16|壁の音の正体

「ごめんなさいね。こんな、犯罪者が入るようなお部屋しか用意できなくて…」

 L=6エル・シックスと名乗る女性は、独房のすみで様子をうかがうサクラにやさしく話しかけた。

「なにしろ…あなたたち〈エムズ・アルファ〉の出現は予測不可能だから。じっさいが来ると、みんな、あわててしまうのよ。いまも、ラボの中は明日の準備でバタバタなの」

 L=6は、そういってくすりと笑った。


「あなた、ラボのひと…?」

 サクラは、おそるおそる近づいてゆく。こんな状況の中でも、自分の中にある好奇心には逆らえなかった。


「ええ、ラボのひとよ」

 L=6は、うれしそうに笑ってサクラをみる。

 黒髪をうしろできゅっと束ね、耳には小さなピアスをあけ、白衣の合わせ目からのぞくネックレスには、キラリと光る青い石がついていた。


 けして華美な装飾をしているわけではなかったが、彼女がまとっている圧倒的な存在感は、ランウェイを歩くトップモデルのようなオーラを放ち、笑顔も、所作も、自信にみちあふれているようにみえた。


 知性でも、美貌でも、どうがんばろうと、サクラには太刀打ちできないタイプの女性だと悟る。


「あなた、すごく綺麗きれいね…」

 サクラは、素直な感想をいった。


「ありがとう。うれしいわ」

 L=6は、あっさりと社交辞令でかえした。おそらく、彼女にとって「綺麗」というホメ言葉は、ただのあいさつ程度にしか感じてはいないのだろう。

 すると、うしろに控えていた男性がサクラに声をなげる。


「先生は、ただ美しいだけの研究者じゃないんだよ。とても偉いひとだ。なにしろ彼女は、この研究施設の最高せき…」

「やめなさい」

 L=6は、強い口調で男性の言葉をさえぎる。


「彼女には関係ないわ。私の地位も、肩書きも――私は〈目的〉ために、エムズ・アルファの異能力の解明に力をそそいできた研究者…それ以上でも、以下でもない。黙っていなさい」

「す、すみません…」

 男性は、あわてて口を閉じ、L=6のうしろで小さくなった。


「目的…?」

 サクラは、そこを聞き逃さなかった。

「そう。私には、目的があるの」

「それって、どんな目的…?」

 好奇心のまま鉄格子に近づき、L=6の顔をのぞきこむ。

 鉄格子をはさみ、ふたりの視線が交わった。


「あなたは、どんな〈目的〉だと思うの?」

 逆にききかえされ、サクラは即答でかえす。

「お金もうけ」

「なんですって?」

 L=6は笑みをくずさず、眼をひらく。


 サクラには、それしか思い浮かばない。

 4Cは言ってた。この研究施設は〈ノアズ・アーク社〉という製薬会社が管理している研究施設だと。それは、おそらく大企業なのだろう。


 サクラは、政治にうといし、経済のこともよくわからない。けれど、大きな組織が莫大な資金を使って、これだけの施設をつくったということは、そこに金脈があるからだ。

 エムズ・アルファの能力が解明されれば、その製薬会社は儲かり、政治に影響を及ぼすほどの権力を手に入れることができる。


「たしかに、〈ノアズ・アーク社〉は儲かるでしょうね!」

 L=6は、サクラのステレオタイプな発想に、肩をふるわせて笑った。


「たしかに、陳腐ちんぷな野望を抱いてる政治家や企業は、目の色かえて〈お金儲け〉に走ると思うわ」

「あなたは、違うの?」

「ええ、違う」

 ひとこと、そういい、その瞬間だけ、彼女の顔から笑みが消えた。


「私たちを、そんな低俗な人間と一緒にしてほしくないわね。私たちの目的は、もっと壮大で、ロマンチックで、世の中のためになることよ」

「………」

「それを知ったら、きっとあなたも心よく協力してくれるはず…」

「だから、それはなに?」

 サクラは、質問をくりかえす。

「それは…」

 一瞬、言葉をとぎらせ、逡巡したのち、にっこりとサクラに微笑んだ。


「残念だけど、いまは、教えられないの。時期がくれば、きっとあなたは自ら知ることになる…そして〈目的〉に目覚める…」

「………」

「それまで、あなたは、自分の目的を見つける努力をするといいわ」

「自分の目的…?」

「そうよ。自分の目的――あなたは今、見失ってるでしょう? 大いなる絶望の中にいる…」

「………」

 サクラは、とつぜん、心を見透かされたような気がして、うろたえた。


4Cフォーシーから報告があったわ。覚醒したとき、あなたは、むこうの世界へ帰りたいと叫んでいたそうね? さぞ、つらいでしょう?」

「この状況が…つらくない人、いるの?」

 サクラは、冷静さをよそおい、せり上がってくる涙を内に封じた。


「ええ、そうよね。だから、あなたには目的がいる。目的は人生に光を与える」

「………」

 考えてみれば、目の前で菩薩のように微笑むL=6こそ、サクラに絶望をつきつけている人間のひとりだ。


「だったら、私を自由にして!」「ここから出して!」と叫ぶこともできたが、叫んだところで、トモヒロがいる世界へ帰れるわけではない――そう思うと怒りのエネルギーは萎え、すべてがどうでもよくなってしまうのだ。


