3

「セシリア、本当にありがとう。お姉ちゃんのあんな嬉しそうな顔、久しぶりに見たわ」


「それはよかったです」


 外套を使用人に預け、以前と同じ客間に通される。白いテーブルクロスのかかった机の上に置かれた飴色の紅茶は、甘い香りを漂わせていた。


 前回とは打って変わってセシリアに対するドリスの態度は軟化し、機嫌もすこぶる良い。


 ドリスはカップを置き、ふぅっと息を吐く。


「話には聞いていたけれど、お姉ちゃんの婚約者だった人、本当に素敵ね。とってもお似合いだったし、上手くいくといいな」


 うっとりしたと思えば、今度は悩ましげな面持ちだ。まっすぐなドリスにセシリアは微笑む。


「本当にエルザさんがお好きなんですね」


「うん、大好き。私の憧れなの。知的で美人で、それでいて女性らしくて。多くの男性の理想像でもあるわよね」


「あなたも十分、素敵だと思いますよ」


 セシリアの発言にドリスはどうしてか煮え切れない表情を見せた。


「ありがとう。でも男性は、私みたいにお転婆でガサツなのはあまり好きじゃないだろうから。体型もドレスが似合うようにもっと痩せた方が……」


 ドリスの言い分でセシリアは直感的に閃く。彼女の言い分は男性というより誰か特定の人物を指している気がした。


「どなたか、想いを寄せている方でもいらっしゃるんですか?」


 図星だったのか、セシリアの指摘にドリスは大きく目を見開き、あからさまに狼狽する。


「えっと……まぁ。その……」


「だから、綺麗になろうと努力されているんですね」


 少しずつドリスの話に添いながらセシリアは話題の方向を誘導していく。


「うん。まぁね」


 最終的に照れながらもドリスは認めた。そこでセシリアが踏み込む。


「あの、前にお話ししていた美容法、もしよかったら私にも教えてもらえませんか?」


「え?」


 どんな反応をされるか。ドリスの表情を注意深く観察していると、彼女はセシリアの予想外の切り返しをしてきた。


「セシリアにも好きな人がいるの?」


 思わず面食らうセシリアに対し、ドリスは目をキラキラとさせ好奇心いっぱいだ。


「どんな人? もしかしてマイヤー先生?」


 嬉しそうなドリス。せっかく食らいついてきた話題だ。相手はともかくここで下手に否定して、話の勢いを萎ませるのもよくない。


「彼ではありませんが……」


 セシリアは言葉を迷う。しかし、その姿がドリスには違う意味での躊躇いに見えて、彼女はおとなしく続きを待った。


 セシリアは頭を必死に回転させ、ぎこちなくも口を開く。


「つらい思いをしてきた人で……。誰よりも幸せになって欲しいんです。そのために私ができることならなんでもしたいって思える人ですよ」


 これでドリスは納得しただろうか。自然とルディガーを浮かべて発言してしまったが、気づかれなかっただろうか。


 緊張しつつドリスを見つめていると彼女は形のいい眉をハの字にして呟く。


「その彼には他に好きな人がいるの?」


「え?」


 ドリスは困惑顔で微笑み、指摘する。


「あなたの言い分、とっても素敵だけれど、諦めるのが前提みたいな言い方だから。そこは私が幸せにしたい!ってならない?」


 悟られたか、違和感を抱かせてしまったか。セシリアがどうフォローすべきか思考を巡らせていると、ドリスがおもむろにカップをソーサーに置いた。


「なんてね。事情があるんだ。セシリアもつらい恋をしているのね」


 ドリスの結論にセシリアは胸をなで下ろす。そしてドリスは申し訳なさげに続けた。


「美容法の件、返事を待ってくれる? 私だけの判断じゃ教えられないの。ごめんなさい」


「いいえ」


 追及したい気持ちをぐっと堪え、セシリアは短く答えた。これ以上、踏み込んで不信感を持たれるのも本意じゃない。


 しばらく他愛のない会話を楽しんでから、頃合いを見測りセシリアは先にドリスの家を後にする旨を告げる。


 ルディガーとは共に来たが、あくまでも自分は橋渡し役としてだ。合わせて一緒に帰らなくてもいい。


「セシリア、何度も言うけれど本当にありがとう。また遊びに来てね」


 屈託のない笑顔を向けるドリスにセシリアは真面目に向き合う。


「ドリス、余計なお世話かもしれませんがひとりで出歩かないでくださいね。ご存知とは思いますが、ドュンケルの森の入口付近で若い女性の遺体が見つかって……」


「知ってるわ。ホフマン卿のところのディアナでしょ? 直接の知り合いじゃないけど綺麗な人だって聞いてた」


 ドリスは目線を落とし、物静かな口調で哀悼の意を示した。セシリアは迷いつつも先を続ける。


「あの、あなたがドュンケルの森に向かうのを見たって話を聞いて、それで心配になって思わず……」


 この話題を持ち出すのは一種の賭けだったが、ドリスは嫌な顔をせず、苦々しく笑う。


「そうだったの。ごめんなさい、心配かけて。……実はね、この前は否定したけど一度だけあの噂を信じてドュンケルの森に足を運んだことがあるの」


 セシリアに緊張が走るが、顔には出さない。慎重にドリスの言葉を窺う。


「でもね、やっぱりアスモデウスなんていなかったわ。馬鹿よね、あんな話を信じちゃって」


「いえ」


 自嘲気味に笑うドリスだが、すぐにいつもの笑顔に戻って話を続ける。


「けれど、結果的に行ってよかったって思ってるの。だって……」


 言いかけてドリスは口をつぐんだ。急に瞬きを繰り返し、目を泳がせる。あきらかに様子がおかしい。


「どうされました?」


「ううん、なんでも。とにかく、もうデュンケルの森には近づかないわ。ディアナも不幸だったわね」


 わざとらしく話題を切り替えられた。セシリアは判断を巡らせ、これ以上深追いするのはあきらめる。


「なにはともあれ気をつけてくださいね。エルザさんにもどうぞよろしくお伝えください」


 セシリアのあまりの真剣さにドリスはきょとんとした顔になる。しかしすぐに笑った。


「ありがとう。お姉ちゃんにも伝えておくわ。それにしても私たち同士ね。片思いをしていて、さらにお姉ちゃんたちが上手くいくようにって願っていて。そうでしょ?」


「……ええ」


 人は相手に共通点を見つけると、さらなる親しみを感じる。セシリアは答えてからドリスに背を向け歩き出した。


 やはり今日は太陽が顔を見せないまま日が沈みそうだ。曇天のため地面に映る自分の影も随分と薄い。


 本当はルディガーに声をかけるべきだったのか。彼をここに連れてきたのは自分だ。ただ、邪魔をするべきではない……そう判断した。


 彼は久々に会った元婚約者とどのような会話をしているのか。玄関先でふたりが寄り添う姿を思い出し、胸が軋む。


 こんなにも胸が痛むのは、きっと思い出させるからだ。ルディガーとエルザを見ては、遠巻きに地団太を踏むしかできなかった子どもの頃の自分を。


 彼とは対等ではないと思い知らされ、自分の非力さにほぞを噛んでいた。


 今はルディガーの副官として自分の立ち位置も役割もしっかりと認識し、それなりの働きをしていると自負だってしている。それなのに。


 守っているつもりで、守られているのは……そばで支えようとして、支えられているのは……。


『彼は自分のせいで兄を奪ったからって責任を感じてその妹につきっきりだって』


 もしかして私の方なの?

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