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 クラウスと書物庫で遭遇してから数後日、セシリアは仕事を終えた後で一度自室に戻り、今日はルディガーの仕事部屋にて膨大な量の書物と格闘していた。


 普段、自分の作業する机は別にあるのだがスペース的に手狭なのもあり、応接用の長いソファに腰掛け、テーブルの上に大量の本や書類などを置いている。


 部屋の主であるルディガーはおらず、皆が寝支度を済ませる時間帯なので人の気配もない。なのでドアの向こうに何者かが立ったとき、セシリアはすぐに気づいた。


 顔を上げたのと同時にノック音が響き、セシリアは迷いながらも返事をする。それを待ってドアがゆっくりと開かれた。


「夜分遅くにすみません、セシリアさん。少しかまいませんか?」


 顔を出したのはスヴェンの妻、ライラだった。意外な人物の来訪にセシリアは目を丸くする。


「どうされました?」


 とりあえず中へ促すと、ライラは木製の小さな台車を押してきた。カップが二セット。彼女の得意なお茶を淹れる器具が乗っている。


「お茶を飲みたくなったんですが、自分のためだけに淹れるのもなんなので、よかったらご一緒してもらえませんか? スヴェンは今晩、遅くなるみたいですし」


 申し訳なさ気に、そして不安そうにライラはセシリアを窺う。ライラは白くて薄い夜着に赤茶色のローブを羽織って後は寝るだけといった格好だ。


 セシリアはふっと微笑んだ。


「ありがとうございます。私も少し休憩しようと思っていたのでいただきます」


 セシリアの返答にライラはぱっと花が咲いたかのごとく笑顔になる。深緑を連想させる穏やかな緑の瞳が細められた。


 それからライラは慣れた手つきでお茶を淹れる準備を始める。セシリアは再び書類に視線を戻し、意識を集中させた。


「セシリアさん」


 声をかけられ、セシリアは我に返る。すぐ傍らでライラがソーサーに乗ったカップを持ち困惑気味に微笑んでいるので、セシリアは慌てて自分の前のスペースを空けた。


 そこへライラが控えめにカップを置く。ライラの白い手を見つめ、セシリアの注意はカップの中身に映った。あまり色づいていない液体はほんのり薄い青紫色だ。


 寂しげな色合いとは相反して香りは甘めで、匂いが部屋に漂い、鼻孔をくすぐる。


「ヴェターという花の葉を煎じたんです。副交感神経に作用し疲労回復にぴったりなんですよ」


 ライラから説明を受け、セシリアは少しだけカップに口をつける。香りに反して味に甘さはなく、後から少し苦味がくるが飲みやすい。


 セシリアが飲むのをライラは固唾を飲んで見守っている。


「ありがとうございます、美味しいですよ」


 セシリアの感想にライラは安堵の色を浮かべた。


「珍しい花ですか? 初めて知りました」


 今度はセシリアから話題を振ってみる。ライラの得意分野だ。その証拠にライラは意気揚々と説明を始める。


「あまり一般的ではないですね。ヴェターの花は扱いに注意が必要ですから。見た目は小さな薄く青い花で、どこにでもありそうな野草そのものなんですが、根から抽出される成分には神経と脳を刺激し、トランス状態に陥らせたりします」


 あまりにも過激な情報にセシリアはカップの中身を思わず確認した。それを見てライラは慌ててフォローする。


「摂取量が多ければ死に至る事例もありますが、もきちんと処理して適切な量ならなんの問題もありません。薬も過ぎれば毒となると言いますか」


「そうなんですか」


「その一方で、とても便利な花なんです」


「便利?」


 セシリアが思わず尋ね返すと、ライラは笑顔で大きく頷いた。


「はい。ヴェターは雨が降りそうになると花の色が薄い水色から濃い青に変わるんです。空気中の水分量が関係しているのか、詳しい原因はわかりませんが、空とこの花を見れば雨の予想は百発百中ですよ」


 淀みない語り口と知識にセシリアは純粋に感心した。反対にライラははっと我に返ると、背中を丸め、眉を曇らせる。


「すみません、余計な話を長々と……」


 しゅんとするライラにセシリアは笑った。


「いいえ。お話、とても面白かったですよ」


 セシリアのフォローにライラはおずおずと背筋を正す。そして机の上に置かれている書物や本に目を遣った。


「お仕事、大変ですね」


「いえ。仕事の延長ではありますが、これは私個人が気になって色々調べているだけなんです」


 セシリアの回答にライラはどこか物悲しそうな表情になった。


「スヴェンも相変わらず忙しいみたいで……。羨ましいです。私はこんなとき、彼の役になにも立てないから」


「そんなことありませんよ。あなたがそばにいるだけで、バルシュハイト元帥は十分なんだと思います」


 セシリアはすぐさま否定する。慰めでも励ましでもなく素直な意見だ。


 現に今だって、スヴェンは任務で遠出したとしても極力城へ、ライラの元へ戻って来るよう心掛けている。前のスヴェンならありえない。


 相変わらず厳しい態度を取ることが多いスヴェンだが、ライラと結婚して雰囲気が和らいだのも事実だ。


「帰る場所があるのは、とても心強いですから」


「なら、エルンスト元帥もセシリアさんがいつもそばにいるので心強いですね」


 ライラの切り返しにセシリアは目を丸くする。ライラの顔には笑みが浮かんだままだ。そのとき部屋のドアがノックされた。こちらの返事を待たずに扉が開く。


「ここにいたのか」


 入って来たのは疲れた顔をしたスヴェンだった。ライラが信じられない面持ちで彼を見る。


「スヴェン。遅くなるって……」


「思ったより、早く交渉がまとまったんだ」


「お疲れ様です、バルシュハイト元帥」


 面食らったのはライラだけでセシリアは冷静に挨拶する。スヴェンがライラのそばまで歩み寄ってきたので、ライラも立ち上がった。


「もういい時間だ。先に休んでおけって言っただろ」


「でも」


 続きを言い迷うライラの頭をスヴェンは優しく撫でた。


「待たせたな。とりあえず行くぞ」


 スヴェンの言葉を受け、ライラは静かに頷く。スヴェンからは見えなかっただろうが、セシリアからはライラが幸せそうに笑っているのが見えた。


 スヴェンは視線をセシリアに寄越す。


「邪魔したな」


「いいえ」


「お前もいい加減、休めよ」


 セシリアへの気遣いもぶっきらぼうに見せ、スヴェンとライラは部屋を後にしていった。

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