15|L=6(エル・シックス)

4Cフォーシー!」

 鉄格子にかけよると、目の前に彼の顔があった。


「しぃー…静かに…」

 4Cはまわりを気にしながら、声のトーンを落とし早口で説明する。


「あまり時間がないんだ、メイドちゃん。いま、監視の目を盗んできた。とりあえずを食べろ」


 そういって、肩にななめがけしているショルダーバッグの中から紙ぶくろを取りだすと、鉄格子のすき間から差し込みサクラに手わたす。


 あけてみると、その中には、こぶしほどの大きさの丸いパンがふたつと、チューブ式の苺ジャムと、マーガリンの小さな包みがひとつ…それらが無造作に入っていた。それを見たとたん、サクラのお腹の虫がぐぅと鳴る。


「これを、私に…?」

「ごちそうじゃなくて悪いけど」

「ぜんぜん。すごくうれしい…」

「さ、早く。いま食べとかないと、明日の昼まで飲まず食わずの状態になる。少しは体力つけとかないと。とにかく、いまここで、ぜんぶ食べちゃってくれ」

「わ、わかった…」

 4Cと話す暇もなく、サクラはうながされるままパンをほおばる。


「あと、これも…」

 4Cはバッグの中から、小さな四角い牛乳パックをとりだすと、サクラがパンをほおばる横でストローをパックにさし「これも飲め」と差し出した。


「うん…」

 サクラは、夢中で食べて、夢中で飲んだ。


「食欲は、あるな?」

「うん…」

「よかった…」

 ほっとした表情で、4Cはうなずいた。

 それから、サクラがすべて食べ終わるのを見計らって、4Cはゴミを回収しはじめる。


「ここで、食べた形跡が残るのはマズいんだ。ゴミはぜんぶ俺が持って帰るから…」

 サクラは、紙袋に入れたゴミと牛乳パックを、すばやく4Cにわたす。彼はそれを丸め、またショルダーバッグの中に収めた。


「これで、よし、と…」


 サクラは、その器用にそつなく物をあつかう動作を見て、火炎放射器のメンテナンスをしていた4Cを思い出していた。

 そのしぐさは、やはり、トモヒロに似ている。4Cとトモヒロは、どう見ても、一卵性双生児のようにすべてがそっくりなのだ。


 4Cは、23ゲートで、サクラに言った。


『 俺には(きみを守る)責任がある 』と。


 だから、こうしてサクラを気づかって食べ物を持ってきてくれるのも、仕事のためだ。それはわかっている。


 だが――

 サクラは、どうしても、トモヒロを重ねてしまう。彼に抱きしめられたいと、思ってしまう。肌に触れ、ぬくもりを感じたいと。

 そして、そう思うたび、サクラの胸の奥は、きゅっとしめつけられるように痛むのだ。


 サクラは、その思いを心に秘めたまま、ただ、感謝の言葉だけを伝えた。


「ありがと、4C…すごく、うれしい…」

「いいんだ」

 4Cは、その思いを知ってか知らずか、そっけなく返すと、サクラに伝えるべきことを話してくれた。


「おそらく、明日はラボに行くと思う。けど、血液検査や脳波の測定…まあ、いわゆる身体検査ってやつをするだけだと思うから、我慢して受けてほしい。いいね?」

「わかった…」


「昨日もいったと思うが、俺は、きみを、実験で死なせたりはしない。必ず、俺が守るから…だから、ラボでは、どうか、おとなしくしててほしいんだ」

「わ、わかった…」


「とにかく、なにがあっても俺を信じろ。信じて待ってろ」

「うん…信じる…」


 鉄柵をつかんでいるサクラの手に、4Cは、自分の手をそっと重ねる。彼のその手のぬくもりと、すべてを包みこんで抱きしめてくれるような眼差しに、サクラの心はふるえた。


「よ、よし。じゃあ…俺、いくけど…」

 4Cは、すこし照れたように瞬きをし、腕にはめてるデジタル時計をチラリと見た。ギリギリまでサクラのそばにいようと、心をくばっているのがわかる。


「お? あれは、なに…?」

 立ち去りかけた4Cは、ベッドのすみに置かれていたスマホに目をとめる。


「あ…ええと、あれは…」

 サクラは、スマホを隠し忘れていたことに気づき、一瞬、どうしようかと迷ったが、それは、本当に一瞬だけの迷いだった。


「あれは、スマホよ。スマートフォン…」

「ス、スマホだって?」

 4Cの目が、キラリとくるめく。


「そいつは…すごいな! いままでエムズがこっちへ持ってきた物の中で、いちばんうらやましいと思えるアイテムだよ。なにしろ、こっちの世界じゃ、まだスマホは開発されてないから…」

