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次の日、セシリアとルディガーは予定を変更し、ふたりでドリスの元を訪れるための時間を作った。
ふたりとも私服で、ルディガーは白いシャツにオリーブ色のダブレット、下は黒いズボンとロングブーツを合わせている。
セシリアは胸元が編み上げ式になっているくすんだワインレッドのワンピースを着用し、曇天で肌寒さもあるので
ドュンケルの森でディアナの遺体が見つかり、彼女の父親がウリエル区の権力者でもあることから王都は、特にウリエル区では、ありとあらゆる噂で持ちきりだった。
昨日の今日の出来事だ。ましてや今回は彼女の死は人為的なものだとはっきりしており、不可解な点も多い。妙な憶測があれこれ飛ぶのも無理はなかった。
「可哀相に、あんな森で。髪を切られたりして脅されたらしいわよ」
「ディアナではなく父親に恨みのある奴の仕業じゃないか?」
こうした道行く市民たちの話に耳を傾け、セシリアはそれとなくルディガーに身を寄せて、噂話でもする
「いいですか。もう一度確認しますが私は夜警団に所属していることも、あなたの副官である事実も彼女たちには伏せています。なので、今回はあくまでも幼い頃からの繋がりであなたに声をかけたという話でお願いしますね」
真面目な顔で念押しするセシリアに、ルディガーは苦笑する。
「わかっているよ。ならセシリアも俺のことは昔みたいに名前で呼んでもらわないとね」
「気をつけます」
余裕あるルディガーの切り返しにセシリアは素直に頷く。いつもみたいに『元帥』と呼ぶのはなしだ。かしこまった言い方にも注意しなくてはならない。
「久々に呼んでみる?」
肝に銘じているセシリアに茶目っ気交じりの声が飛んだ。にこやかな笑顔の上官にセシリアは思わず頭を抱えそうになる。
「必要に迫られたらでかまいません」
「固いね、シリーは」
わざとらしく肩を落とすと、ルディガーは突然セシリアの前に立って行く手を阻み、向き合う形で正面からゆるやかに彼女の両肩に腕を回した。
続いて、なにか物申そうとするセシリアを遮るようにルディガーは背を屈め、彼女のおでこに自分の額を重ねる。視界が急に暗くなり至近距離でふたりの視線は交わった。
「じゃぁ、命令しようか。今すぐここで名前を呼ぶ」
いつもの悪ふざけとして流そうとした。しかし『命令』という言葉にセシリアは弱い。今すぐ必要なものなのか疑問が残るところではあるが。
「ちゃんと呼んでもらえるのか不安になってね」
セシリアの心の内を読んでか、ルディガーが笑みを浮かべたまま補足する。ついセシリアは眉をひそめた。見くびられるのは御免だ。
「呼べますよ、ルディガー。余計な心配はいりません」
かしこまった口調は崩せなかったが、セシリアはおとなしくルディガーの名前を呼んだ。
彼を名前で呼ぶのは実に久しぶりで、声にして自分の耳に届き、思わず照れが入りそうになってしまったが、それは必死に隠して顔には出さない。
ところが、ルディガーがセシリアの額に口づけたので、さすがのセシリアもポーカーフェイスが崩れる。
対するルディガーは満足げな顔でセシリアの髪に触れ、彼女をきつく抱きしめた。
「ちょっと」
「あまりにもシリーが可愛らしかったものだから」
「ふざけないでください」
腕の中も抗議するも、どうも格好がつかない。いつもの上官と副官という立場より、今はどちらかと言えばプライベートな雰囲気に自然となっている。
なんだかんだでこれが上官の狙いなのだとすると、やはりルディガーには敵わないと思い知らされる。調子よく彼に乗せられただけだ。
「こっちは上手くやるから、シリーはドリスから自分の欲しい情報を引き出すことだけを考えたらいい」
耳元で囁かれ、セシリアは一度目を瞑って自分の気持ちを落ち着かせる。そしてゆっくりと目を開けてから答えた。
「ルディガーも……こんな状況で申し訳ないけれど……任務などと思わずにエルザさんと会ってね」
これは本心だ。状況も合わさり副官としてではなくセシリア自身の願いとして伝えられた。
もしも自分のせいでふたりの間になにかわだかまりができてしまったのなら、できれば解消してほしい。
ルディガーはなにも答えずセシリアの頭をそっと撫でてから先を促した。
先日、訪れたドリスの家では、今日も前回と同じ使用人に迎えられた。セシリアが名前を告げると、ややあって奥からドリスが駆け寄って来た。
「こんにちは」
セシリアがまず挨拶をしたが、ドリスはセシリアを一瞥するとすぐに隣の男に視線を移した。それを受けてルディガーが微笑む。
「はじめまして。ルディガー・エルンストです。シリーから話は聞いているよ。エルザの調子はどうだい?」
「嘘……」
ドリスは信じられないという面持ちでルディガーをまじまじと見つめ、すぐに使用人にエルザに伝えるよう声をかけた。そして再びドリスの目がセシリアに向く。
「セシリア、ありがとう! 本当に、なんてお礼を言っていいのか」
抱きつきそうな勢いでセシリアとの距離を縮めると、ドリスはセシリアの手を取り感謝の意を述べた。涙ぐみそうなドリスに、彼女が本当にエルザを想っているのがわかる。
「ルディガー?」
この前と同じ、階段の上からか細い声が降り、その場にいる全員の注目が集まった。
今日のエルザは淡いワンピースタイプのゆったりとしたクリーム色の部屋着にカーディガンを羽織っている。
「久しぶり、突然悪いね。体調を崩しているんだって? 大丈夫かい?」
ルディガーが階下から心配そうに声をかけると、エルザは口元を手で覆い、大きく目を見開いた。
「本当に?」
よれよれと覚束ない足取りでエルザは階段を下りてルディガーの元に歩み寄る。ルディガーもエルザに近づいた。
エルザは遠慮なくルディガーとの距離を縮めると確かめるように彼の頬に手を伸ばした。
「また会えるなんて……夢みたい」
「大袈裟だよ」
ルディガーは苦笑しつつも、エルザが触れるのを拒んだりはしない。セシリアはそんなふたりから、反射的に目を背けたくなった。
自分の気持ちが意識せずとも沈んでいくのをありありと感じる。心臓が早鐘を打ちだし、胸が苦しい。どうしてこんな感情を抱くのか。
淀んでいるセシリアの腕をドリスが不意に取った。
「セシリアはこちらでお茶にしましょう。お姉ちゃんたちのところにもお茶を持っていかせるわね。どうぞ、ごゆっくり」
ドリスとしては早くエルザをルディガーとふたりにしてあげたい気持ちが先走る。狙い通りだ。セシリアはドリスからの信頼を得て彼女とふたりで話がしたかった。
「ありがとう、ドリス。セシリアちゃんもゆっくりしていって」
「はい、ありがとうございます」
エルザから笑顔を向けられ、セシリアは軽く頷いた。そのとき隣にいたルディガーと目が合う。
大丈夫、わかっている。
余計な感情はいらない。目で彼に応えて、今の自分の目的を達成すべくセシリアはドリスに案内されるがまま歩を進めた。
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