14|囚われ

 サクラは、夢を見ていた。

 なぜか、トモヒロがパンケーキを大量に焼いて、ひとり占めして食べている夢だ。


「トモヒロ…どうして私にくれないの?」

「おまえは、俺を食べればいいだろ?」


「なに言ってんの? そういうセリフは、普通、彼女がいうんだよ」

「べつに男が言ったっていいだろ? 俺を食べたくないのか?」


「食べたくない。パンケーキが食べたい。もう100枚も焼いてる」

「全部、俺のだ!」


「もう…バカ…!」

「バカっていったほうが、バーカ」


「トモヒロってば、子供みたい…」

「そういうおまえも、な!」


 そして、ふたりは笑いあう。


 ――と、そこで、サクラは目が覚めた。ぼんやりとした頭で目覚め、すぐに気づいたのは、自分がとても空腹だということだった。


(そうか…だからパンケーキの夢なんだ…)


 鉛のように重たいからだを、冷たいコンクリートの地面にぐったりと横たえたまま、サクラは、ぼんやりとした思考の中でそう思った。


(お腹…すいたな…)


 そして、ふと思う。


(さっきから、どうしてこんなに背中が痛いんだろう…?)


(それに、なんだか、とっても冷たいし、かびくさい…)


 そこでサクラは、ようやく気づく。

 ここは、自分の部屋などではない――異世界の、謎の研究施設の中なのだと。


 そして、自分は〈エムズ・アルファー〉という特殊能力を持つ人種として、この研究施設に囚われたのだということを、サクラは絶望とともに思い出す。


(そうだ…)


(私、つかまったんだ…)


 まわりを見まわすと、そこは、冷たいコンクリートの壁にかこまれた、殺風景な立方体の箱の中だった。よく映画やドラマで見るような、囚人を収容する監獄とそっくりな部屋だ。


 3メートル四方の空間に、簡素なベッドがひとつ。それからうす汚れた水洗トイレ。そしてその横に、自分の顔と同じぐらいの大きさの洗面台が、とってつけたように設置されている。


 そのあまりにもステレオタイプの独房は、まるで脱走映画が大好きな人間が、わざとそれっぽく造って演出したかのように、壁のシミひとつにいたるまで、完ぺきに〈独房〉だった。


 だが――サクラは、そんなことに関心はない。


(やっぱり、夢じゃなかった…)


 最初、この世界へあらわれたとき、サクラは、この世界は、夢のつづきの世界だと思っていた。いちど眠るか、死ぬか…とにかく次に目覚めたときには、もとの世界へもどっていて、自分のベッドで起きて「ヘンな夢みちゃったな…」といって笑うのだ。


 しかし――とうぜん、そんなことはなく…バスターズに撃たれた麻酔銃の矢のあとが、サクラの足首でヒリヒリと痛んでいた。

 応急処置をしてくれたのか、その足首には包帯がまかれ、消毒薬のにおいがした。 

 手首についていた手錠も、いつの間にかなくなっている。

 サクラは、それらをうす明かりの中で確認した。


 この独房内には照明も窓もない。

 廊下の天井についている蛍光灯の明かりだけが、室内を照らすゆいいつの明かりだった。しかも、そのランプの寿命が近いのか、ジジジ…という音とともに、点いたり消えたりをくりかえし、そのふわふわと不安定な明かりが、鉄格子のほうから入り込む。


 サクラは、きしむ身体をゆっくりと起こし、その鉄柵によろよろと近づき、〈外〉のようすをうかがってみる。


 鉄格子の正面はコンクリートの壁で、通路は横にのびている。

 だが、サクラからは、その先がどうなっているのか、柵に顔を押しつけて外をのぞこうとしても、なにも見ることはできなかった。

 つぎにサクラは、その鉄の棒を両手でつかみ、思いっきり力を込めて前後左右にひっぱてみる。


「ダメだ…」


 もしも、まだ自分が覚醒していれば、その力で開けられるんじゃないかと考えたのだ。だが、その考えは愚かな考えだと、すぐに気づく。

 そもそも、そんな簡単に開けられるような場所に、エムズ・アルファーを収容するわけがないのだ。


 それに、思い返してみれば、サクラの能力は脅威のジャンプ力と、あとは、よくわからない、人をはねとばす能力――そのふたつであって〈怪力〉ではない。


 さらにいうと、サクラはいま覚醒していない、ただの非力な女子だった。


 さらに、さらにいうと、仮に鉄柵をあけて〈外〉に出たとして――ここが(研究施設内ということはわかるにしろ)地下なのか、地上なのか、そもそも地図もないこの場所から、どうやって抜け出すというのか…。


 さらに、さらに、さらにいうと、抜け出したところで、いったいどこへ逃げるというのだろう。そこまで考えて、サクラは、考えるのをやめた。


(逃げる場所なんて、どこにもないんだ…)


