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「セシリア?」
名前を呼ばれ、セシリアは慌てて我に返る。視線を向ければ見知った人物がいた。
「ジェイド。ブルート先生」
テレサとジェイドが並び、ジェイドは見覚えのある荷車を引いている。おそらくテレサのものだろう。
「こんにちは、セシリア。どうしたの、こんなところで?」
テレサに声をかけられセシリアは素直に答えた。
「ドリスとエルザさんのところへ行っていたんです」
「そうだったの。仲良くなれたのなら、よかったわ」
テレサはぱっと明るくなる笑顔を浮かべた。目尻の皺が深く刻まれ目が細められる。
「おふたりは?」
「ああ。足りない薬草を取りに行っているところで出会ってな。ちょっと手伝っているんだ」
セシリアはジェイドが引いている荷車に注目する。薬草だけにしては車輪の軋み具合からして重たそうだ。セシリアの視線の先に気づいたテレサがおかしそうに笑う。
「偶然に鹿が倒れていてね。私ひとりだと重いけれど彼が運ぶって言うから。車輪もなんとか動いてよかったわ」
「鹿肉はなかなか高級だぞ。まだ温かかったからさっさと血抜きはしたんだが、まだ不十分だ。後は家で作業しようと思ってな」
ジェイドは料理する気満々だ。他国での暮らしも長いので自然と料理の知識も広がったのだという。
「セシリア、お前も時間があるなら少し付き合え」
これは純粋な申し出ではなく、おそらくドリスを訪ねた件に関して彼なりに聞きたいのだろうとすぐに察しはついた。セシリアは肩をすくめ、彼らと歩調を合わせる。
「マイヤー先生ったら、あまりセシリアをこき使っていると嫌になって逃げられちゃうわよ」
テレサが冗談交じりにたしなめたが、ジェイドは軽く笑った。
「こいつはそんな玉じゃありませんよ」
「あらあら」
なにか納得した表情を見せるテレサにセシリアは話題を変える意味も込め、話を振った。
「先生、薬草も必要でしょうが気をつけてくださいね。ご存知でしょうが、昨日また」
「ええ、知ってるわ。デュンケルの森の入り口付近で女性の遺体が見つかったんでしょ。ホフマン卿のご令嬢のディアナだって知って私もショックだったわ」
皆まで言うなと言わんばかりにセシリアの話を遮ってテレサは心情を吐露した。
「彼女と直接、面識があったんですか?」
セシリアの問いにテレサは小さく首を横に振る。
「いいえ。彼女の家は代々お世話になっている主治医がラファエル区にいらっしゃるから、うちに来たことも診察したこともないわ。でもこの町では有名な権力者だもの」
噂の飛び交い具合を見ても、ホフマン一家に関するウリエル区の人間の関心は高い。セシリアの心配を振り切るためか、テレサは話を戻して努めて明るく返した。
「今日は森までは行けていないから。アルノー夜警団の方々もいらっしゃったし」
それから話題はディアナの死に関してが主になる。
「髪を切った目的はなんでしょうか」
セシリアがなにげなくテレサに意見を乞う。テレサは宙を仰ぎ見て思考を巡らせた。
「そうねぇ。呪術的なものかしら? でも持ち帰っていなかったならその場で揉み合いになったときに切ってしまったとか」
「たしかに呪術をかけたい相手の髪が必要な場合もあるが……」
ジェイドが荷車を引きながら考え込む。
「早く解明してほしいわね。どうやら彼女は獣にやられたわけでもなく人為的に死に追いやられたって聞いたから」
そこでテレサの診療所にたどり着き、彼女はセシリアとジェイドに少々待つように告げ中に消えた。足元には薄く青みがかった小さな花が揺れている。
ふたりきりになったところでセシリアはジェイドに話題を切り出そうとした。その前に彼女は小さくくしゃみを漏らす。
「お前、上着は着て来なかったのか?」
「あ」
そこでセシリアは自分の外套をドリスの家に置き忘れたことに気づいた。
自分の不注意さに思わず眉をひそめたが、プラスに考えたらこれでまた彼女の家に行く理由ができた。
それにしても、言われると急に肌寒く感じる。
「どうしたの?」
