05|覚醒ふたたび〈1〉

 サクラの全身から、すぅっと血の気がひいてゆく。


「ツトム…い、いまの見た?」

「ああ…見たよ。すごく大きな…あれは、いったいなんだ…!?」


 ツトムも、船尾から海の中をのぞき、戦慄していた。


「う、海ヘビかな?」

 ツトムの声がふるえていた。


「あんなに大きな海ヘビって、いるの? 10メートルはあったよ…」

 サクラも、全身のふるえがとまらなかった。


「いたっておかしくないだろ? だって、ここは、僕たちがいた世界じゃない。どんなモンスターがいたっておかしくないんだ。そんなこと、当たり前なのに…僕は、すっかり忘れてた…」

「そんなの、私もだよ…」


(ここは、もうひとつの世界…)


(そして、これは現実…)


「あいつ、どこに消えたの…?」

 サクラは視線をさまよわせ、その〈影〉のゆくえをさぐった。


 遠くに泳いでゆく姿はみえなかった。と、いうことは、まだ、この周辺にいるにちがいないのだ。


「ボートの下、かな…?」

 顔面蒼白のまま、ツトムがつぶやく。


「ボートの…」

 ふるえる手で、ボートのヘリにつかまりながら、サクラは恐怖でへたり込みそうになる体を立てなおし、もういちど海の中をのぞきこむ、と――


 とつぜん――不気味な〈影〉は、海底の闇から‘ぬっ’と姿をあらわしたかと思うと、すさまじい速さでサクラめがけて浮上してきた。


(来る…!)


 そう思った瞬間――それは、ボートの横すれすれのところを、突き上げるように垂直にジャンプし、サクラの目のまえにその姿をあらわした!


 それは――〈竜〉の姿に似ていた。


 全長15メートルはあるだろうか、へびのように長い胴体をもち、全身を銀色のウロコで覆い、背中には毒々しい血の色の長いヒレがついている。


 そのヒレを、ひものようにひらひらとなびかせ、胴体をぶるぶると痙攣けいれんさせながら天に向かって一直線に上昇し、それから放物線を描いて、ふたたびボートの反対側へと飛びこんでいった。


「……!」


 サクラは言葉もなく、その〈モンスター〉を見上げ、そして海中へと姿を消すさまを見届けた。


 その勢いで水しぶきが立ち、バケツの水を投げつけられたような衝撃がサクラたちを襲う。


「うわぁぁッ!!!」


 ボートは完全にバランスをくずし、大きく横にかたむいた。



          ***



「サクラ、これを着たほうがいいよッ」


 全身ずぶぬれのまま、ツトムは操縦席の荷物入れまでたどりつき、中からライフジャケットをとりだすと、ひとつをサクラに渡し、もうひとつを自分が身につける。


 ふたりは急いで、蛍光オレンジのベストを身につけ、ツトムはさらに、ふたりの〈全財産〉をつめこんだバックパックを背負った。


「よ、よしッ、よしッ。これで海に投げだされても大丈夫…命は守れる!」


 それからツトムは、操縦席にサクラをひっぱり「ここにいるんだ!」と叫ぶ。


「ここに身をかくした方が安全だから…と、と、と、とにかく、アレがいなくなるまで、ここでじっとしてたほうがいい…」


『 サクラを守れ! 』


 ツトムの脳裏に4Cの言葉がひびく。ぜったいにサクラは自分が守るんだ、という、ツトムなりの覚悟がみえた。

 だが――それで、おとなしく言うことをきくサクラではない。


「身をかくす? 何いってんの、あれを見てよ!」

 サクラが指差す先に、真っ赤なヒレをなびかせながら、ボートのまわりを‘ぐるぐる’とまわりつづける〈竜〉がいた。


 いったい何のつもりか…その得体の知れない竜は、サクラたちのボートのまわりを、一定の距離をおいたまま、円を描くようにぐるぐるとまわりつづけているのだ。

 その渦はしだいに勢力をまし、ボート自体も‘ぐるぐる’とまわりはじめる。


「この行動が、ただの通りすがりに見える? 私には襲う気まんまんにみえるけど?」

「い、いや…だけど…だけどさッ…」

「武器はないの? そもそもこのボートは軍用でしょ?」

「そ、そうだけど、このボートは戦闘用じゃないんだ。見てのとおり、ミサイルの発射台もついてないし、銃も、爆弾も、なんにもないんだよ。ゆいいつ使える武器はこれだけだ!」


 ツトムは、バックパックから取りだしていた〈銃〉をサクラにみせる。それは、地下水路で4Cフォーシーと対峙したとき、サクラが持っていた9ミリ銃だった。


「そ、それだけ…?」

「ああ、そうだよ。こんなもので、あの怪物に致命傷をあたえられるとは思えないけど、でも…ないよりいいから…」

「………」


 みると、ツトムは紫色のくちびるをふるわせ、いまにも泣き出しそうな顔で、それでも必死に感情を出すまいと、こらえているのがわかった。


(ツトム…)


 ふいに、ツトムの言葉がよみがえる。


『 僕は、希望をもってた… 』


 独房で、サクラとやりとりをしているときに、彼が話した、彼の希望。


『 いつか、ここを抜け出して自由に生きる。お気に入りの場所をみつけて、家をつくって、裏庭に畑かなんかつくってさ…大好きな大型犬も飼って、そして、ずっとそこで暮らすんだ… 』


(11年も、独房の中に囚われていたツトム…)


(ずっと、ツトムは夢をみていたんだ…)


(夢をみることで、ずっと〈命〉をつないできたんだ…)


(暗い独房の中で、ずっとずっと…)


(だから…)


(こんな海の真ん中で、終わらせるわけにはいかない…)


(こんな異世界の…)


(わけのわからない海で、終わらせるわけにはいかないよ…!)


 サクラの目に、じわりと涙がにじんだ。

 と、同時に怒りの感情がわきあがり、それは〈竜〉という敵にむけられる。


(あいつを、殺す…!)


 そのとき――



『 サクラ…カクセイ… 』



 ふいに――サクラの耳元でがささやきかけてきた。


(……!?)


 すると――つぎの瞬間、不思議なことに、怒りの感情がすぅと静まり、視界にうつるものすべてが、やけにはっきりと見え、感覚がとぎすまされていった。


 ツトムのひたいから、鼻筋をつたってぽたぽたと落ちる海水のひとつぶ。


 自分のからだにまとわりつく濡れた衣服の感触。温度。湿度。


 甲板に散乱した、スカンクキャベツの小さなひとふさ。その葉脈のカタチ。


 見るものすべてがクリアにみえ、竜が起こしている渦の真ん中で、ボートもぐるぐるとまわり、走馬灯のように景色もまわる中…。


 サクラの首筋が、ぞわりと粟立つ。


(きた…)


(この感覚…)


 そして――サクラは、ふたたび〈覚醒〉した。




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