 サクラは、うすいマットレスだけのベッドに横たわり、自分の身体を抱きしめるように小さく丸まって、ぎゅっと目を閉じる。

 こんなとき、ファンタジー映画なら、魔法使いのおばさんが出てきて、ステキな魔法をかけてくれるのに…そんなことを思った、とたん…にわかに、いい香りが漂ってきた。


 あたりを見回し、その匂いはどうやら自分自身から出てる匂いだと気づき、ベッドのうえに起き上がって身体のあちこちをさわってみる、と――


「なんか、入ってる…」


 サクラが着てるメイド服――そのエプロンのポケットの中に、なぜか、サクラが働いていたホテルの備品が入っていた。

 香りの原因は、その備品のひとつ…小さな容器にはっているミニ・シャンプーだった。そのフタがゆるんでいたのだ。

 サクラは、さっそくそれらをベッドの上に出してみる。


 シャンプー。メモ帳。ボールペン。煎茶。ほうじ茶。カッターナイフ。

 その6点だ。


「す、すごい…これって、魔法…?」

 この世界にあらわれるとき、ホテルの制服を着ていたのだから、備品がポケットにはいってるぐらいのことは、あるのだろう。


 もっと、なにか入ってないかと、あちこちのポケットをさぐる。

 そして、ジャンパースカート自体についてる両脇のポケットの右側に手をいれたとき、なにか、硬いものに指がふれた。


「え? これって…」

 それは、サクラの〈スマホ〉だった。


「ウソでしょ…」

 サクラは、さっそく電源を入れ、電波状況を確認した。

 とうぜん電波は入らず、WiFiワイファイのマークも出ることはなかったが、通話やインターネット以外の機能は使えそうだった。


 サクラが、つい2~3日まえまでやりとりしていたLINEラインやメールの記録はそのまま残っている。LINEでの、トモヒロとのやりとりが、そっくりそのまま入っていた。


〈トモヒロ、いまどこ? はぐれたんですけど!〉

  〈川原にいるよ。サクラがいる洞窟の裏手。早く来いや〉


〈もう! すぐ、どっか行っちゃうんだから!〉

  〈ごめん、ごめん。俺、ここで寝るわ。あとで起して〉


〈ばーか。起こすもんか。一生、寝てろー〉


 それは、都心からすこし離れた、山の中腹にある洞窟に遊びに行ったときの記録だ。その場所へは、バイクで行ったのだ。


 トモヒロが運転し、サクラがうしろに乗り、タンデムで日帰り旅行をするはずだった。だが、その帰り道…ふたりはトラックにはねられた。

 サクラは、この世界へ飛ばされ、トモヒロは、向こうの世界で、生死もわからないままになった。


 サクラは、そのときに撮った動画をみた。


 それは、川原で気持ちよさそうに寝ているトモヒロを、小枝でつついて邪魔している動画だ。「やめろー」という彼と「やめなーい」というサクラ。

 1年後に結婚するふたりは、ふたりにしかわからない幸せなオーラを放ち、木漏れ日の中でキラキラと輝いていた。


 ふいに、スマホを持つ、サクラの手がふるえる。


 スマホ画面のうえに、大粒の涙がポタポタと落ちる。


 向こうの世界へ帰ることができないという絶望と、愛する人に二度と会えないというふたつの絶望をつきつけられ、サクラは泣いた。

 それは、サクラが、もうひとつの世界アナザーワールドへ来てから、はじめて、その絶望を自覚し受け入れた瞬間でもあった。


 希望は、絶望の中から生まれる。


 このとき、ようやくサクラの心の中に、希望の〈光〉がめばえはじめた。



          ***



 23ゲートで意識がとだえる瞬間、サクラはトモヒロの言葉をきいた。


『 そして、… 』


『 いつか、俺に会う日のために、生きのびるんだ… 』


『 俺は、ぜったいしないから… 』


 トモヒロの生死は、じっさいには、わからない。

 けれど――サクラは、その言葉を信じることにした。


(私は、生きる…)


(いつか、トモヒロに会う日のために…)


 それからサクラは、涙で汚したスマホを拭き、電源を切った。

 替えのバッテリーもアダプターもない今、無駄に消耗させたくなかったからだ。


 それから、室内をすばやく見回し、監視カメラがついていないか確認する。

 もし、このことが知られたら、没収されるおそれもあったからだ。


 運命を受け入れ、希望をたぐりよせはじめたサクラの頭の中は、フル回転でまわりはじめる。


『 咲良さくら、いいぞ。その調子だ! 』


『 いつだって希望はある、がんばれ! 』


(うん、がんばる…)


(まってて、トモヒロ…)


(私、かならず帰るから…)


(方法を見つけて、かならず帰る…)


 と、そのとき―――鉄格子のほうから、声がきこえた。


「メイドちゃん、大丈夫か? 俺だ、4Cフォーシーだ…」




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