47|ツトムの心情

 ツトムは、恋愛をしたことがなかった。

 アイドルや、クラスの誰かを好きになったことすらなかった。


 だから、正直にいえば、サクラの気持ちはよくわからなかった。

 向こうの世界に置いてきた恋人トモヒロにそっくりだという4Cフォーシーに、恋愛感情を移したことは、なんとなく理解はできる。


(〈そっくり〉ってことは〈同一人物〉ってことと一緒だ…)


 ツトムは、単純にそう思った。


(だから、サクラは〈トモヒロ〉を、二度、失ったんだ…)


 ツトムの中では、そういう解釈になっていた。


(二度も失うなんて、つらいことなんだ、きっと…)


 だが、それを口にしたからといって、サクラが元気になるとは思えない。

 それだけは、わかった。


 もともとツトムは、他人に関心がないタイプの人間だ。目のまえで誰かが泣いていても、とくになにも思ったりはしない。動揺はするがなにもせず、誰かがなんとかしてくれるのを傍観しているのがつねだった。


 だから、過去のツトムを知っている人間が、いまのツトムを見たなら別人に思えたことだろう。誰かをことさら気にかけ、心配して話しかけているツトムなどありえなかったからだ。


 そんな、自分の変化を知ってか知らずか…ツトムは、そのままサクラをそっとしておくという選択をし、ただひたすらボートを操縦することだけに専念した。


 それから、長い長い沈黙があり――どれくらいの時間がたった頃か…。


「ツトム…ごめんね…」

 ふいに、ツトムの背中ごしに、サクラの声がきこえた。


「なんか、いろいろ…心配かけちゃって…」

 サクラは、目のまわりを真っ赤に腫らし、少し恥ずかしそうにしながら、舵をにぎるツトムのそばまでやってきた。


「サクラ、大丈夫…?」

「うん…」

「なら、よかった…」


 ツトムは、単純に、その言葉を信じた。そして、それ以上、サクラの〈傷〉にふれる言葉をかけることはない。その明快さが、きっと、サクラにはありがたかったことだろう。


「ね、ツトム…教えてくれる?」

「え? な、なにを…?」

「あのとき…ツトム、言ってたでしょ? 〈G-ウイルス〉と〈スマホ〉がどうとかって…」

「ああ…アレ…」


『 じつは、僕には、4Cを信じるに足る根拠がある 』

『 それは〈G-ウィルス〉に関することとか、保管庫に移した〈スマホ〉のこととか、さ… 』


 ツトムは、自分の言葉を思いかえす。


「あれは、どういう根拠だったの? ツトムは、どうして4Cを信じることにしたの? 私、すべて知りたいの。4Cが私のためにしたこと、すべて…」

「簡単な推理だよ」

「推理?」


 あの〈ラボ〉での惨劇――サクラがふり払った注射器がひたいに刺さった男のことを、サクラから聞かされていたツトムは、その後の様子が気になって、隔離病棟に入れられた男を、ずっと〈視て〉いたのだ。


「僕は、おかしいと思ってたんだ。 いつまでたっても、あの人に変化がなかったからね。〈G-ウイルス〉は微量でも体内にはいったら無事じゃすまない。エムズ・アルファだって、適応しないでみんな死んでいったんだ。でもあの人は、皮膚炎にすらなってなかった…」

「………」


「4Cがサクラの味方だって言ったとき、僕はすぐにピンときたんだ。あれも、4Cの計画の一部だったんだって。あのウイルスは偽物だったんだって」

「〈G-ウイルス〉が、偽物…?」


「そうだよ。だから、僕は4Cを信じた。それに〈スマホ〉を保管庫に移したことだって、どう考えても、サクラのためとしか思えなかったし、きっと大切に保管しておいて、いつかサクラに返すつもりだったんだ。ま…そのまえに、僕たちが回収しちゃったけど」