「いつかトモヒロに会う日のために、生きのびる」と決心したサクラだったが、そう簡単に、絶望のふちから立ち上がれるものではない。サクラの心には、ぽっかりと大きな穴があいたままだった。


「先生、そろそろ、ラボにもどらないと…」

「ええ、わかってる」

 男性にうながされ、L=6は、腕につけてる細身の時計に目をやる。


 それから、サクラに向き直り、

「今日は、あなたと話せてよかったわ。宮本咲良みやもと さくらさん。この続きは、また明日、ラボで、ね…」

 そう、一方的に切り出して立ち去りかけたが、ふと足をとめ、

「あ…そうそう。それと…」

 また、鉄格子のまえにもどってきた彼女は、サクラにこう告げた。


「4Cに、あまり深入りしないことね」

「え?」

 ドキリとし、サクラは、一歩しりぞく。

 その、サクラを見つめる美しい目は、サクラの心をすべて見透かしているようにくるめく。


「そして、信用しないほうがいい。そうしなければ、傷つくのはあなたのほうよ」

「な、なにいってるのか、ぜんぜんわかんないんだけど…」

 サクラは、嘘がつけない性分だ。

 ごまかそうとしても、サクラの態度が「それはズボシだ」と語っていた。


 そして、L=6は「そう?」といって、ゆっくりとその場にしゃがみ、

「じゃあ、これは、なに?」

 そういって、床にポロリと転がっていたパンくずを、美しい指先でつまむと、サクラの目の前にかざしてみせた。


「マメな男よね。でも、それは演技よ。気をつけて…」

 なにもかもお見通しだといわんばかりに、片方のマユをつりあげ、鉄格子のむこうから、サクラを見てにっこりと笑う。その顔は、あいかわらず美しく、そして冷酷さを秘めていた。


 最後にL=6は「目的を見つけなさい」とサクラにいった。

「目的を見失ってるあなたの心にはスキがある。それを4Cで埋めないで。〈真の目的〉を見つけなさい。それが、私からのアドバイスよ…」

 それだけ言うと、くるりとうしろを向いて、ランウェイを歩くように去っていった。


(真の目的…)


 その言葉は、サクラの心にひっかかって、いつまでも離れようとはしなかった。



          ***



 L=6がいう「私たちの〈目的〉」がなんなのか…それは大いに気になることではあったが、ここで、あれこれ想像してみたところで答えが出るわけでもない。


 それよりも、サクラの心を占めているのは、最後の言葉だ。


『 目的を見失ってるあなたの心にはスキがある。それを4Cで埋めないで 』


「なによ…エラソーに…」

 サクラは、ベッドに大の字になってどんと寝そべりながら、モヤモヤとした気持ちをもてあまし、大きなため息をはきだした。


「だいたい…彼女は4Cのなにを知ってるっていうの?…っていうか、そもそも恋愛なんかじゃないし。4Cは、仕事してるだけだし。エラソーに言われる筋合い、ないんですけど…!」


『 それを4Cで埋めないで… 』


 それは、サクラの心の琴線きんせんにふれる言葉だった。

 だからこそ、心をごまかすために、いっそう反発してしまうのだ。


 だが――もうすぐ、サクラには、新たな転機が訪れようとしている。それは、真に、サクラのゆくすえに〈希望〉をもたらす出来事だった。


 そして、それは独房の怪現象からはじまるのだ。



          ***



 ぶつぶつとL=6へのグチをつぶやいていたサクラは、いつの間にか眠っていた。そして、気づくと――あの カン…カン…カン…カン…という音が寝ているサクラの耳に届き、はっとして目覚めたのだ。


(まただ、またこの音だ…!)