「そうなの?」

 サクラは、少しおどろく。


「スマホどころか〈ガラパゴス携帯〉もないさ。IT系の技術は、エムズのほうが優秀なんだ。俺たちはいま、エムズが持ち込んだ〈ガラ携〉をもとに、携帯電話の開発中で…ま、そのうち追い越してやるけどな!」

 4Cは、負け惜しみをいい、


「だから、〈負け〉はみとめないぜ!」

 自分のことのように話す4Cに、


「あなたは、開発してないでしょ?」

 と、サクラは、あっさりとつっこみ、


「たしかに…!」

 4Cは、白い歯をみせて笑った。その笑顔は、やはり青空のようにすがすがしくて…サクラは、その顔を見て、ようやく、自分も少しだけ笑うことができたのだった。


 最後に4Cは、

「そのベッドにあるもの、全部、マットレスの下に隠しておけよ。L=6エル・シックスに見つかったら没収されちまう」

 そう言葉をなげて、足早に去ってゆく。


「な、なに? える・しっくすって…?」

 そう問いかけたが、4Cからいらえが返ってくることはなかった。


 4Cが去ったあとは、あいかわらず ジジジ…と鳴く蛍光灯の音だけが、サクラの耳にまとわりつき、いっそう闇が濃くなったような気がしたが――サクラの心の中には、小さな灯りがともり、4Cの手のぬくもりのように、あたためてくれていたのだった。



          ***



 それから、どのくらいの時間がたったのだろう。


 そもそも、この世界にきたときから、時間の概念は崩壊している。

 いまが、朝なのか、昼なのか、夜なのか…窓もない空間では、それさえもわからない。それでも〈時間〉は存在し、一秒一秒がすぎてゆく。


 サクラは、ベッドの上に仰向けになって目をつむり、BGMがわりにジジジ…と鳴く蛍光灯の雑音を聞いて過ごした。

 無性にスマホをさわりたくなるが、サクラはじっとその衝動を押さえ込む。


(だめだめ! バッテリーは消耗させられない…)


 うす闇の中で、サクラの頭の中に浮かんでくるのは、やはり4Cの顔だった。そして、その手のぬくもり…。


(4Cは、やっぱり、トモヒロみたいだ…)


 トモヒロを重ねて見てしまうのは、よくないことだと思う。けれど、人が人を想う気持ちは、誰にも止めることはできなかった。たとえ、それが、破滅をまねく関係であったとしてもだ。

 人も、自然の一部であるならば、人の想いもまた、自然のいとなみの一部なのだ。


 サクラの職場に、不倫関係をつづけ人生を棒にふった上司がいた。けれど、サクラはそれを「モラルに反することだ」と非難することは出来なかった。彼は恋愛に、ただただ純粋だっただけ。彼の人柄を知っているサクラは、そう思っていた。


 サクラの中に芽生えた思いが〈恋〉と呼べるものなのか…それは自分でもわからない。この疎外された環境の中にあって、心のよりどころを――トモヒロの代わりを、ただ求めているだけかもしれないのだから。


 だが――職場で、トモヒロに出会い、あたりまえのように惹かれあい、あたりまえのように彼によりそったときのように、サクラの心は、4Cにひきよせられてゆく。


 それは、水面みなもにたゆたう花びらが、小舟のへりに吸いよせられてゆくように――窓ガラスをつたう雨のしずくが、となりのしずくと仲良く交わるように…サクラの心も、自然の法則の中で、ゆっくりと変化していった。



          ***



 とつぜん、蛍光灯の灯りが消えた。


「う、うそ…」

 ずっと ジジジ…と鳴いていた音がやみ、ここで、ついに蛍光灯の寿命が尽き、独房内も、とうぜん暗闇につつまれた。


「ちょ、ちょっと…誰か…」

 サクラは手探りで、鉄格子のまえにたどりつく。

 シンと静まりかえった廊下に耳をそばだててみても、人がやって来る気配はなかった。


(きっと、誰も気づいてないんだ…)


(…っていうか。そもそも、人って、いるのかな…?)


