18|未来への助走

 柏木勉かしわぎ・つとむがアナザーワールドへあらわれたのは、中学1年の冬、13歳のときだった。そのとき、彼は不登校児童――いわゆる〈引きこもり〉だった。


 中学に入学してすぐ、心ないクラスメイトたちにストレスをぶつけられ、気弱なツトムはその圧倒的な悪意にたえきれず、自分の殻の中に閉じこもった。

 それからは、子供のころから好きだった機械工学の本を読むことと、オンラインゲームをすることが彼の日課になった。


 彼の両親は、ツトムをフリースクールへ転入させるかどうかで、もめていたようだが、彼自身は、いたってのんきに自分の世界に没頭しつづけ、そして、ある夜――夢の世界から、こちらの世界(アナザーワールド)へ迷いこんできて、そのまま11年…ずっと独房の中で生活していた。


 ツトムに特殊能力がそなわっていることが発覚したのは、やはりサクラと同じ〈審査ルーム〉でのことだった。

 中年の男性審査官と会話しているとき、ツトムはふと、その男性の胸のあたりに、なにか不思議な光がみえて、さらにその光に集中していると、やがて彼の服が透けてみえはじめ、彼の皮膚までもが透けて肺の中が見えたのだ。


 そして、その肺にはガンがあった。

 なぜか、ツトムにはそれがわかったという。


 みると、審査官はタバコを胸ポケットにさしていた。

 だから、ツトムは忠告したのだ。


「タバコ、止めたほうがいいと思うな…」

「なに…? どうしてそんなことをいう?」

「だって…おじさん、肺ガンでしょ? 僕には見えるよ」


 それを聞いた審査官は、あわてふためいてツトムを取り押さえ、ツトムはそのまま囚われの身となってしまう。


 その審査官は、3ヵ月後に肺ガンで亡くなった――。



          ***



 11年という年月は、サクラにとって、あまりにも途方がなさすぎて、簡単に想像できるものではなかった。

 その寂しさ、その苦痛、引きこもりだったというツトムだったからこそ、耐えられたことなのかもしれないと、サクラは思う。


「でもね、サクラ。僕がどうしていままで、この孤独の中で生きて来れたかといったら、それは〈希望〉があったからだよ」

「希望…?」


「そう…僕は希望をもってた。いつか…で生き直すという希望をね。

 いつか、ここを抜け出して自由に生きる。お気に入りの場所をみつけて、家をつくって、裏庭に畑かなんかつくってさ。大好きな大型犬も飼って、ずっとそこで暮らすんだ。それが、僕の夢…」

「ぬ、抜け出す…?」


 サクラの心が‘ざわり’とゆれた。


「そうだよ。僕は、ここをする…」

「………」

 ‘ドクン’と、サクラの心臓が波打つ。

 サクラは、ツトムの透視能力を知ってから、なんとなく、そのことを考えていた。なにかに利用できるんじゃないか。なにか画期的なことに。だから、ツトムのその言葉をきいたとき、サクラの心はふるえたのだ。


(そうだ、ツトムの能力は脱出するときにこそ役に立つ能力だ…)


 ツトムはつづける。


「僕は、この施設の内部を、11年間も〈て〉きたんだ。施設内の設計図は、僕の頭の中にある。どの通路を使って進めば、誰にも見つからずに進めるか――どの時間に警備が手薄になるか、どこにどんな武器がしまってあるか――僕は、脱出に必要な情報をすべて知ってるんだ…」

「………」

「だから、サクラ…」

 ツトムは一息ついて、こういった。


「きみも一緒に脱出しよう…」

「え?」

「僕の能力に、きみの能力が加われば、きっと脱出の成功率は格段にアップするはずだ」

 それは、たしかにそうなのだろう。だが――とサクラは思う。


「僕は、ずっと、きみのようなひとが現れるのを待ってたんだ。これは運命だよ、サクラ」

「運命…?」

「そう。僕たちは、そのために出会ったんだ」

「………」

 おそらく――普通ならここで同じ境遇の者同士、もりあがって「脱出しよう!」と士気があがる場面なのかもしれない。だが――とサクラは思ってしまう。


 サクラは、ツトムが好きだった。1時間ほど、言葉をかわしただけだが、ツトムの、やさしさ、聡明さ、思いやりのある性格は、十分サクラに伝わっていた。彼の力になれるなら、なってあげたいとも思う。だが――どうしても、サクラは、次の一歩が踏み出せなかった。