 それは、蛍光灯が切れたタイミングで聞こえてきた音と同じものだった。

 だが、いま、独房の中は明るい。それにもかかわらず怪現象が起きるということは、オカルト的なことではないのか?…とも思ったが、そもそもオカルトにそんな法則が適用されるのかどうかも、わからない。


「いやいやいや…ここは異世界なんだ…なんだってある!」

「いやいや、でもでも…」

「あー…でもでも…」


 サクラの頭の中は混乱をきわめ、ついに、サクラは叫ぶ。


「あああーーーもう! ここでモヤモヤしてても始まらない。こうなったら、とことん突きとめてやる!」

 そういって、顔をパンパンと叩いて気合を入れると、


「真実は、ひとーーーつッ!」

 少年漫画の主人公の決めぜりふで、自分をふるいたたせた。


「ヒマつぶしには、ちょうどいいわ…」

 ぶつぶつと独り言をいいながら、サクラは、瞑想する高野山の修行僧のように、ベッドの上にすわり、神妙な顔つきで目つぶり、耳をすまし、音の聞こえる方角をさぐった。


「ん? あっちから聞こえる…」

 どうやら、その音は、天井の通気口から聞こえてくるのだ。


「この上だ…」

 位置的には、ちょうど洗面台のうえあたりだ。天井といっても、独房の天井だ。人がジャンプすれば届くぐらいの高さしかない。サクラは、シンクのふちによじ登り、通気口に近づいてみると、音はやはりその空気穴から聞こえてくるようだった。


「あ、そうだ!」

 サクラは、なにかを思いつき、マットレスの下に隠していた〈ボールペン〉をとり、またシンクによじ登った。カン…カン…カン…という音に合わせて、こちらからも、カン…カン…カン…と叩いてみる。すると、ピタリと音が止まった。


「と、止まった…」

 ドキドキしながら、そのまま様子をみていると、今度はなにやらゴソゴソと音がして、ゴンッと、なにか黒くて堅い物体が、通気口の内側に落ちてきた。


「え?」

 通気口のサイズは、だいたいCDジャケットと同じぐらいの大きさで、金属の網目状の板が4隅に〈プラス〉のボルトネジでとめられている。

 ボールペンをドライバーがわりにするには、無理があると思い、今度はカッターナイフを持ってきて、カッターの刃をガードしている金属部分をネジ穴に差しこみ、まわしてみた。


「おお。すごい…まわるまわる…」

 きっと、神様は、このためにカッターナイフをポケットに入れといてくれたんだ…と、都合よく解釈しながら、4方のネジをすべてはずすことに成功した。


「やった…」

 そして、通気口の小さな金属の板を引っぱると、その板もろとも〈謎の物体〉も落下し、シンクのふちにガンとぶつかり、床にゴロンところげ落ちた。


「やった! お宝ゲット…」

〈お宝〉かどうかもわからなかったが、サクラはさっそくそれを手にとってみる。


「あれ? これって…ヘッドフォン…?」

 見るとそれは、折りたたみ式のヘッドフォンだった。片側に小さなマイクがついている、いわゆるインカム・ヘッドフォンだ。


「どうして、こんなものが…っていうか、いったい誰が? 4C?」


 サクラは恐る恐る、そのヘッドフォンを耳にあててみた。すると、そこから、小さく人の声が聞こえてきたのだ。


「…もし・もし?…聞こえ・る?」

 それは、男性の声だった。4Cの声ではない。


「もし、聞こ・えたら、返事をし・てくださ・い…」

 その声は、とても繊細でたよりなげな声だった。


「もしもし、聞こえるよ。あなたは誰…?」

 好奇心のままに、サクラはしゃべりはじめる。


「あああ…よかった、通じた・ね! ほんと、よ・かった…」

 相手の声は、感極まっているようだ。


「ねえ。あなたは誰?」

 サクラは、もう一度きく。


「あああ・あ…そうだね。ま、まず、自己紹介をし・なくちゃね! ええ・と、ええと…」

 どうやらその声の主は、あがり性のようだった。


「ぼ、僕は〈ツトム〉。ええと…きみと同じ理由で、独房に囚われているんだ。きみの部屋の真上に僕の部屋がある。僕は、どれだけきみと話がしたかったか! ほんと…なんか…ひとりで感動しちゃってて悪いけど、ぼ、ぼ、僕は、ほんとうに、ほうとうに、すっごく嬉しいんだよ!」


「そ、そうなんだ…」

 サクラは、彼との温度差にすこし戸惑いつつも、同じ境遇の仲間に出会えたことを、誰にともなく感謝した。それは、なにものにも変えがたい出会いだと、心から思ったからだ。


「私もうれしいよ。よろしくね、ツトム」



          ***



 これが――サクラとツトムとの出会いだった。


 この先の、長い長い冒険の旅で、ふたりは、ともに協力しあい、友情を深めてゆき、なにものにも変えがたい〈絆〉を結ぶことになる。


 その記念すべき、最初の日だ。


 ゴースターの思惑どおり、サクラの運命は変わり…そして、ツトムに出会ったことで、また、大きくその未来を変えることとなる――その大切な〈鍵〉をにぎる〈ツトム〉の運命も、また、サクラによって大きく変わろうとしていた。


 いま――〈宇宙意思〉は、はるか彼方から、ふたりの出会いを、ひっそりと静かに見守っていた…。




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