「あ、あのー…スミマセーン。蛍光灯が切れたんですけどー…」

 自分でも、間が抜けたシチュエーションだと思いつつも、誰かに〈お知らせ〉する以外の方法が浮かばない。だからといって、このまま明日まで、暗闇の中で過ごすわけにはいかなかった。


 気が狂ってしまう。


 そもそも、サクラは、こっちの世界へ来てから、ずっと太陽の光をあびていない。ずっと、窓のない閉鎖的な空間で過ごし、そろそろ限界を感じていた矢先だ。いてもたってもいられなかった。


 だが――サクラの声に答えるものはいない。


(ど、どうしよう…)


 冷気がフワフワと、サクラの身体にまとわりつく。

 それと一緒に、闇までもが、ゴースターのようにサクラに密着してくるような錯覚をおぼえ、思わず、サクラは自分の体を抱きしめた。


 と――どこかで、かすかに カン…カン…カン…カン…と、断続的に壁を叩くような音がしはじめた。


「な、なに…この音…?」

 いやな予感が、サクラの不安をかきたてる。

 この独房で、いったいどれだけの〈エムズ・アルファ〉が亡くなったのだろうかと、ふと、思う。


「ま、まさか…」

 まさか、そんな急にオカルト的なものが、この研究施設内にあらわれるなど、想像すらしていなかったサクラの心臓は、バクバクと音をたてて暴れだす。


「わ、私、霊なんて信じないよ。で、でも、この世界は普通じゃない…。ゴースターとかいう化け物もいるんだから、霊がいたっておかしくない…」


(呪文をとなえるんだ…)


(おばあちゃんに教えてもらった呪文を…!)


 サクラは〈おばあちゃん子〉だった。

 怖いことがあったときは「南無阿弥陀仏!」と唱えなさいと教えられていたサクラは、思いっきり息を吸って「なむあみ…」と言いかけた、と、そのとき〈外〉で声がした。


「照明が、切れてるわ…」

 カツカツとヒールのかかとを鳴らす音とともに、女性の声がする。


(だれ…!?)


営繕えいぜんを呼びなさい。まったく…収容スペースの管理が甘いわね。〈エムズ・アルファ〉は、時と場所をえらんで出現するわけじゃないんだから、いつでも収容可能なように準備しておきなさいって…いつも言ってるのに…」


「す、すみません…!」

 女性に説教された男は、あわててどこかへ走っていった。


「さて…新しいエムズの子は、どっちに入ってるのかしら?」

「《監房-A》のほうです、先生」

 べつの男性が答える。


「こちらです」という男性の声とともに、カツカツとひびく靴音は、サクラの独房のまえで止まった。


「先生。血液を採取しますか? キットを持ってきましたが…」

「いえ…今日はいいわ。今日は、の顔を見にきただけだから」

 そのふたりのやりとりを、サクラは、闇の中で息をひそめ、ベッドのすみに隠れて聞いていた。


 ほどなくして、営繕の作業員が到着し、手際よく照明を直すと「申しわけありませんでした!」と〈先生〉と呼ばれた女性に謝罪し去っていった。

 この女性は、権力のある人物なのだろうかと、サクラは思う。


 照明が直り、通路は真昼のような明るさをとりもどし、部屋の中も太陽が差し込んだように明るくなる。


「さあ。では、まず『はじめまして』のご挨拶をしましょう」

 女性はそう言って、鉄格子の間から部屋の中をのぞきこみ、部屋のすみで小さくなっているサクラを見つけると、


「あらあら。そんなにおびえないで」

 そういってほほえみ、鉄格子の中へすうっと手をのばし握手をもとめた。


「はじめまして、私は〈L=6エル・シックス〉。これから、お互い、長いつきあいになるのだから、仲良くしましょうね」

 女性のうしろで、真昼のように明るくなった照明が後光ごこうのように彼女を照らす。逆光でも、その女性の顔は、はっきりと見えた。


 その〈微笑み〉は、サクラがいままで出会ったどんな人間の〈微笑み〉よりも、完璧で、美しく、そして冷酷だった。




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