「ごめん、ツトム…」

「え?」

「私…無理だよ…」

「え? え? え?」

 ツトムはうろたえ、

「いやいやいやいや…ど、ど、どうしてさッ!?」

 高音のキーを吹きまちがえた、リコーダーのような声を出す。


 それは、とうぜんだと思う。だが――サクラの心のいちばん深いところに根をおろしている絶望という名の足枷あしかせは、そう簡単に断ち切れるものではなかった。


(ここを抜け出して…そのあとは…?)


(トモヒロがいない世界で、どうやって生きてゆくの…?)


 けっきょく、そこへ思考はもどってゆく。


「サクラ。き、きみは、ここに閉じ込められてる恐ろしさをわかってないよッ!」

「わかってる…と思う…」

 力弱く、サクラはいう。

 ツトムの不満が爆発し、おしゃべりに加速がかかる。


「ぼ、僕が11年も生きのびたのはね、ほんとうに、ただただ運がよかっただけだよ! なにしろ、僕の能力は隠せるから…年齢とともに能力が落ちたふりをして、ラボの人間の期待値をさげてきたから…だからここまで生きのびられたんだ。で、でもさ…きみの能力は…」

 サクラが発動するパワーがともなう能力は、ダイレクトに脳波にあらわれるため、どうやっても隠しきれないと、ツトムは力説した。


「11年のあいだに、僕の仲間たち…エムズ・アルファが、どれだけ悲惨な目にあって命を落としていったか…き、きみは知るべきだ。彼らのためにも生きのびるべきなんだ!」

「そうかもね…」

 それはもっともな意見だと、サクラも思う。


「でも、ごめん…」

 だが――やはり、サクラの返事は変わらない。


「ツトム…あのね…」

 自分が、なぜ、そこまで絶望しているのか――その理由を知らないままでは、彼も納得はしないだろうと思い、サクラは、泣きそうな気持ちを必死でこらえながら、自分が動き出せない理由をツトムに話しはじめた。


 自分には、トモヒロという婚約者がいること。

 トモヒロは事故に会い、彼の安否が不明であること。

 向こうへ帰る以外、なにも考えられないでいること。


 ツトムは、サクラの話をずっと静かにきいてくれていた。「それは…つらいね…」と、同情の言葉がかえってきた。

 だが――おそらく、ツトムに共感できる話ではなかったはずだ。彼は、向こうの世界に絶望し、こちらの世界で生き直す夢を持っているのだから。


 それでも、サクラの心にぽっかりと空いた穴の正体ぐらいは、わかってくれると思っていたのだが…。


「ええと…つまり…話をまとめるとさ…」

「うん…」

「まあ…要するに、きみは絶望しているわけだね」

「うん…」

「彼と離れ離れになっちゃって…生きてるか死んでるかもわからなくて…」

「………」

「まあ…それは、たしかに、大変なことだ」

「うん…」

「で…ぶっちゃけ、きみは…帰りたいってことだ。向こうの世界へね…」

「そう…」


 ツトムの言葉のニュアンスからすると、サクラの絶望や悲しみは、彼にまったく響いていないということが伺えた。これは、ただの〈オウム返し〉というやつだ。サクラの職場にも、想像力が極端に欠落したタイプの人間はいたから、別に気にしたりはしない。それも個性だ。ただ、ちょっと虚しいだけ…。


(ツトム…きみの心には響いてないんだね…)


(自分の関心ごと以外は、きっと、どうでもいいんだろうね…)


 その「一方通行のがっかり感」がインカムのマイクを通して、向こうに伝わらないように気をつけながら、サクラは、肩をおとし、目をつぶり、ベッドの上で長い長いため息をはく。


