6

 夜警団の仕事を終え、夕飯や湯浴みを済ませてからセシリアは自室に戻った。城に駐在する団員の食堂や寝所などの生活空間はほぼ一カ所にまとめられている。


 セシリアはアードラーの副官として一人部屋が与えられ、場所も国王陛下もといアードラーの自室のそばだった。


 他の団員は城の内外を含め、昼夜交代で見張りを務める任務があるが、基本的にアードラーの副官であるセシリアにはない。


 そういったのも関係している配置だ。ただし任務次第では真夜中だろうとかなり不規則になる場合もある。


 夜の帳がすっかり下りた頃、セシリアは夜着から団服に着替え、そっと部屋を抜け出した。向かうのは城の書物庫だ。


 蝋燭を光源とした洋灯を持ち、暗い廊下を極力気配を殺して前に進む。


 ディアナが亡くなってから連日、セシリアは決まってこの時間帯に城の書物庫へと通い詰めていた。途中、見張りの団員とすれ違い、軽く挨拶を交わすなどして目的地を目指す。


 大きな両開きの重厚な扉には錠がかかっているが、鍵は拝借済みだ。めったに人が訪れないのもあり、常に見張りの者がいるわけでもない。とくに夜は静かだ。


 おかげで必要以上に大きな音を立て、錠が外れる。ゆっくりとドアを開けば、埃とカビ臭さが鼻を突いた。それを無視して迷路のような棚の隙間をくぐっていく。


 途中、部屋に備え付けの燭台に明かりを灯していき、部屋を徐々に照らしていった。


 ここには古今東西の図書の他、城の古い歴史書や資料など膨大な書物が収められている。


 ちなみにアルント王国の歴史は、エアトタイル大陸の出現と共に語り継がれ、今では領土を四方に広げ、大陸すべてを統治する勢いだが、伝説によると最初は国と呼べるほど大きなものではなかったらしい。


 まだアルント王国と名乗る以前にこの土地を統治していた存在から、褒美として領土を与えられた青年が初代王となり、国は始まったとされている。


 ここにはそういった国や王家にまつわるものも多く所蔵されている。


 それらの区域を通り過ぎ、ある棚の前でセシリアは歩みを止め、洋灯を片手に本に手を伸ばした。昨日の続きだと確認し、洋灯を棚に置いて文章に目を走らせる。


 静寂のおかげで本のページをめくる音、炎がジジジと燃えていくのさえよく響く。

 セシリアがすっかり集中しきっているそのときだった。


「随分と熱心だな」


 反射的に懐に隠していた剣を抜こうとしたが、すんでのところで思い留まる。意外な人物にセシリアは自分の目を疑った。


「陛下……」


 まったく気づかなかったのは自分の至らなさか相手が上手うわてだったからか。


 そこには、洋灯を手に持ったアルノー夜警団の総長であり、アルント王国の現国王クラウス・エーデル・ゲオルク・アルントの姿があった。


 ルディガーやスヴェンと同じ齢二十六にして、いかんなく手堅い政治手腕を発揮し国を治めている彼は誰が見ても有能だった。


 さらにその外貌も一際目を引く。無造作だがサラサラと流れる金の髪に癖はなく、前髪の合間から覗くのは思慮深さを思わせる鉄紺の瞳だ。


 今は深藍のジュストコールは身にまとっておらず、白い襟付きのシャツに黒いズボンと年相応の青年の格好だ。しかし、どんな身なりをしていても国王として放つ雰囲気はどこか威厳がある。


