8
大きな掌の感触にセシリアは懐かしさを覚える。
「兄、さん?」
寝ぼけ
「ごめん、起こした?」
そこでセシリアは覚醒した。続けて状況をすぐに把握する。ここは自室ではなくルディガーの部屋で、彼のベッドの上だ。
体温をいつもより近くで感じるのは、自分がなにも身に纏っていない状態で抱きしめられているからだと気づく。ルディガーはセシリアの顔にかかる柔らかい金色の髪をそっと耳にかけ、おもむろにセシリアに額に口づけた。
「おはよう、シリー」
セシリアはなにも言わずにじっとルディガーを見つめる。彼女の視線の意図が読めずルディガーは首を傾げた。するとセシリアは軽く頭を浮かせて、彼の腕ではなく少しずらしてベッドに頭を置いた。
「どうした?」
なにか嫌だったのか。ルディガーが問いかけるとセシリアは上目遣いに呟く。
「……剣を扱うのに腕に負担をかけるのは申し訳なく思って」
腕枕をされていた状態だったのを気にしてらしい。まさかの気遣いにルディガーは目をぱちくりとさせる。ややあって戸惑う感情を声に漏らした。
「はぁー」
項垂れるルディガーにセシリアは少しだけ不安になる。せっかくふたりで迎えた朝に、空気が読めていなかったかもしれない。
すると突然、ルディガーの腕の中に再び閉じ込められる。
「反則。寝起きもこんなに可愛いなんて。シリーは意外と朝が弱いんだ」
「別に弱くないですけど……」
抱きしめられているのでくぐもった声になるもセシリアは小さく反論する。今日は特別だ。そこで原因を深く突き詰められるのは、気恥ずかしいのでそれ以上はやめておく。
ジェイドから任務に戻っていいとお達しが出たのはルディガーが怪我をして二ヶ月近く経ってからだった。この時間が、ルディガーは非常に長く感じられた。
というのもセシリアと想いを通わせ合ったあの日。お互いになんの気兼ねもなく口づけを交わし、触れ合ってもいい……はずだった。
軽く交わしていただけのキスが自然と深いものになり、ルディガーのペースでセシリアを翻弄していく。緊張しつつも応えようとする彼女がいじらしく、じわじわと自分の中の欲深さが増していく。
ところが、不意に口づけを中断させたのはセシリアの方だった。
『と、とりあえず、今は休んでください。怪我人だって自覚あります?』
肩で息をして真面目に提案するセシリアに、ルディガーは至近距離でさらりと返す。
『それよりもシリーが俺のものになったって実感したいんだけど』
『十分じゃないですか?』
『まだ全然足りない』
あっさり一蹴すると、ルディガーは再び彼女を抱きしめ、団服から覗く白い首筋に顔を埋める。
『ちょっ』
抵抗しようにも、慣れない感触にセシリアの背筋が震えた。ルディガーの焦げ茶色の髪が頬をかすめ、唇と舌で丁寧に肌を刺激される。勝手に鳥肌が立ち、視界が滲みそうになった。ルディガーはセシリアに触れるのをやめようとしない。
『こういうとき同じ団服だと有り難いね。脱がしやすい』
からかいを含んだ発言にセシリアは反射的に叫んだ。
『っ、駄目です!』
さすがにルディガーは動きを止め、顔を上げてセシリアと視線を合わせる。
『六年も我慢してたんだけど?』
『こっちはそれ以上です!』
セシリアの思わぬ切り返しにルディガーは目を見張る。セシリアは乱れた襟元を正し、勢いもあってルディガーに告げる。
『私はその前からずっとあなたを想ってましたよ』
言葉を失っているルディガーをよそに、セシリアはさっさと彼の腕から逃れベッドから腰を上げた。改めてベッドサイドに立ち、ルディガーに向き合う。
『だからまだ音を上げないでくださいね。ジェイドの指示に従っておとなしくしていてください』
いつもの余裕ある副官の笑みを向けられ、ルディガーは肩を落とした。上手くかわされたのを嘆くべきか、思わぬ彼女の告白に喜ぶべきか。
さすがに思うところがあるのか、セシリアからフォローが入る。
『……これからは、極力顔を出すようにしますから』
『それは副官として? それとも恋人として?』
すかさず切り込んできたルディガーにセシリアは苦笑した。
『どっちもですよ』
そう言うとセシリアはベッドに身を乗り出し、自分から軽くルディガーに口づける。さっきの口づけを中断された以上にルディガーにとっては予想外の彼女の行動だった。
『私はあなたのものなんでしょ? 心配しなくてもどこにも行かないから、早く元気になってね』
穏やかに笑ってセシリアは部屋を後にした。ルディガーは残る余韻にため息をつく。
これは、色々とあれだ。自分の身は持つのだろうか。
口元に手をやり項垂れていると、部屋にノック音が響く。顔を出したのはスヴェンだ。
『調子はどうだ?』
『天国と地獄を一気に味わった気分だよ』
意味がわからないと怪訝な顔をするスヴェンを無視して、ルディガーは笑う。どうやら、これから振り回されるのは、おそらく自分の方だと確信した。でも悪くはない。
「久しぶりにセドリックに会いに行こうか」
やっとセシリアに気兼ねなく触れられる嬉しさに包まれながら、ルディガーは提案した。
彼の腕の中にいるセシリアは、軽く
「報告に行かないと。きっとシリーの幸せを一番に願っていたのはあいつだから」
セシリアはくしゃりと顔を歪め、軽く頷きルディガーの申し出を受け入れる。思えば、ふたりでセドリックの墓参りに行ったことはない。セシリアは震える声で言葉を紡ぐ。
「でも……願うだけじゃ駄目なんです、そばにいないと……」
ルディガーはセシリアの頭を撫でて安心させてやる。
「そう。だから君を幸せにするのは俺だよ。絶対に置いていかないし、そばにいる」
セシリアの胸に熱いものが込み上げる。自分の気持ちも同じだ。声にすると違うものまで溢れ出そうで、頷くのが精いっぱいだった。
「またあいつの思い出も話そう。シリーの話も聞くし、聞かせてほしい。俺の話もね」
ルディガーはセシリアの手を取り、掌に音を立てて口づける。
「愛している。一生かけて守っていくから」
ルディガーの誓いに、堪えていた涙がセシリアの頬を滑った。セシリアの表情は笑顔だ。取られていた手に指が絡められ、どちらからともなく唇を重ねる。
今日も仕事だ。ふたりの関係が変化したとはいえ、また王都の平穏を守るために新しい事案に取りかからなくては。
徐々に部屋の中に薄明かりが差し込み、傍らに置いていた剣を照らす。もう雨は降りそうもない。暗く長かった夜に朝が来たのだと静かに告げていた。
Fin.
剣に願いを、掌に口づけを―最高位の上官による揺るぎない恋着― くろのあずさ @kuro-azu
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