19|4C(フォーシー)

 真夜中――

 ひと気のない〈ラボ〉の一室で、L=6エル・シックスはひとり、明日予定されている実験プログラムのスケジュール表に目を通していた。


 それから、デスクのわきに置いてあるプッシュフォンの受話器を取ると、なれた手つきで4桁の内線用の数字を打ち込む。


「私よ。L=6…」

「なんの用事かって? とぼけないで、明日は〈宮本咲良みやもと さくら〉の実験初日よ」

「なのに〈G-細胞〉がまだ届いてないの」

「そうよ、ゴースターの細胞よ」

「まさか、採取し忘れたわけじゃないでしょう?」

「あなたが彼女を救出したとき、湧き出ていた大量のゴースター…」

「それを採取するのは、あなたの仕事でしょ?」

「明日、朝イチで持ってくること。いいわね?」

「ああ、それと…〈宮本咲良〉にエサをあたえないで。数値が狂うわ」

「この3年間…いったいあなたは、何を学んできたの?」

「そろそろ自覚を持ちなさい、4Cフォーシー…」

「あなたは、この私…研究施設の最高責任者である、L=6のですよ」

「お願いだから…母親に、恥をかかせないで…」


「おやすみなさい…愛してる…」


 受話器を置き、ひたいにそっと手を当てた彼女の眉間には深いシワがきざまれ、その顔には、苦悩の色がうかがえた。そして、その顔は、思うにまかせない自分の子供に頭を悩ませる、ありふれた母親の顔、そのものだった。


 そう――4CはL=6の息子だ。

 知性、美貌、肩書き…すべてが完璧に思える彼女の人生において、ゆいいつ不完全で不確かなもの――それが4Cという存在だった。L=6は家庭を持たない。とっくの昔に家族というものへの執着を捨て、研究者として生きる道をえらんだ彼女だったが、それでも、自分の〈子供〉への愛情は、消えることなく存在しつづけている。


 4Cという存在は、彼女にとって救いでもあり足枷でもあった。



          ***



 そのころ――サクラは夢を見ていた。


 トモヒロなのか、4Cなのか…とにかく、とても大きくて安心する腕の中に包まれて、ようやく光りはじめた〈希望〉という名の天使を抱きしめながら、サクラは深い眠りの中にいる…。


『 せめて、いまだけは、安らかなる眠りを… 』

〈宇宙意思〉からの、それは贈り物だったのかもしれない。



          ***



「よ! OBBオービービー、いい朝だな…」

 4Cは、OBBが座っているカウンター席の横にスルリと身を滑らせて座ると、せわしなく『モーニングセット』を食べはじめた。


「あ…先輩、おはようございます!」

 早起きが自慢の4CとOBBとは、このカフェでよく顔を合わせるのだ。


 ここは、研究施設内にある〈カフェテリア〉だった。


 研究施設の職員は、閉鎖的な環境で働く人間がほとんどだ。だから、この建物の5階にあるガラス張りのカフェは、職員たちの憩いの場になっている。とくに朝のカフェテリアは、差し込む太陽の光で、すべてのものがキラキラと輝いていた。