 セシリアはすぐさまひざまずき頭を下げた。


「どうされました? なにか必要なものがありましたらお申し付けください。お持ちいたします」


 かしこまった固い声に対し、返ってきたのは小さなため息だった。


おもてを上げて楽にしろ」


 セシリアはぎこちなく顔を上げる。クラウスは細工の施された洋灯を棚に置き、本棚の柱に背を預けると軽く腕を組んで楽な姿勢を取った。


「とくに用はない。ただ、いつも国王陛下でいるのも疲れるんだ。俺だってたまには、ひとりになりたいときもある」


「ならば……」


 自分がここにいては、クラウスの意に反する気がしたが、セシリアの立場を考えると、素直に彼をひとりにさせるわけにもいかない。


 身の振り方を迷っていると、クラウスはセシリアの気持ちなどまるで無視して、唐突に話題を振ってきた。


「ルディガーを振ったんだって?」


 さらりと落とされた爆弾に、セシリアは一瞬頭が真っ白になった。クラウスはおかしそうに笑みを浮かべたまま、セシリアの反応を窺っている。


 そして目を瞬かせながらも膝を折った姿勢で固まっているセシリアに、クラウスはおもむろに手を差し出した。


 セシリアは迷いつつも彼の手を取る。これでふたりを包む空気が昔馴染みのものに切り替わった。


 昔から国王になるべくして育てられたクラウスはルディガーやスヴェンに比べると接点は少ない。しかし彼の纏う雰囲気がそうさせるのか、誰よりも俯瞰ふかんし余裕たっぷりの態度がセシリアは嫌いではなかった。


 セドリックが亡くなった際、王家として責任を感じたクラウスが自分と自分の家族を気にかけてくれたのも大きい。前アードラーである父は、その地位を退いてからは国王陛下の護衛として就いている。


 立ち上がったセシリアは訝し気に尋ねた。


「あの人、なにか言ってました?」


「いや?」


 笑いながら否定されても、あまり説得力はない。とはいえクラウスに隠し事は出来ない。これは兄が生きていたときからの暗黙の了解だ。


「結婚くらいしてやったらどうだ? 所詮は紙切れ一枚の話だろ」


 アルント王国では結婚の際に絶大な効力を発揮するのは、神への誓いでも、結婚式を執り行うことでもない。王の署名が入った宣誓書が絶対だ。


 書類に国王のサインがあれば夫婦として認められ、それは離縁するときも同じだった。


 だからといって、結婚が簡単なものだと軽んじられているわけではなく、この国では神よりも王の方が人々の崇拝する象徴であり、絶対的な力の強さを物語っているからだ。


 黙り込むセシリアにクラウスは畳みかけていく。


「どうせお前もルディガーから離れる気はないんだろ。あいつだって」


「嫌です」


 セシリアはきっぱりと言い放ち、クラウスの言葉を遮る。国王陛下の話を最後まで聞かず、ましてや反抗など不敬罪もいいところだ。それでも言わずにはいられなかった。


 セシリアは視線を落として、早口で続けた。


「きっとあの人は結婚しても、子どもができたとしても、大事な家族をおいて陛下の命令や国のためならどんな危険な場所へだって赴く。そのときにもう待つだけなのは、願うだけなのは嫌なんです」