「そうか…」


 サクラは、操縦席のわきにある補助シートにすわり、ツトムと一緒に黒い水面を見つめながら、4Cに思いをはせるように目を細めた。


「4Cは、そんなことまで考えてくれてたんだ…」

「そうだよ。なんか、うまく言えないけどさ。あの人は、なんていうか…すごい人だよね」

「うん…」


 サクラは小さくうなずき、「私もそう思う…」とつぶやいた。

 そして、小さくほほえむ、その横顔は、なにかをふっきったような晴れやかさが垣間みえ、サクラの瞳は、この先の未来を見つめているように輝いていた。


 その変化に、ツトムが気づいたかどうかはわからない。ツトムはツトムで、自分と4Cが交わした短い会話…そのシーンに思いを馳せていた。


『 ツトム、サクラを守れ! 』

『 ああ…わ、わかった! 』


 サクラが4Cをふりきり、自分のほうへ駆けてくるあの瞬間――4Cは、自分の顔をしっかりと見て、その〈思い〉を託すように叫んだのだ。その短い言葉の中に、ツトムは4Cの強いメッセージを感じとっていた。


『 サクラを守れ! 』

『 俺の代わりにおまえが守るんだ! 』

『 これは、俺とおまえの――男と男の約束だ! 』


 4Cと目と目を合わせ、ひとつの〈思い〉を共有した経験は、いま、ツトムの中で大いなる自信となって心の中にあった。


 それはまるで、スーパーマンとともに〈正義〉のために戦っているような、ヒーローの仲間入りをしたような、なんとも誇らしい感情が自分の中に芽生えたことを自覚していた。


 そしてツトムは、生まれてはじめて、そんな自分を「好きだ」と思えた。

 それは、ツトムの中に〈自尊心〉が生まれた瞬間だった。



          ***



 ツトムは、ずっと、自分のことも含めて〈人間〉が嫌いだった。


 むこうの世界の人間も、こちらの世界の人間も、だれも信用できず〈敵〉だと思い込んでいた。

 ゆいいつ、サクラを信用できたのは、サクラが自分と同じ境遇の人間――この世界に〈絶望〉している人間だったからだ。


 けれど、今回の経験で、ツトムは学んだ。世の中には、信用できる人間が、少なくとも三人はいるということを。

 4CやOBBオービービー、そしてサクラ…自分の味方になってくれる人間は、必ずどこかにいる。


(僕は、ひとりじゃないんだ…)


 そう思えたことは、ツトムを大いに勇気づけ、モノクロだった世界に色をつけはじめる。


 ツトムは、11年前に思いをはせる。

 イジメが原因で不登校になった中学校に。


(もしかしたら――あそこにも、いたのかな…?)


(僕の味方になってくれた人…)


(僕の友達…)


 もし――もう一度、11年まえのあの場所にもどれたなら、自分は不登校という道を選ばずに、学校で友達を探すかもしれないとツトムは思った。


「ね、ツトム、ボートの操縦おしえて!」


 ふいに、サクラの言葉が、ツトムの意識を11年前から引きもどす。


「ツトム、疲れたでしょ? 私がかわるよ」

「あ…そっか…」

「むずかしいの?」

「いや…あんがい簡単なんだ」

「どうするの?」

「ええと…まず、スイッチの種類から…」

「うんうん…」


 どこまでも続く真っ暗なトンネルを、ふたりを乗せた軍用ボートは水をかきわけ進んでゆく。


 ふたりの声は、黒い水面とはうらはらに、サーチライトの明かりのようにあたたかく周囲を照らしていた。



          ***



 こうして――ふたりは、一連の出来事に決着をつけ、それぞれの目的を果たすため、未来へ向けて歩みはじめた。


 ツトムの変化は、やがて大いなる〈意思〉を生むことになるだろう。


 サクラも、今回のことでを学び、それは、この先に待ち構えるであろう試練への〈指針〉となるに違いなかった。


 宇宙意思は、ただ、そっと、ふたりの行くすえを見守っていた。




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