04|アクシデント〈2〉

「ツトム、ごめん…」


 あわてて操縦席にかけつけ、メーター類をチェックしているツトムの背中に、サクラは申しわけなさそうに言葉をなげた。


「私が、調子にのってヘンな運転するから…」

「いや、サクラのせいじゃないよ。もともと、このボートは古いんだ」


 たしかに、よくよく見れば、塗装もあちこちはがれているし、金属が錆びついているところもあって、長いあいだメンテナンスを怠っていたようにもみえる。


「きっと、このボートは現役で使われてるボートじゃない。その証拠に、どこにも《BUSTERSバスターズ》って書かれてないし…たぶん、ずっとまえに存在してた〈軍〉の払い下げ品だ」

「軍って…あの研究施設が建てられるまえにあったっていう、軍事施設の?」

「そうだよ」


 研究施設(ヘブンズ・ゲート・ビル)は、もともとは8階建ての軍事施設だった場所をそのまま残して、20年前に増築したビルだ。

 つまり、このボートは、20年前よりもっと前に、軍で使われていた中古品である可能性が高いということだ。


 あの地下水路の船着場にあったということは、あの水路を調査するためにL=6エル・シックスが運び込んだものと考えられるが、調査チームが水路内で使うぶんには、なにも問題はなかったのだろう。


 もしかしたら、いまごろL=6は笑っているかもしれなかった。「あんなポンコツで海に逃げるなんて、ね」と。



          ***



「よし…計器に異常はないし燃料もある。と、いうことは…」


 ツトムは、全長9メートルのボート内を、あちこちせわしなく動き回ってチェックし、最終的に船尾にたどりついた。


「あとは、やっぱり船外機せんがいきのエンジン部分か、ドライブユニットか…」


 サクラは、動き回るツトムのうしろについて、ただそわそわと状況を見まもることしかできない。


「なにしろ、古いボートだからね。経年劣化けいねんれっかで…ああ、つまり、年月とともにあちこちの部品が錆びて、壊れた可能性は高いと思うよ。で、でも、大丈夫だ。たしか、予備の部品は工具入れにあったと思うから。

 ま、海の真ん中でどうやって直すのかは、まぁ、あとで考えるとして…まず、原因をつきとめるのが先だ。大丈夫、僕は直せる。心配しないで…!」


 ツトム自身、とつぜんのアクシデントにうろたえていたし、正直、直せる自信はなかったのだが、それでも、サクラを心配させまいと必死で平静をよそおった。


 ツトムの心の真ん中には、地下水路で4Cフォーシーと交わした〈男と男の約束〉がある。


『 ツトム、サクラを守れ! 』


 この約束だけは、ぜったいに守らなければいけないと思っていたからだ。


 ツトムは、内心の不安を押しかくすように、おしゃべりをつづけ、それからおもむろに船尾に設置されている船外機に手をあて、そっと目を閉じた。


「いま〈視る〉から…ちょっと待ってて…」

 自分の透視能力を覚醒させるべく、ツトムはそれに集中しはじめる。


 そのあいだ、サクラはというと――手持ち無沙汰に手をさすったり、拝むように手をすり合わせたりして、所在なさげにツトムのうしろをうろうろしながら、彼の行動を見守ることしかできない。


(大丈夫…)


(だって、ツトムは機械のエキスパートなんだから…)


(インカム・ヘッドフォンだって作っちゃうんだから…)


(大丈夫…)


(ツトムなら直せる、ぜったいに…!)


(このまま、漂流なんてしない…)


(漂流なんて…)


(漂流…)


(…)


 ネガティブな方へ考えてはいけないと思いつつも、サクラの脳裏に最悪のシナリオが浮かんでは消える。


 漂流 → 食料が尽きる → 飢える → 死ぬ


 漂流 → 嵐にあう → 転覆する → サメに遭遇 → 死ぬ


「ダメダメ、ちがう、ちがう!」

 ‘ぶんぶん’と頭をふり、ちらつく妄想を追い払おうとすればするほど、そのイメージは強くなるばかりだった。


 なぜなら、サクラは、に気づいてしまったからだ。


(このボート…)


(ぜったい、沖のほうに流されてる…)


 そう――ずっと、ボートの右側に岸壁をとらえながら進んできたサクラたちだったが、いま、明らかに、その岸壁が遠のいて小さくなっていたのだ。


 このまま潮のながれに身をまかせていたら、外洋がいように出てしまう。そうなったら、まちがいなく漂流することになるだろう。通りすがりの船に遭遇するまで、何日も、何ヶ月も…そして最終的には…。


「ツ、ツトム…」

「なに?」

「う、ううん…なんでもない…」


 サクラは言葉をのみこんだ。いま、透視能力を覚醒させるべく集中しているツトムに、ネガティブなニュースは届けたくなかった。


 だが――言い知れぬ不安は、サクラの心を曇らせてゆく。


 そのとき、突然――ボートの屋根で羽を休めていた海鳥たちが、いっせいに‘バサバサッ’と羽をひろげて飛び立った。


「……!」


 なにごとかと、サクラは、空の彼方へ飛び去ってゆく海鳥たちを目で追った。


 あいかわらず海は凪いでいる。だが――どこまでも平和でのどかな光景を見まわしながら、サクラの心はざわざわと騒ぎはじめる。


 その胸騒ぎは、ボートのアクシデントより遥かに大きな不安だった。


(なんだろう…)


(わからないけど…)


(なんか、いやな予感がする…)


 ちゃぷちゃぷと、ボートのへりで波がたつ。


 ドクン、ドクン、と心臓がはねる。


 サクラは、なにげなくボートのへりから海の中をのぞきこんだ。


 と、そのとき――


 ボートの真下を、とてつもなく巨大な〈影〉のようなものが‘ゆらり’と、通りすぎてゆくのをサクラは見た。



「あ、あれは、なに…?」





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