「おまえ、〈ゴリリン〉見なかったか?」

 4Cは、ナイフとフォークを起用にあやつり、トーストにハチミツをたっぷりつけて、一口でほおばりながら、唐突にいう。

「ゴ、ゴリリンって…もしかしてAKBエーケービーのことですか?」

 OBBは、4Cのせわしない動作に気をとられつつも、会話をつづけた。


「そうそう、AKB…もしくは、メスゴリラのゴリリンだ。いつもこのへんで、カロリー高めなステーキサンド食ってるだろ?」

「自分は見てませんね。というか…」

「なんだ?」


「先輩、その呼び方やめたほうが…。当人に知れたら場が荒れます。そうじゃなくても、先輩は彼女に目をつけられてるわけだし…」

「目をつけられてるって?」

 4CはOBBの心配をよそに、ハッハッと大口をあけて笑い、


「そりゃ誤解だ。彼女は俺を心配してくれてるだけだ。ありがたい存在さ」

「そ、そうは見えないですけどね…」

 首をかしげるOBBに、

「ま、いってみれば、愛情の裏返しってやつ?」

 そういって、4Cは、満面の笑みをうかべた。

 その間もナイフとフォークは手放さず、しゃべったり食べたり忙しそうだった。


「先輩。もうすこし落ち着いたらどうですか」

「いや、それはムリだ…」

 そういいながら、目玉焼きを丸めて口の中へ放りこみ、2~3回咀嚼してごくりと飲みこむ。そして、急いでいる理由を明かす。


「これから、ラボに〈G-細胞〉を届けに行かなきゃならないんでね…」

 そういって、カフェオレを一気飲みする。

「〈G-細胞〉…」

 その言葉をきいたとたん、OBBの顔色に影がさした。


 それが〈ゴースター〉のことだということは、研究施設の人間なら誰でも知っていることだ。そして、その細胞は〈エムズ・アルファ〉の実験で使われるということもだ。


「そ。昨日、うっかり忘れたら、L=6から怒りの電話がかかってきてさ。いやー…あれは怒ってたね。あの人は静かに怒る人だから怖いんだ、マジで…」

 苦虫をかみつぶしたような顔で、グチをこぼす。


「その〈G-細胞〉って…ラボで実験に使う細胞です、よね?」

 OBBは浮かない顔で、ホットコーヒーをかきまぜる。

「そうだけど?」

「先輩は、その…気にならないんですか?」

 OBBは、おそるおそる、4Cの顔色を盗み見る。


「なにが?」

「サクラさんです」

「ん?」

 ナプキンで口をぬぐう4Cの表情は、なにもかわらない。


 OBBが言いたいことは、4Cにもわかっているはずだった。〈G-細胞〉をラボまで運ぶということは、実験対象者にその細胞を投与するということだ。そして、その実験対象者とは、サクラのことに他ならない。


 OBBは、4Cがサクラのことを、ことさら気にかけていることを知っている。

 サクラが〈23ゲート〉に現れたとき、OBBは4Cと同じモニタールームでそれを見ていた。

 そこにサクラがあらわれたとたん、4Cは「俺がいく!」と自ら名乗りをあげ、モニタールームを飛びだして行ったのだ。理由はわからないが、なにかそこにが働いたとしか思えなかった。


「先輩…サクラさんと話してるとき、すごく楽しそうでした」

「そうか?」

「だから…自分なんかより、思い入れがあるんじゃないかと…」

「そうだな…」

 4Cは、残りのカフェオレをズズズと飲み干し、明日の天気の話をするようなトーンで会話をつづける。


「ま。メイドちゃんは、かわいいからな。彼女〈モモンガ〉みたいだろ? ほら…俺って、もともと小動物に弱いタイプだからさ。なんか見てると胸がキューンてなって、守ってあげたくなっちゃうっていうか、なんていうか…」

「そんな軽い理由で、23ゲートに走ったわけじゃないですよね?」

「そんな軽い理由じゃ、ダメなのか?」

「い、いえ…」

 OBBは、4Cとの間に、距離があることを感じていた。4Cの態度には、まったく納得がいかなかったのだ。


 OBBは、4Cという人間を知っている。すくなからず2年間はずっと彼のそばで彼を見てきた。

 彼はもともと明るく、ひょうきんで、サービス精神にあふれた人間だ。OBBは、4Cのそういうところに魅力を感じ、尊敬もしていた。


 だが――ときに、彼は、その明るさを、自己防衛に使うことがあった。それは、自分の本心を隠すときに発動される、彼のひとつのテクニックだ。本心を知られたくないとき、彼はことさら明るくふるまう。


 もちろん、これまでにも、そんな場面はいくつもあった。

 そのたびに、生真面目な性格のOBBは、なにか納得がいかずモヤモヤした気持ちにさせられたものだったが――いろいろ世話になってる先輩に歯向かうなど、あってはならないことだと思っていたし、そこまで彼の本心を暴きたいと思うほどの出来事でもなかったので、いままでは、うやむやのままやり過ごしていたのが現状だ。


 だが――今回にかぎっては、どうしても、OBBは、食い下がらずにいられなかった。それは、少なからずサクラという人間に親近感がわいていたということもある。だが、もっと根本的なこと――人間が人間を動物のように扱う、ラボの研究方針について疑問を抱いていたからだった。


 これまでも、ラボで行われている〈実験〉に対しては、良からぬ噂を耳にしていたが――どこか都市伝説のような絵空事に感じていたのも事実だった。そもそも、エムズ・アルファはそう頻繁に現れるわけではない。サクラの覚醒は、1年半ぶりの出来事だ。


 そして1年半まえ、OBBはまだ新人隊員で、エムズ・アルファとの面識もなかった。ゆえに、実感がうすかったのだ。

 だが、いま、サクラというエムズ・アルファと関わったことで、彼の中に、その問題がリアルに浮かびあがり、自分の中に〈正義〉が生まれた。


 この研究施設内には、エムズ・アルファの実験に対して〈反対派〉と〈賛成派〉が対立していたのだが、4Cはずっと〈反対派〉だった。「エムズ・アルファの人権は守られるべき」という彼の信念はゆるぎなかった。