そこに中から戻って来たテレサから声がかかる。ジェイドが軽く説明した。
「いえ。上着はどうしたのかって話になって」
「あら? 盗まれたのかしら?」
「え?」
セシリアは純粋に驚く。ドリスがそんなことをするはずがない。しかしテレサの言い方に迷いもなかった。
「だって高価なものだったんでしょ?」
「い、いえ。そんな高価なものでもありませんし、私が勝手に彼女の家に忘れてきてしまっただけなんです」
セシリアが早口でフォローをすると、テレサの顔が急激に曇った。
「そうだったの。ごめんなさい、ひどい言い方をして。……実は私、あの家で忘れ物をして、返ってこなかったことがあるから」
「そう、なんですか」
セシリアはぎこちなく答える。ドリスは見るからに裕福なのは間違いない。使用人も品のありそうな雰囲気だった。
とはいえ個人的な経験からテレサが言ってきたのだとしたら下手に否定しても意味はない。この前訪れた際に、そんな雰囲気をテレサが微塵も見せなかったので少し意外だった。
そこで、大きな瓶を抱えていたテレサが思い出したようにジェイドに差し出す。
「はい、これ。昨年頂いたものだけど、よかったら持っていって」
「ありがとうございます」
素直に受け取ると、ジェイドは中身についてセシリアに補足する。
「ワインだよ。鹿肉の臭み消しや煮込むのにわりと量がいるからな」
「美味しくできたら是非、報告してね」
テレサにお礼を告げ、セシリアはジェイドから瓶を受け取る。おもむろにジェイドが荷車を引いて歩き出したのでセシリアも続いた。
「で、ドリスとはどうだったんだ?」
テレサの家から離れ、周囲に人の気配がないのを確認したジェイドが水を向ける。
「彼女の美容法に誰かが噛んでいるのは間違いありません。美容法を教えてほしいと頼んだら自分だけの判断では教えられないと言われました」
「そいつに口止めされている、というわけか」
そこでセシリアはジェイドに突拍子もないことを申し出る。
「すみません。私にも荷車を引かせていただけませんか?」
「はぁ? こっちの方が重いぞ」
訳がわからない表情を見せたジェイドだが、真剣なセシリアにそれ以上は何も言わずおとなしく場所を譲った。
セシリアは木製の引手部分に両手をかけてゆっくりと前に進み始める。車輪は軋んだ音を立てながらゆっくりと回りだした。
「なかなか重いですね」
「この鹿の体重がおよそ四十キロくらいはあるだろうからな」
「そんなにあります?」
「血抜きしてるから、ある程度軽くなっているかもしれないが、それを差し引いても結構な重さだ」
「なるほど」
セシリア自身が若くて鍛えているのもあるだろう。普通の女性でも動かせなくはなさそうだが、かなりの重労働だ。
「もしも誰かがディアナの遺体をあそこに運んだのだとしたら、犯人は男性でしょうか」
「かもな。でもどうやって運んだんだ? 抱えるにしても荷車を引くにしても目立つだろう。そこまでしてデュンケルの森の入り口付近に運ぶ必要があったのかも疑問だ」
「……ブルート先生なら違和感なく運べますよね」
セシリアのなにげない発言にジェイドは足を止めた。
「お前、先生を疑っているのか?」
「だとしたら、軽蔑します?」
久々にふたりを包む雰囲気が冷たいものになる。まるでディアナの館で初めて対峙したときのようにピリピリとした空気が流れた。
ジェイドは黙ってセシリアのそばに寄り、荷車を引くのを交代させた。ゆっくりと車輪が回りだしたところで口火を切る。
「……いや。あらゆる可能性を考えるのは必要なことだ。ただ実際難しいだろ。お前も体感したように、この鹿を運ぶのでギリギリの重さだ。痩せ形とはいえ成人女性の遺体となると車輪も耐えられるかどうか」
重すぎると車輪が回らない。テレサも話していた通り、この荷車はかなり使い込まれ古くなっている。現に今もガタガタと軋む音が響いていた。
セシリアはワインの瓶を抱え、ジェイドの隣に並ぶと、小さく謝罪の言葉を口にする。
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