17|ツトム
「まさか…仲間がいたなんてね! 私は〈サクラ〉よ」
「サ、サクラか…」
「そう。サクラよ」
すると――ここで、彼は、いきなり、弾丸のようにしゃべりはじめた!
「いい名前だね! すごくいい! ほ、ほんと、きみにぴったりの名前だよ。すばらしい! ええと、それから、ついでにいうと…そのグリーンのメイド服も、すごく似合ってるね!」
「え?」
サクラは、耳をうたがった。
(いま、彼、グリーンのメイド服っていった…?)
だが、それを問いただそうにも、言葉をはさむ余地などない。
「僕は、個人的にグリーンて好きなんだ。いい色だろ? 癒しの色だ。一説によると、人がグリーンに癒されるのは、古来から植物によって恩恵を受けた記憶が、遺伝子レベルで体内に刷り込まれているかららしいんだ!
DNAレベルでグリーンは癒しの色ってことになってて…ええと…ああ…なに言ってるんだ、僕は…ええと、それから、それから、その服のデザインもかわいいね! そ、そうだ、それが言いたかったんだ!」
「あ、あの…」
「ところで、そのメイド服はコスプレなのかな? それともじっさいホテルの制服? ま、まあ…どっちにしたところで、僕には、どっちでもいいっていうか…」
「ちょ、ちょっと待ったぁーーー!!!」
サクラは、ついに、叫ぶ。
「ツトム! あなたのその弾丸トークやめてくれる? ここって、そんなに急ぐ必要ある? ないでしょ?」
「あ…ああ…そうだね…」
「あのね。初対面で、そんな一方的にまくし立てられたら、誰だって引くよ?」
「ああ…」
「もっとさ。相手のこと、考えてしゃべってくれないかな…」
「………」
「はじめまして」の相手に、ここまでダメ出しするのは、失礼だと思いつつも、サクラは、それをガマンできないタイプだった。
サクラは、ホテルマンたちと仕事をしている。ホテルマンは、つねに相手の立場にたって物事を考え、行動するプロだ。だから、空気の読めない人間にはなれていないし、苦手だった。
ツトムは、すっかり、おとなしくなり、しゃべらなくなった。
サクラは、そのタイミングで制服のことをきいてみる。
「ねぇ、ツトム。あなた…どうして私の服がグリーンだってわかるの?」
「ああ…そ、それは…ええと…」
それから、ツトムは口を閉ざした。
「ツトム…?」
「………」
「もしもーし?」
「………」
以来、ツトムは貝のように黙り込んだまま、一言も口をきかなくなってしまった。じっさいに会って話してるわけではないのだから、黙られたらそれまでだ。
(言いすぎたのかな…?)
サクラは、きつく言ってしまったことを後悔した。
サクラは、はじめて自分と同じ境遇の人間に出会ったのだ。いろいろなことを聞きたかったし、できれば友達になりたかった。ひとりで絶望をみつめるより、気がまぎれるし、話し相手がいるというだけで勇気がわく。
もしかしたら、彼は、そもそも〈心が壊れてしまった人〉なのかもしれないと、サクラは思う。ずっと独房に閉じ込められ、ラボで実験され、友人も出来ず、しゃべらない日々が延々と続いたら、誰だって壊れてしまうだろう。彼をせめることはできない。
サクラ自身、この独房は気が滅入ってしかたがないと、思いはじめたているところなのだ。
いったい、どのくらいの時間、閉じ込められているのかわからないが、サクラより長いことはたしかだ。
(そりゃ…おかしくなっても、しょうがないか…)
いぜん応答のないインカムを見つめ、サクラはひとり、つぶやいた。
「だめだ、こりゃ…」
がっくりと肩を落とし、ヘッドフォンを頭からはずしかけた、そのとき…。
「僕はね…きみが見えるんだ…」
「え?」
サクラは、反射的に背筋をのばし、あわててヘッドフォンをつけなおす。
ツトムは、少し落ちついたのか、普通のトーンでぽつりとつぶやく。
「僕の〈エムズ・アルファ〉の能力は、透視能力なんだ…」
「と、透視…?」
「なんか…漫画みたいな話だけど、ぼ、僕は、まわりが透けて見えるんだよ」
「ほ、ほんとうに?」
「ああ…」
「だから、私のメイド服がわかったの?」
「そうなんだ。だから、わかった…」
それは、たしかに漫画みたいな能力だと思った。
いや、それをいうなら、自分の能力だって漫画みたいなのだろうが。
「だから、僕は、きみが囚われたときから、ずっときみを見ているんだ。もちろん、エムズの能力は、いつ発動されるかわからないから、四六時中みえてるわけではないけれどもね…でも、きみのことは〈ラボ〉で聞いていたから、どんな子なんだろうと思って、すごく興味がわいたんだ…」
ツトムは、なるべく、ゆっくりと、心が
「し、しかも、きみの独房は、僕の部屋の真下だってきいて…このチャンスを逃すわけにはいかなかった。僕はずっと、自分と同じ境遇の人間に会いたかったんだ。そして、話したかった。そのチャンスが来たんだ。こんなに嬉しいことはないよ、ほんと…」
「………」