 その彼が、サクラをあっさり見放すところを、OBBは見たくなかったのだ。きっと、なにか考えがあるのだと思いたかったのだ。だから、OBBは食い下がった。


「自分は…先輩を信じています。サクラさんを見放す人だとは思いません」

「ほぅ…そうか?」

 4Cは、あいかわらず、軽い調子で答える。


「だから…先輩の本当の気持ちを、教えてください」

「本当の気持ち?」

 空気が重くなってきたことを察知し、4Cはそわそわとまわりを見回す。

 4Cの心が追いつめられている証拠だった。

 だが、かまわず、OBBは切り込んだ。心臓がバクバクと音を立てて暴れていたが、自分の気持ちには逆らえなかったのだ。


「今日、サクラさんはラボで実験されます。〈ゴースター〉を体内に入れられ…もしかしたらモンスターに変異するかもしれませんし、その場で死ぬかもしれません。それを、先輩は、見過ごす気ですか?」

「………」

 みると、4Cの顔から、完全に笑みが消えていた。


 そのとき、雲が太陽をかくし、4Cの顔に影がさす。

 彼の心の中の〈光〉が、一瞬で〈闇〉に覆い尽くされ、人格までもが入れ替わったような錯覚をおぼえ、OBBはごくりとツバをのみこむ。


「OBB。その話は…朝の〈カフェ〉でする話じゃないな…」

 4Cは、彼、静かなトーンでつぶやいた。


 それから、4Cはゆっくりと目を閉じ、そして開ける…。

 その目線の先にはOBBの顔があり、いままで見たこともない、苦悩と深い闇の色をおびた眼差しが、OBBを見つめていた。


「俺に…どうしろと?」

「え?」

「おまえも知ってるとおり、俺は…L=6の息子だ…」

「………」

「彼女の決定にしたがう以外、俺になにが出来ると思うんだ?」

「そ、それは…」

 OBBは、言葉につまる。


「俺がメイドちゃんにしてあげられるのは、せいぜい看視の目を盗んで、パンを持っていくぐらいのことだ。ま…それだって、すべて見透かされていたけどな…」

 4Cは、そういって、力なく笑った。


「俺は…メイドちゃんにとって〈裏切り者〉だ…」

「先輩…」

 OBBの脳裏に、名刺を渡しながらサクラに約束した4Cの言葉がよみがえる。


『 困ったときは、必ず俺がたすけにいくから… 』


「彼女に約束したことを、俺は、きっと果たせない…」

「………」

「けど…これが、世の中だ。おまえも、この研究施設で働く職員ならそれを自覚しろ。大いなる〈闇〉には逆らえないってことをな…」

「………」

「そして、おまえは、この問題に首をつっこむな。それが、おまえのためでもある。今を境に忘れるんだ…」

「………」

 パンドラの箱をあけてしまったような後悔の念が、OBBを支配していた。


 いま、自分が対峙しているのは、たしかに自分が望んでいた4Cの姿だったのかもしれない。だが――彼の中にある苦悩…その闇、彼が背負っている運命は、あまりにも大きく、とうていOBBに受け止めきれる話ではなかったのだ。


「先輩…なんか、すみません…自分は…」

 OBBは、そのあとにつづく言葉をのみこむ。


(なにも知らなくて…)


(先輩が背負う苦悩の大きさを…)


(なにも想像できなくて、すみません…)


「この世界は〈不条理〉であふれてるんだ、OBB」

 4Cは、先輩の顔にもどり、OBBを諭した。


「それに直面したとき、俺たちに与えられた選択肢はふたつ。見てをして生きるか…生きるかだ。けっして、ヒーローぶって真正面から戦おうなどと考えるなよ? 命がいくつあっても足りなくなる…」

 そういって、4Cはカウンター席からするりと立ち上がると、OBBの背中をパンパンと叩き「元気出せ」とはげまし、去っていった。


 OBBが見送る4Cの背中は、心なしかさみしげで小さく見えた。サクラの運命が、ラボに命を捧げることであるならば、それはそのまま受け入れるしかないのだと、その背中は語っていた。


「おッ…ゴリリン!」

 そのあと、4CはAKBを見つけ、案の定「その呼び方やめなさい!」とどやされながら、AKBの耳元に顔を近づけ、なにやら〈秘密の話〉をはじめていた。


 30分前まで、キラキラと輝いていたカフェテリアの風景は、OBBの目には、すっかり色あせ、モノトーンに沈んで見えた。


 とっくに冷めてしまったコーヒーをのどに流し込むと、薬を飲んだときのようなイヤな苦味が、のどの奥にはりつき、その苦味は、しばらくとれそうになかった。



          ***



 こうして、OBBに本心を明かした4Cだったが、果たして…。

 彼にとって、サクラは、本当に、ただ仕事上出会っただけの〈エムズ〉だったのだろうか?

 それなら、なぜ、救出のさい血相を変えて〈23ゲート〉へ走ったのか…?


 小さな謎の正体は謎のまま、物語はクライマックスへ向けて動きはじめる。



 果たして、サクラの運命は――。




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