 だが――ツトムは、次に、予想もしていなかった、ある提案を持ち出してくる。それは、サクラの絶望という名の足枷を一気にぶち壊す、驚愕の提案だった。


「じゃあ…っていったら?」

「え?」

 サクラは、その言葉の意味を飲みこめず、目をぱちぱちとしばたかせる。


「そしたら、きみは、僕の脱出計画にのってくれるかい?」

「か、帰る、方法って…」

 サクラの心臓が、ドキドキと高鳴りはじめる。


「で、でも、そんな方法あるわけないよ。4Cも言ってた。研究はしてるけど、まだ誰もその方法を見つけたひとはいないって」


 23ゲートで、サクラの『扉があらわれる説』もあっさりと否定され――冷静に考えれば、自分でもそれは突飛な発想だったと思うところもあるが――そもそも〈帰る方法〉が発見されたとしたら、エムズ・アルファの能力解明より、もっともっと世の中がひっくりかえる事態になるだろう。


 だが、ツトムは、いたって冷静に話をつづける。


「僕はね…3年前に、ラボで、宇宙物理学者の《ジェイマナーズ博士》と友だちになったんだ。まあ、彼は残念なことに亡くなったけどね。でも、彼は、亡くなるまえ、僕にこっそり秘密を打ち明けてくれたんだ。〈宇宙のゆらぎ〉が観測される場所を知ってるって…」

「え? う、宇宙のゆ・らぎ…???」

 物理のテストが35点のサクラは、プチなパニックに陥るが、


「まあ…それをきみに理解できるように説明するのは、1年ぐらいかかりそうだから、やめとくよ…」

「そ、そうね。それがいい」

 サクラは、それをきき、ちょっぴり安堵した。


「簡単にいうと…その場所は、こっちの世界と向こうの世界が重なってる場所なんだ。もちろん、この研究施設の〈ゲート〉もそのひとつだけど、ここは一方通行だ」

「うん。だから私は帰れない…」

「でも、そこは、向こうへのアプローチができる場所…つながることができる場所なんだ」

「ど、どういうこと?」

 サクラの眉間に、深いシワがきざまれる。


「その場所ではね。んだよ」

「え?」

「向こうの世界の人と〈通話〉ができるんだ」

「ええ?」

 サクラの心臓はさらに加速してドキドキと激しく打ちはじめる。


「僕は、その場所を知ってる。僕は、その場所へきみを連れてくことができる。きみは、ケータイを持ってるだろ? マットレスの中に隠してるよね?」

 ツトムは、サクラの《スマホ》の存在を知っていた。透視能力で〈視て〉いたのだ。


「もしかしたら、きみの恋人の安否がわかるかもしれないんだ」

「うん…」

「もしかしたら、彼と話ができるかもしれないんだよ」

「うん…」

「そこで、きみに、もう一度きくよ?」

「………」

「きみは、僕の脱出計画にのってくれるかい?」

「………」


 人は、あまりにも突拍子のない事態にみまわれると、反応の仕方を忘れてしまうらしい。サクラはツトムとインカムで対話していることを忘れ、L=6エル・シックスの言葉に思いをはせていた。


『 真の目的を、見つけなさい… 』


(私…見つけたかも…)


(きっと、これが、私の目的…)


(きっと、これが、私の希望…)


「ツトム…」

 サクラの中から〈勇気〉という名のエナジーがたちのぼる。


「あなたの脱出計画…私ものるよ!」


 心の中で――絶望という名の足枷が、‘カシャリ…’とはずれた音がした。



          ***



 こうして――

 ふたりの脱出計画は、未来へ向けて助走しはじめた。サクラと、ツトムの運命が交わり、同じ方向へと転がりはじめた。


 そして、もうひとり――4Cフォーシーの運命もまた、サクラたちの運命とともに交わりはじめるのだが、それは、残念というべきか――単純に〈協力者〉という交わり方ではなかった。ともすると〈裏切り〉ともとれるその行動に、サクラの心は翻弄されてゆくのだ。


 人間はみな、二面性を持っている。

 どんなに幸せなオーラを放っている人間も、善人と噂される人間も、心の中には必ず〈光〉と〈闇〉が存在する。


 4Cという青年も、それは、決して例外ではなかった。




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