48|『終わり』のはじまり〈1〉

 突然――〈光〉が見えた。


「見て、ツトム…あの光…」

「あ…あれは…」


 真っ暗な水面のずっと向こう――そこに、わずかな光がまたたき、それを肉眼でとらえた瞬間、ふたりは確信した。


「出口だ、海のにおいがする!」


 サクラは小さな甲板にまろびでて、思いっきり深呼吸をし、その空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 これまでも、かすかに潮の香りが漂う瞬間はあったが、いま、サクラのショートヘアをゆらし、ほほをなでる風は〈海風〉そのものだった。


「海だ。私たち、海にいる!」


 ほどなくして、ボートは研究施設が建つ要塞のような島――その岸壁の、はるか下のほうに生い茂る木々の間から、ひっそりと海原へ姿をあらわした。

 もしも、上空から誰かが見ていたなら、排水口から吐き出されるミニチュアの船のように見えたかもしれない。


 まず最初に、サクラの視界にとびこんできたのは、朝靄あさもやにけむる一面の海と、淡いさくら色に染まる朝焼けの空だった。


「うわぁ…」


 こちら側の世界へ来てから、はじめて見る〈外〉の世界に…そして、その美しさに、サクラは圧倒され、息をのむ。


「きれい…」


 サクラたちの頭上には、どこからともなくあらわれた三羽の海鳥がボートと平行して飛びはじめる。黒い尾に、ピンクのくちばし、薄いグレーの翼をひろげて飛ぶその鳥は、サクラが知っている〈ゆりかもめ〉にそっくりだった。


(こっちの世界にも、こんな景色があったなんて…)


 研究施設の、窓もないコンクリートの壁や、不気味な機械音がひびく殺伐とした密閉空間しか知らないサクラには、いま、目のまえに広がるキラキラと輝く世界は〈奇跡〉にしか思えなかった。


 空をあおぎ、潮風をからだ全体に受け、この世界、この風景と一体になったような感覚の中で、サクラは生きている実感を噛みしめた。


(私は、生きてる…)


(あの研究施設から逃れて、生きのびたんだ…)


 ふと、4Cフォーシーの言葉がサクラの脳裏によみがえる。


『 きみは、生きて…生きのびて…きみが望むことをしろ。

  きみの望みが何であれ、生きてさえいれば、いつか希望は叶う。

  だからそれまで… 』


(4C…)


(あなたがつないでくれた、私の命…私の希望…)


(ぜったい、無駄にはしない…)


(生きて…生きのびて…いつか、必ず叶えるから…)


 ふいによみがえる4Cへの恋情と、いまだ消えぬ心の痛みとともに、サクラは誓った。それが、いま、自分にできる、ゆいいつの《つぐない》でもあると思ったからだ。

 胸がえぐられるような慟哭どうこくと、とめどなく流れる涙、後悔の念…そして、そのあとの長い長い沈黙の中で最終的にたどりついた、がサクラの答えだった。


 そのために、『ケータイがつながる場所』へゆく。


(どんなことがあっても、ぜったい、たどり着いてみせる…)


『 咲良さくら! おまえはできる… 』

『 GO・FOR・ITゴー・フォー・イット、当たってくだけろ! 』


〈トモヒロ〉の声が、サクラの背中を押す。


(トモヒロ…待っててね。私、かならず帰るから…)


 無限にひろがる広大な海原うなばらを見渡しながら、サクラはくちびるを‘きゅっ’と結び、新たな〈決意〉を心にきざんだ。




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