「こんな日が来ることを願って、僕は、ラボの連中に知られないように、このワイヤーレス・インカム・ヘッドフォンをつくって部屋に隠しておいたんだ。ほんとうに、これを使える日がくるなんて…いま僕が、どれだけ嬉しいか、きみにわかるかい?」
「………」
「僕はね。ずっと、孤独だったよ」
「ツトム…」
もちろん、彼の孤独は痛いほど理解できた。この独房の中で、話し相手などどこにもいなくて、ひとりきりで1日をやり過ごす…その苦痛は、サクラの想像を絶するほどの苦痛なのだろう。
それが、何日も、何週間も、何ヶ月も続いたとしたら、きっと自分なら狂ってしまうとサクラは思った。
彼の境遇を知るにつれ、サクラはしだいに、ツトムに心を開いていった。
「ねえ、サクラ。僕は、いまは…ちゃんと話せてるかな?」
ツトムの声は、小鳥の羽のようにふわふわとやさしい声をしていた。そして、ひとこと、ひとことを、サクラにもわかるように、気を使いながら話すツトムの心も、ふわふわとやさしい。
「うん…ちゃんと話せてるよ、ツトム」
親しみをこめて、サクラはいった。
「さっき、怒っちゃて、ごめんね…」
「いいんだ…そんなの。と、とにかく…よかった。ほんとうに…よかったよ…」
ツトムの安堵の長いためいきが、ヘッドフォンを透して伝わってきた。
***
サクラは、この、あがり症の青年を好きになっていた。
そうして、お互いに打ちとけたところで、サクラはツトムに聞きたいことが山のようにあった。まずひとつ目は、ヘッドフォンのことだ。
「ねえ。さっき、ツトム、このヘッドフォン自分で作ったっていった?」
「ああ…そうだよ。部品をすこしずつ集めてね」
「それって、すごくない? メカマニアなの?」
「い、いや…そういうわけじゃないけど、このくらいの機械なら簡単につくれるよ。部品集めだって、わりと簡単にできるんだ」
「へえ…」
サクラは目を丸くする。
「でも、私たち独房にいるんだよ? どうやって集めるの? まさか〈調達屋〉の知り合いでもいるの?」
「ちょ、ちょうたつ、や…!?」
〈調達屋〉とは、刑務所が舞台の映画に、必ずといっていいほど出てくる便利な男だ。その男は、タバコとひきかえに、食べ物から、エロ本から、ナイフ、ドライバーなどの工具類にいたるまで、ドラえもんのポケットのように、なんでもそろえてくれる便利な男なのだ。
もちろん、サクラは、ジョークで言っただけだが、彼はマジメにうけとってしまったようだった。
「ま、まさか…そ、そんな便利なひと、この施設には存在しないよ! 囚われ仲間はいまのところ、きみと僕だけ…それだけだ。そして、僕らのまわりの人間、つまり施設の人間はすべて〈敵〉だ。僕は、施設の人間を誰も信用はしていない…」
「だったら、どうして部品を手に入れることができたの?」
とうぜんの疑問だ。
「僕は、もうずいぶんと長い年月をこの施設で過ごしてきたからね。どこになにがあるのか、ほとんど把握してる。ちょっとしたコツをつかめば、調達屋なんかいなくても自分自身で調達できるんだ」
「それは、透視能力を使って?」
「そうだよ。僕は、この独房にいながら、様々な場所を透視できる。調子がいいときは、遠いところの部屋の引き出しの中まで、見えることがある…」
「へぇ…」
そこで、また、別の疑問が浮かぶ。
「でもさ。部品のある場所がわかっても、じっさい取りにいけないでしょ?」
「いや…それが、できるんだよね…」
「どうして?」
「僕は、ラボの人間に、信用があるからね…」
「信用?」
「そう…僕は信用されてる。長い年月をかけて、信用を勝ちとったんだ。だから、ラボから帰る途中で、売店に行くフリをして、別の場所に立ちよることは簡単にできる」
「なるほど…」
サクラはツトムの話に興味シンシンだった。
ツトムは頭がいいのだろう。ちゃんと計算してラボの人間と距離をとりつつ、上手くつきあっていける社会性もありそうだった。はじめサクラと話したときグズグズだったのは、よほど興奮していたということか、と、サクラは思う。
それをツトムに伝えると、彼はいった。
「いや…僕は、社会性なんてないよ。僕は、もともと〈引きこもり〉なんだ。で、でもね…ずっとずっと長い時間をここで過ごしたら、いやでも、ラボの人間と関係を結ぶことになる。きっと、きみもそうなる。で、気づいたら、信用されてたっていう…ほんと、それだけの話なんだよ…」
「ねえ、ツトム…」
サクラは、ツトムの話をきいていて、新たな疑問が頭にうかぶ。
「あなたは、いったい、いつからここにいるの?」
「僕が…いつからいるかって…?」
「うん…」
ツトムは、しばしの沈黙のあと、感慨をこめてこういった。
「僕はね…この世界に11年いるんだよ…」
「え?」
サクラは、想像をこえたその年月の長さに、めまいを覚え、ベッドのはしをぎゅっとつかむ。
「じゅ、11年…」
そうして――ツトムは、ここへ至る経緯を、時に早口に、時にたどたどしく、サクラに語りはじめたのだった。
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