しい姿で存在し、サクラの瞳の中で、きらきらと輝いていた。




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