 珍しくも必死さが込められている声だった。


 セドリックのときに思い知った。無事を願うだけで、なにもできなかった自分。剣の腕をいくら磨いても、それだけでは意味がない。


『あなたの言い分、とっても素敵だけれど、諦めるのが前提みたいな言い方だから。そこは私が幸せにしたい!ってならない?』


 ルディガーに幸せになって欲しいと願っている。けれど、やっぱり自分が幸せにしたいとは願えない。それは別の誰かの役目だ。


『でも帰る場所があるのは幸せだよ』


『シリーの家族は俺の理想だよ』


 スヴェンたちをルディガーは穏やかな顔で素敵な夫婦だと話していた。彼が求めている家族は、妻は自分の母やライラみたいにおとなしく家で帰る場所として待っている存在だ。


 いつも明るくて笑顔のライラは女性のセシリアから見ても可愛らしい。あのスヴェンを変わらせるほどの魅力が彼女にはあり、一緒にいると癒されるのも伝わってくる。


 ルディガーと婚約していたエルザだって、美しくておしとやかで女性としても妻としても申し分ない。でも、自分は彼女たちみたいにはなれない


「一番ではなくてもいいんです。どんなときでもそばで支えて、この身を盾にしてでもあの人を守る。あの人の大切なものも一緒に守る覚悟はできているんです」


 強く言いきった後に降りてくる静寂は耳鳴りを起こしそうだった。冷静になり、国王陛下の前で感情的になってしまった自分を恥じる。


 己の未熟さをこんなときにも思い知り、セシリアは慌てて取り繕おうとした。


 しかし、セシリアが発言するよりも先にクラウスがセシリアの頭に手を置いた。


「悪かった。少しあいつに肩入れしすぎて、お前の気持ちを考えていなかった。公平じゃなかったな」


 すぐに手は離れ、クラウスは困惑気味に微笑みセシリアに言い聞かせる。


「俺の言ったことは忘れろ。お前はお前の信念を貫けばいい」


 クラウスの言葉がざわついたセシリアの心にすんなりと落ちてくる。セシリアは素直に頷いた。


「……はい。ありがとうございます、陛下」


「なに、あいつが決着をつける問題だからな。外野はおとなしく高みの見物といくさ」


 意味がわからず尋ね返そうとしたが、やはりクラウスはマイペースに話を振ってくる。


「で、お前は連日寝る間を惜しんで、ここでなにをしているんだ?」


 自分が書物庫に通い詰めているのさえ知られていたらしい。おそらく一連の事件に関しても王の耳には入っているのだろう。


「アスモデウスに関しての情報を集めているんです。どこまでが正当な伝承で、どこまでが今回の件で新たに加えられたものなのかをはっきりさせようと思いまして。他にも調べものをいくつか……」


「なるほど。それで、どうだったんだ?」


 セシリアは暗がりの中でわずかな明かりを頼りに、持っている本に目を走らせると報告口調でクラウスに告げる。


「アスモデウスが美を司るという話は見つけました。一方で青年に化ける、現れたら雨が降るといった類の話は探した限り、ありません」


 アスモデウスは蛇になるという話もあるが、これは悪魔や魔神が人を誘惑する際に変わる姿としては一般的なので、曖昧だ。


 クラウスは自嘲的な笑みを浮かべる。


「伝承などいい加減さ。そこに誰かの意志が加わり、あたかも真実のように語られる。それを多くの人々が信じ、また語り継がれていく。この国に伝わる伝承でさえ……」


「どうされました?」


 クラウスが不意に言葉を止めたので、セシリアは思わず尋ねた。洋灯の明かりに照らされた彼の顔は感情が読めず、代わりに端正さを際立たせている。


 クラウスはなんとも言えない面持ちで軽く頭を振った。


「いや。とにかく噂も伝承も自然に生まれたものもあれば、誰かがなにかの意図で広めた場合もあるってことだ」


「意図、ですか」


 おうむ返しをするセシリアにクラウスは不敵に笑った。


「そう。例えば……不都合な真実を隠すために、とかな。伝承のせいにすれば、理由は必要ない。楽なものさ。ただ、火のない所に煙は立たないのも事実だ」


 セシリアはしばし思案する。そして、クラウスの今の発言で先ほどから気になっていた件を口にする。


「ところで、陛下がお持ちの洋灯の炎は、なにか細工されているのですか?」


 セシリアの問いにクラウスは置いてある洋灯に視線を移した。洋灯の中の炎は、よく見ると一般的な炎より黄色がかったものだった。


「ああ。これは特殊仕様な造りなんだ。簡単に言えばアルコールで火を灯しているところに塩が反応しているだけさ。炎色反応フランメンフェルブングを利用している」


 その単語には聞き覚えがある。たしか兄の持っていた錬金術の書物で読んだ記憶がある。実物を見るのは初めてだ。


「なんなら赤や緑の炎も見せてやろうか?」


 余裕めいたクラウスにセシリアは苦笑する。しかし次の瞬間、炎がふっと消えたかのようにクラウスの表情は真剣なものになった。


「セシリア」


 真正面から名前を呼ばれ、セシリアは王をまっすぐに見据えた。


「ルディガーの大切なものの中にはお前も含まれているんだ。ルディガーを思うなら自分も大事にしろ。副官とはいえ、ひとりで抱え込みすぎるなよ。いい具合に使ってやればいいんだ」


 国王陛下ならいざ知らず、さすがに自分が上官を使うという表現は違和感がある。セシリアの顔色を読んだクラウスは気にせずに続けた。


「事実だろ。お前のためならあいつはそれこそ火の海にでも飛び込むぞ」


 それは遠慮願いたい。相変わらずクラウスの物言いは、本気と冗談の境界線がわかりにくい。


 不安げな色を浮かべたセシリアにクラウスはかすかに笑った。安心させる表情だ。


「少なくとも俺が国王でいる間は、お前が心配している事態は起きないし、起こさせはしない。だから安心しろ。あいつを頼む」


 クラウスの言葉を受け、セシリアもようやく笑う。そして静かに目を閉じて答えた。


「……はい、陛下。謹んで」

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